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『就労』とは

ナンなのだ

『労働』『働く』って
ソンなにエエコト

なんかいや

『反社会復帰』とは

『働かない権利』とは

ドウいうことダ

リクツやない

叫びや

えばっちが、ジッサイヤッタ仕事、労働、そして、特には、

発狂後にした、就労や労働と称する、とヤラから、

働かない権利

反社会復帰

を、叫ぶ

ほんまタイヘンやったんや

だから、反社会復帰ナンデスよ

リクツじゃないんですよ

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そもそも、△△やら△×やら××やら、笠陽一郎やら、嶋田和子、片岡聡やら、内海聡、広瀬隆士やら、○○やら○○やら○○やら、らへん、『底辺労働』の経験ないだろ、『底辺労働』といっても、イロイロだし、ナニをもってもと云うのもあるだろうし、

そうだ、「派遣労働」「肉体労働」と、言っても良いが、

ソンな経験、アリマスかいの、これは、大事なコトでっせ

「下部構造」が「上部構造」を決定してしまう得るかどうかはワカランとしか言いようがないが、相当程度、影響を与えるのは、確かやと、想うからなぁぁぁーーー

金に困ったこともないンジャナイカ

アッタとしても、『趣味で』、、、『趣味で』カネに困って

『趣味で』底辺労働や、『乞食』の真似事かいや、

大概にしとけや、ほんま、、タイヘンなんや、、、

働くいうのんは、、チガウかい

診察室で言われたんじゃ

「まずは、社会復帰して働く見込みが無いと

退院はできませんよ、退院は許可できませんよ」

精神医が、主治医が、診察室でこう抜かしよるんや

「アンタには働いてもらう、アンタにはワシはゼッタイに

年金の診断書は書かん」

そう、ほんまに、言われたんやから

だから、働いたンやから

みんなの部屋のみんなの職歴聞いたら、びっくりするぜ

そんなに甘くはない

それは、キーサンが一番よく知っている

友の会みんなの部屋の、猛者たちは

精神病院と釜ヶ崎を行ったり来たり、しながら

生き延びてきたんダカラ

釜とキチガイ病院を行ったり来たりして、生き延びタンだから

病院は、イ病院なんかじゃない、十全会だったんダカラ

十全会病院と釜の、間で、生き延びタンだから

そんなに甘くはナインだよ

精神病で生保や年金取れるなんて、

誰も想ってもミナカッタんだから

ダカラ生きていくには、働かなきゃナランかったんだから

死んでいくなかまも居たんだ

再入院を繰り返すなかまも居たんだ

だから、おれ達は、生命の底から

命の底のソコから

腹の底のソコから

『反社会復帰』と叫んだのやぁぁぁーーー

『働かない権利』と叫んだのやぁぁぁぁぁーー

だいたい、

クスリゼロになって、ハンパ者センセイ五職になれる

ヤツなんて、

ほんの一部のエリート健病者に決まってる

それか、はなっから、健常者ナンダヨ

ハッタツや健病者ですらナインだから

そりゃ、働けるダロウよ

バカバカしいったら、アリャアしないよ、まったく

 

それじゃあ、おれのアルバイトや仕事の、羅列を見てみろよ

世間様は、そんなに、甘かないぜ

まずは、自衛隊が、かわきりだ、そして、同時に夜間大学、入学だ

 

自衛隊で二等陸士

 軍隊の新兵・二等兵というヤツダ、MOSは、施設手、ツマリ工兵ということだ。銃剣道で、絞られたぜ。先任助教がよ、この道が得意だったからタイヘンだったんだ。もっというと、旧軍の士官学校出や幼年学校出が、まだまだ、幹部にたくさんいた時代だ、荒っぽかったよ、行軍と戦闘訓練が一番キツかったね。

ハイポートとか云うフル装備で、自動小銃もって、走り続けるという訓練ダカ、班長助教達のイジメダカ、分かんないようなのがあって、その時は、気を失って気が付いたら班のベットで寝かされてタヨ。

 六四式自動小銃が、四キロを超えているんだ、重かった。確か、4キロ300アッタ。しかも、自動小銃と云うのは、本当に、不恰好で、扱いにくいシロモノなんだ。腰回りに弾帯をして銃剣を吊り、そこにガスマスクや、弾倉や、緊急医療キット、一リットル入りの水筒、携帯用円匙、を身に着け、靴はあのゴツイ半長靴で、走るのである。ヘルメットは、ライナーだったから、まだマシだったが、戦闘訓練では、ライナーの上から鉄帽をつける。それが、また、とてつもなく重いんだ。おれ達は鉄帽のことをテッパチと、呼んでいたものだ。そうそう、あんな重いものを、何時も、被っているわけじゃあないんですよ。鉄帽は、大抵は背嚢に括りつけられているものなのです。戦闘状況に為ったら何時も被っている強化プラスチック製ミタイなものでてぎているライナーと呼ばれるヘルメットを被っている上から、テッパチ鉄帽を被るのです。テッパチは、とても重くて首がツカレるんようなシロモノなんですよ。

 ボクがいてる間に、一人自殺して、一人事故死した。自殺は、ひた隠しだった。が、事故死の方は、二階級特進と云うことになり、大々的に駐屯地で葬儀が催された。オレは、儀仗隊に選ばれて、棺が安置されている部屋の前で、戦闘服と儀礼用の第一種制服との中間のような恰好で、立っていた。訓練から、離れられて、少し楽ダッタ。弔銃は、三発ダッタ。虚空に向けて、空砲を撃ったのダッタ。虚しい響きだった。でも、ボクは助かったのですよ。だって、儀仗隊に加わっている間は、中隊の営内班から少しは離れられて、楽に為るんですから、ね。そう、それと警衛勤務の時も、これワカッて貰えますかね。中隊の営内班から、離れていられる気楽さ、と云うのを、ね。

 ただ、警衛勤務自体はタイヘンだったんですよ、24時間連続勤務で、あの駐屯地の正門入ってすぐ左の警衛所に、詰めているわけですから、けっこうシンドイかな。仮眠も半長靴はいたままで、戦闘服のままで、仮眠するんです。夜間の歩哨と云うか、駐屯地の外周を、二人一組で、自動小銃持って銃剣吊って、警戒しながら一周して来ると云う任務があるのですが、ケッコウタイヘンデシタ。「上番します」、と言って、二人で警戒に出発でした。一直とバッ直が、イチバン仮眠取り易くて良かったけれど、いつも、二直か三直か、だったなぁぁぁーー。それか、バッ直の前。ツカレたなぁ。上番、下番、待機、休憩、を繰り返しつつ、24時間連続勤務するのである。ツカレた。そうそう警衛勤務のほかに、各中隊で、不寝番と云うのも別にあって、その時は、昼間、課業は普通にアルので、三直ぐらいが当たちゃうと、たいへんだったなぁぁぁーーその一日が。ただ、不寝番は、正規の戦闘服で装備してと云うわけではなく、確か半長靴ではなくてズックで、弾帯もしなくて良かったハズで、、銃剣道用の木銃をもって、隊舎内を見回った、のでした。だから、その点では警衛勤務よりは、ヨカッタかな。

 僕がいてた時の自衛隊は、とにかく用語がむちゃくちゃだった。自衛隊独自の用語があり、旧軍から引き続いている用語があり、なおかつ米軍さんの用語もあった。そして、非公式な兵隊用語まであったのだから、なかなか慣れるまで大変だった。例えば旧軍で言う酒保という言葉もあったが、公式には自衛隊用語の購買と言わなければならなかったのだが、一般には、なんと米軍さん風のPXピーエックスというのが使われていた。ところが、我々兵隊の中では、そのPXをピーペケと呼んでいたのである。営内班では、もっぱらピーペケが使われていた。今はどうだろう。例えば、民間では、そうそう民間という言葉も使われていた。軍隊以外の社会のことなんだが、これはひょっとしたら旧軍から引き継がれたものかもしれない。民間で灰皿のことを隊内ではエンカンと呼ばれていた。どんな漢字を書くのか忘れた。「煙缶」だったと、想うのだが、記憶が定かではない。

でも、このエンカンは真っ先に覚えた。いつの世もペーペーがナニカ用事で呼ばれたら持っていかなければならないのは灰皿と決まっている。つまりエンカンだ。

 こんなことは常識になっているが、階級呼称が独特の自衛隊用語であり、それは旧軍で言うとナニナニと言わなければ、かえって理解できないものだった。少尉のことを三尉と呼び、大尉のことは一尉と呼んでいた。そして、二等兵は二士なのであった。ところが、中隊を実質切り盛りする中隊付き准尉は、なんと旧軍でも自衛隊でも階級呼称としても職名としても、准尉なのだった。一尉の中隊長や二尉や三尉の副中隊長や第一小隊長や第二小隊長よりも、中隊付き准尉が、もっともオソロシイのであった。この雰囲気分かってもらえるだろうか、そうたとえば、「鬼軍曹を束ねている親分」とでも、言うべきか。中隊事務室の一番奥の窓際の一番でかいデスクにドーンと鎮座ましましておられるのであった。中隊長室や幹部の部屋なんかよりも、中隊付き准尉のデスクの前が、我々兵隊にとっては最悪の場所なのであった。そこに呼ばれたことが一度だけあって本当に冷汗が出た。

 営内班にいると中隊事務室で車両係陸曹か訓練係陸曹の助手をしていた士長が「江端二士、中隊付き准尉がお呼びである」と言われたのである。営内班に二人か三人いた士長(上等兵)達が顔を見合わせている。「江端二士、なにかやったのか?」と言われ、士長連中ですら不安がっている様子なのであった。僕は半分泣きそうな顔で中隊事務室に向かった。事務室の前で大声で「江端二士、入ります」と叫んで待った。「入れ」という声がしたので中隊事務室に入り、事務室にいる陸曹(下士官)連中や准尉に顔を合わせないようにして、虚空に向けて「江端二士、中隊付き准尉がお呼びということで、参りました」と申告した。

 

(この続きはよう書けませんで、この2年弱連載が続きマシたロシナンテ社発刊月刊「むすぶ」の2015年11月号12月号2016年2月号に四方社長が、テープおこしして掲載してくれております。よろしかったら、是非とも、ご覧に為ってくださいませ)   

 

北專贋寺の出版部の編集助手

 坊主たちの金のハナシを聴きながら、毎日ひたすらテープおこし、してた。境内の中に駐車場こしらえたタラ、境内に作った幼稚園が儲からんとか、言いながらよ、坊主どもの派閥争いが凄かった。

 面白そうな取材は、坊主達がやって、テープの荒おこしは、アルバイトのボクがするのだから、毎日毎日、オープンリールの大きなテープレコーダーと格闘していたわけ。やれども、やれども、いっかな、テープが、減らなかった。あのオープンリールのレバーは堅かった。だもんで、左肩が、いつも、こっていた。

 例のお北さん騒動の裁判の真っ最中だったから、廊下で誰かと立ち話するだけで、面白い話が飛び交っていた。大体、裁判の進捗状況が、全館放送で流れるのだから、ビックリした。

 職場内のイヂメが一番すごかったのが、この職場である。仕事の手の遅い女性事務員を坊主たちがイジメ抜いていた。本山の前の噴水で、ホームレスのオッチャンが凍死したときの、ここの坊主どもの言い方が、余りにも酷く、差別的で、本当に反吐が、出そうだった。あそこまで、ホームレスのオッチャンらのことを、言うか、ホントに。坊主よ、ナニ様のツモリや。エグいハナシばかりだった。

 自分のお寺の方で、葬式や法事ができたら、サッサと休んでしまうので、それが、ナントイウ休暇なのか知らないが、基本、お寺の住職か、その跡取り息子が、仕事として、本山の事務仕事をしているわけだから、ジブンのお寺の方で、法事があったら、すぐ、休んで、帰っちゃうわけなんだ。どちらかというと、自分のお寺でのそういうコトの方が、優先と云うわけだったから、ソンナンだから、雑誌の締め切りに合わすために、むちゃくちゃな記事を作っていた部分もあったのではななぁー、と言って過言ではない。

 

室町の呉服問屋の丁稚

 このころは、ホントに丁稚という言葉がまだあって、内々には使われていたものだ。扱いも、ソノトウリであった。一番下っ端の丁稚の仕事は、店の前の掃除と、神棚のある部屋の掃除と、庭の掃除と、食堂の掃除と、商品の配達だった。

 配達が、実に危なかった。新町通りや室町通りといった、細い通りを配達の車とトラックと、片手運転の自転車が、行き来していた。トラックに引っ掛けられて、自転車ごと、ひっくり返る、と云う事故を何度したかな。二度か三度かは、したと、想う。左手で、風呂敷に包んだ反物を荷台に載っけて、右手でハンドルを持って、浮き伝票持って、新町、室町、四条から五条まで、あの辺を走り回っていた。ほとんどの店の丁稚が、そうだった。自転車の片手運転禁止ナンテ、そんなことできやしない。地下室にロッカーがあって、そこで、着替えて、毎晩夜間大学に走っていった。無理がたたったのか、この時も、肺炎で、何週間か入院したことがアッタなぁー

 

消火器の詰め替え

 手が荒れてタイヘン。若干詐欺的なとこがあって、それについていけなかったら、スパッと首を言い渡された。どういうことかというと、消火器の蓋を、しのミタイなモンで廻して、蓋とって、外液と内液、混ぜてみてミセルのだが、まだまだ、十分泡立つ消火器を、泡立ってないとか、言い募ってナンダカンダ言って、詰め替えてしまって、お金を請求する、ということだ。詐欺的押し売り、とでも、言うべきか。そんなこと、えばっちは、できやしない。だって、実際十分泡立っていて、まだまだ、使えそうなんだから。バイクに、伝票と、内液と外液の粉と、蓋を回すしの持って、京都中走り回ったなぁーー

 で、アンマリ、稼げないで、帰ってくると、店の方で、こいつはできないヤツダなと、なったら、もう来なくて良い、と言われるのである。しかし、今や、こういう商売の在り方が普通になってしまい、コレが詐欺的、と云うのが、分からなくなりかかっている今の時代が怖いと、想う。おれが甘いのかな

 

京都簡易保険事務センター

ココで発狂した

 入った当初は、京都地方簡易保険局と、呼ばれていた。いくつかやったシゴトの中で、唯一の公務員事務職だったが、それが、結局、ここで発狂した。良くなかった。ここの労組の共産党ニッキョウさんと社会党のミンドウさんと当局の労務管理末端管理者とによって、三者共同の異質分子排除というわけで、結局、発狂させられた、といっても、過言ではない。だから、職場環境や社会環境のことを、強く言い続けている。だから、患者の方に発狂の原因を押し付けようとする、障害者の特性の方に虐めや労務管理のセキニンを押し付けようとする、苛められている方に原因を押し付けようとする、ハッタツ特性論者たちとは、敵対的になるのは、当たり前なのである。もう少し、環境要因や、社会要因や、会社悪や社会悪など、働かせザマなどを、もうちょっと、シッカリ見た方が良い。トコロが、ジッサイは、精神医や医療食福祉食やライタータラの連中のアマちゃん加減が、余りに凄く、本当に、仕事場で、労働者、労務者が、ドウ扱われているのか、ピンと、来ては居ない、と云うか、出来ない、ノダと、想う。

 半年間の停職と、一年弱の入院と、を含む、三年間にわたるグチヤグチャを経て、復職し、人事院の公平審までをも、闘ったものの、結局は、末端管理者と近畿地方郵政局からの労担達の現認体制で、おれの席がいつも十人ほどに囲まれていると云う職場だった。ソコに居続けられるはずもない。

 話せばキリがないが、一緒の係にいてた人が、簡保の庁舎屋上から飛び降りた時の、あの時のことは、忘れられない。その時の同じ係内の人たちや、担当の支部執行委員の言いぐさには、本当に腹が立った。ちなみにその執行委員はニッキョウさんだった。そうだ、実のことを言うと、面と向かって「キチガイ」と罵倒されたのは、職場でのコトであった。誰がやったと思いますか、みなさん、実は当局の末端管理者やミンドウさんではないんですよ。今でも忘れられない、ニッキョウさん共産党員の支部婦人部長さんが、廊下で、すれ違いざまに、誰にも聞こえないような微妙な声高で、罵っていったのでした。なかなかのキョーレツな一撃だった。アアイウのは、本当に酷いね。そうそう、末端管理者の一人なぞは、ポケットからハンカチを取り出して、ボクの眼の前で、ヒラヒラと振って嫌がらせを続けていた。それを10人ほどの近畿郵政局の労担達が囲んででいる囲みの一環としいてヤルンだから、ナント言うか、凄い職場ダッタ。

 それでも、とにもかくにも、あの停職処分から15年間は、青年部が、3月9日近くに為ると、ビラまきをしてくれていたようです。ありがたいことです。そして、この時のなかまたちが、今でも、やすらぎの里を支える会の会費を、毎月払い込んでくれているのです。ありがたいことです。あの処分から29年たちました。以下に記録として、保存しておきます。

 

3・9 不当処分を忘れない!!

今からもう15年も前になってしまいますが、一人の青年部員が当局管理者の差別的な労務管理のもと、不当な処分をうけました。

威圧的な現任体制のもと、特定個人をねらった差別的監視が一日中行われ、あたかも処分を出したいがために

挑発をしているかのような行為が管理者によって繰り返されました。

それに対して怒りをあらわした一青年部員の言動に対して出された六ヶ月の「停職処分」、それが『3・9不当処分』です。

この『3・9不当処分』は15年前に起こったものですが、それは過去のものとなっているのでしょうか。

この、人権を無視した処分の背景には、当局に屈服しない職員は職場から排除する、という当局の差別的労務管理体質にあります。

職員の声に耳を傾けることなく、管理者の主観的な判断だけで上意下達のもと、がんじがらめに私たちを管理してきています。

「お客様第一」を枕詞に、その職場で働く私たちのことは二の次にして、いったい何が本当のサービスを提供できるのでしょうか?

安心して働き続けられる職場があって初めてお客様にも本当のサービスを提供できるのではないでしょうか。

一体、事務机の上に同じ色のボールペンが2本置いてあることが何の支障になるというのでしょうか?

一日の始まりに嫌な思いをしてまで全体朝礼を続ける必要性はどこにあるのでしょうか?

ジーンズの色が一体どうしたというのでしょうか?

髪の毛の色は黒色でなくてはならないという差別的認識をどうにかしなくてはいけないのではないでしょうか。

そして何よりも、世間をだまし、私たち職員をもだまし信頼を失墜させたあの事件のことはどうなるのでしょうか?

私たち職員に対して一言も説明がないままです。

そう、今も当局の差別的労務管理体制は何ら変わらず続いているのです。

私たちは、当局がこのような差別的労務管理体質を持っていることを忘れずに、また、こうした差別的労務管理を改めさせるために、断固団結のもと闘い続けなければなりません。  

2002.3.8春闘連続朝ビラ

全逓京簡保支部青年部常任委員会

 

とあるチェーン店パン屋の下働き

 職人さんたちに怒鳴られないように、シャカシャカと道具を洗っていかなければならなかった。手元に洗い上がりのバットやボウルなどがないと、職人さんたちは、すぐ機嫌がワルクなって、怒鳴られた。でも、焼損ないのパンを持って帰れたのは助かった、何か月、やったのかな。あの白色のゴムの長靴をはいて、洗い場の前で、ひたすら、洗い続けた。洗っても洗っても、洗い物が、減らないんですよ、参ったなぁぁぁーーでも、あの一斤丸ごと持って帰れる焼損ないのパンが、今まで食べたパンの中で、イチバン美味いパンだった、今から想えば、、、それで、何か月か生きられたんデスカラ、、、、、、

 

とあるお寺の寺男

 昼食付一日行って三千円、でも、和尚さんも坊守さんも、おんなじテーブルで、おんなじものを食べさせてくれた。庭掃除、枝打ち、お寺のイベントの手伝い、穴掘り、溝掃除、なんでもやった。病院の外勤作業の一環だった。

 通リハとか外勤作業とか、働かせるための、福祉的医療的モロモロをこしらえるのは、エエけれど、ジッサイそういうので働いてみると、これは、体のいい、障害者を低賃金労働させて、ヒトの嫌がることをさせよう、と云う、コトなんですがね。実は、そう、寺男と云うのは「世間様が避けたがる」といったものに深く拘わるような側面があるのです。だから、和尚さんと寺男で、セットという、シーンが、有るような無いような、、、、、、、、意味わかりますかね、、、

 まぁ、でも、ここの和尚さんたちとしては、お寺という場で、精神病患者さんの社会復帰に役立つのなら、、、と云う気持ちが強かったと想う、そこは、想いに邪さが無い、だけ、マシダツタとは、想うが、だからたまに、本堂で座禅を組ませてくれたことも、あった。実務としては、なかなかに、寺男、と云うのは、タイヘンなナンデモ屋で、ね、タイヘンでしたよ、穴掘り系が、キツかったかな。それと、竹林の管理、ミタイなのがね。お寺のイベント、と云うか、その準備作業と云うのは、本当に、イロイロあるので、ケッコウ忙しかった。しかも、和尚さん、単発で、仕事を言いつけるものだから、今やっていることが、お寺のイベント準備なのか、土建的なものなのか、庭師的なものなのか、よくわからないまま、やっていたので、後から考えれば、ずいぶんと、チグハグなシゴトぶりだっかもしれないなぁー

 

コンムッドのコンポステレオ組立工場

 ラインの流れが速すぎて、ついて行くのが、やっとだった、このライン工場は、残業もあって、とにかく、タイヘンだった。作業にやっと慣れたと想ったら、ラインの速度を上げるンだよね。

 ラインの真ん中に天井から電光掲示板が下がってて、完成台数が、刻々と出るもんで、気が気ではなかった。目標台数が、上の段に、出ていて、その下に、完成台数が出る。アレは、オソロシイもんだね。昼休みに見上げて、あらあら半分近くに達していなかったら、こりゃマズイなと、想ってしまうんだよね。やっと慣れてきて、完成台数を毎日クリアーしていると、ホッとするんだが、いつしか、目標台数の方が、増やされていて、ラインの速度が、上がっている、と云うわけなんだ。しかも、朝八時に、ラインマネージャーがスタートボタンを押したら最後、そのラインにこき使われる、と云う、まさに、ラインの一工程の一部品のヨウなシゴトでした。一度は、経験すべきシゴトですよ。ラインの組立工場と云うのは。

 残業の時は、残業時の目標台数が出るので、必死にシゴトしたよ、ほんと。確か、残業の時は、菓子パンが一個ずつ配給されたな。そして、残業の時の目標台数が、新たに、天井に光り輝くのダッタ。目標台数に到達しないと残業は終わらない、と云うわけだった。

 何度か、下痢気味の時があって、その時は、おうじょうした。機械に合わせて仕事するとは、どういうことか、オモイシッタ、ラインの製造工場には、一度、行ってみるものだと想う。

 

プラスチック工場

 埃と騒音と、熱がタイヘンで、単純作業の繰り返しで、リサイクル産業の実際は、すさまじい労働だと、知った。

 アレはペットボトルを細かく砕いたモノなのだろうが、ソレが、セメント袋のようなものに一杯詰まっているのが、山のように積み上げられている。それを一つずつ肩にかついで運んで行って、袋の口を開けて、床に開いた口から、下の階のプールのようなところに、落とし込んでいくのである。ただ、それだけを、延々と、毎日毎日、続けるのである。プールから先は、自動化されているようだった。だから、この工程も、自動化されたら、この仕事は、無くなるのは、目に見えていた。  ソウいう仕事もアルと云うコトだ。本当に埃と騒音と熱は、酷かった。

 

森林組合の現場労務者

 ホントタイヘン。夏草の一番刈二番刈、雪おこし用の縄のボッカ、枝打ち、除伐、間伐、危ない作業だった。カンカン照りの中、ヘルメット被って、刈払機での夏草刈りと云うのは、本当に過酷だった。刈払機のエンジン熱をもって、熱いなんてものじゃナカッタ。ガソリン入れるときにしくじって、一台爆発させてシマッタ。危ないんだよね、機械止めないで、ガソリン入れちゃうから。ちょっとした小さな爆発でした。怪我しなかったのが幸いだった。

 枝打ちは、あの高さまで、地下足袋装着の爪とベルトのロープで、登っていく、小型チェーンソーをたすき掛けして登っていく、、、怖い仕事だった。刈払機と、チェーンソーの事故も、何回か見たが、壮絶だった。林業での事故は、凄まじいモノです。チェーンソーで手を切った場面を見たけれど、アレは、酷かった。血だけじゃなく肉片も飛び散って、ソコラじゅう血だらけになった。刈払機では、あの事故は、本当にもうちょっとで、腕が切断されていただろうと、想う。鉈の事故もあった。鉈で斬ると、ソレは切るといより、ドンときてパックリと皮膚が割れて、血が噴き出すと云うカンジで、それも、恐ろしい怪我に繋がっていました。

 おっちゃんらの、鉈の研ぎ方も、凄いもので、鉈を研ぐのに、二時間も三時間もかけて、研いでいましたね。切れモノを使う人は、研ぎ方も、凄いです。教えてもらったけれど、ボクは、なかなか上手く研げなかったなぁぁぁーー

 そう、それで、ここのオッサンらの喧嘩は、鉈が出た。しかも、仕事が終わったら、帰りの車の中で、一升瓶が積んであって、それラッパ飲みしながら喧嘩が始まった、スズメバチとマムシは、日常茶飯事、クマにも出会ったことがある

 奥越地帯での、この仕事、季節労働、と云うことです。豪雪地帯ですからね。ドウいう事かと言うと、ツマリ冬場は失業すると云うことなんです。大体、四月から十一月までの労働ですから、、、、季節労働、と云うモノもタイヘンですよ。冬場はシゴトが無くなっちゃうんだから、本当に。

 そうそう、ムカシは、親方の名前で、小林組とか大林組といった単位でシゴトをしていたのですが、ココも近代化の波に洗われたのか、『組』と云う名称ではなく『労務班』という名目に、なったようで、親方のことは、班長と呼び、小林班とか大林班とか言う呼び名にせよと、為って、スグのようだったようで、親方たちが、ブゥブゥ言うてました。結局おっちゃんらは、『組』と、呼び続けていました。ボクたちも、親方だの組だのと、言うてマシタ

 

トアル建設会社のアルバイトという名目の

実は、立ちんぼで発掘現場

 ユンボーやらブルやらが置いてあるトコで、朝まだ、暗いうちから、ドラム缶に廃材を突っ込んでボウボウ火を焚いて暖を取って、立って待っているんですよ。すると、手配師のおっちゃんらが、近づいてきて、ぼくには、「あんちゃん、まだ若そうやし、工事現場やのうて発掘現場にまわしたろ」と言われて、発掘現場の飯場へ連れていかれた。飯場のおっさんらの喧嘩が大変。それと、ツルハシの担当が大変。ヤサしい刷毛ばっか持ってたら、おっちゃん等に睨まれるから、自主的にツルやら剣ズコやらを取りにいかないと、、、、アカン、、、、若いのは。

 飯場は二階建てのプレハブで、一階が労務者、二回は、先生達だった。ほんと、に、上下に別れていた。考古学のセンセイやら遺物やらは二階で、下に、15、6人ほどの労務者である。労働者とは、言わない、労務者でアッタ。

 ここのおっちゃんらに、ドヤ生活と云うものを、実地で、教えてもらった。と云うか、見せてもらった。と云うか。仕事終わって帰ってきたら、あの小さな窓口に向かって一列に並ぶのである。黙々と並ぶのである。あの窓口のおばちゃんは無愛想なのデアッタ。みんな会社に借金をこしらえていたので、窓口でも貰えるお金なんて、こずかい、程度でしたよ。1500円から3000円くらいの間カナ。一万円から7500円位のシゴトしていて、なんで、ソレだけしかもらえないかと言うと、ソコが、立ちんぼのドヤ生活の、恐ろしさと言うか、仕組みなんですよ、どう、説明したらよいのかな、誰か、うまいこと、このドヤと云う、ほんまもんの直接的な詐欺的搾取の仕組み、簡単に、説明してくれませんかね。

 とにかく雨が降って仕事が休みでも、ドヤ代は取られるのですから、、、、あの当時で、三畳ぐらいのドヤで、風呂に入って、夕食朝食代、飯場での弁当代なんかは、入っていたか、別料金だったか、それに、電気代やクーラー代なども、別にとられていたのかな、併せて毎日3000円から4000円くらいじゃナカッタやろか。そうすると、お盆やお正月、怪我や病気や、雨なんかで、仕事が出来なかったとしても、毎日の3000円から4000円位のドヤ代はかかるわけだから、それで、会社に借金が出来ていく、と云うコトになってしまう。おっちゃんらが、一日8000円9000円1万円の仕事をしてきても、窓口では2000円ぐらいしか、渡して貰えない仕組みが、分かりますかね。でも、コレデモ、まだマシな方ミタイだったんですよ・・・・おっちゃんらの、アソコは酷かったと云うハナシを聞いていたけれど、それはそれは、本当に、タコ部屋と云うか、奴隷小屋の見張りがやくざで、逃げ出そうとしたヤロウが、殺されたンジャなかろうか、と云うハナシだったんですから、、、、そういったトコロを脱走してきた、と云うヨウなオッチャンらのようでした。

 まぁ、そういったわけで、飯場での喧嘩は、タイヘンでした。二階の考古学センセイ達は、モチロン、我関せず、デシタネ。この上下と云うか、二階と一階の関係と云うかも、ナカナカにオモシロイものが、在って、ネ、本当に中学出のオッチャンらと、大学出のセンセイ様たちは、階級と云うか階層と云うか文化と云うか、本当にチガッてた。ジッサイに一階と二階のチガイと云うわけだった。巨大ライン工場でも感じたことだが、世の中は、本当に、労務者階層とホワイトカラー階層は別物だ、と云うコトが、実感できました。

 

マツショルの自動販売機組立工場の

派遣労働者

 派遣と正規雇用の労働者と、ホワイトカラーの、差が、激しすぎて、本当にびっくりした。見た目でスグワカッテしまうのです。なんといっても、派遣は、ねずみ色の作業着、マツショルのホンチャン労働者はブルーの作業着、そして、管理職は、白のカッターシャツにネクタイなのであった。自動販売機工場とエアコン組立工場で随分雰囲気がチガッタなぁぁぁーー。昼休みが、壮観であった、ラインが止まった巨大工場から一斉に労働者が吐き出されて、食堂に大移動を開始するのである。

 なんといっても、ラインだから、便所にも行けん。あの大型の自販機をラインで組み立てるんだから、動いているラインをまたいだり、乗ったりしての作業、危険だった。アスベスト作業まであったんだ。エアードライバーの騒音は凄まじかった。ラインのどの工程に配置されるかで、運命が毎日変わる、なんといっても派遣なので、ホンチャン労働者の休みの穴埋めに使われるから、毎日、担当する場所が変わる、だから、派遣の事務所から八時ぎりぎりにタイヘンな電話やらナンヤラの騒動の後、持ち場が決って、現場の工場の担当の工程のトコロまで、走って行った。

 それと、アスベスト作業は、本チャン労働者ではなく、我々派遣の担当デシタネ。そう、それに、必ず、同じ人がずっとやらないで、二回か三回で、必ず交代していたような気がしますね。眼鏡とマスクは、支給されましたが、とにかく、一日シゴトすると、チクチクスルンデスヨ。肌が、チクチクするんです。チョットコレ、ヤバイかも、と、想いました。アスベストだと、ハッキリ言われたわけではなかったですが、アレが、ソウなんだと、想いましたよ。だって、眼鏡とマスクが、支給されていた、唯一の工程デシタからね。えばっちも、二回か三回入りました。嫌だったです。

 そうだ、エアードライバーを使う工程では、耳栓が支給されていたなぁ。一人一個、失ったら、自前で買って来なくちゃならなかった。でも、ケッキヨク、は、しなかったんですよ。前の工程やら後ろの工程の人たちと叫びながらの連絡も、アリマシタからね。

 

重度心身障害者のみなさんの

通所援護事業所での介護

 六年やらしてもらえた、唯一の、とてもよかった仕事だったが、腰と膝をいわした。自分のクスリと病状で、介護している人への責任が持てなくなると想い自主的に辞めた、この時は、本当に惜しまれて辞めたよ。

 勤めていた時は、病気のことは、一切言わなかった。ツマリ隠して、隠し続けて勤めていたわけです。クスリは、どうしたかって、、、、、、モチロン、隠れて飲んでいたンデスヨ、便所でね。だから、お泊まりイベントの時が、実にツラかったかな。旅行の時とか、お泊り会の時の介助は、実は、ツライものだった。楽しかったのでは、とっても、愉しかったのでは、あるが、眠剤の飲むタイミングを間違えると、タイヘンだった。

 月水か月火の二日間が基本だが、それ以外に月一度の木曜のミーティングや、土日祝日のイベントや、旅行にも、よく行った。タイヘンだったが、愉しかった。あの面々での一泊二日の旅行と、初期のころの「ヤッほーフェスティバル」の準備は、愉しくも、しんどくも、素晴らしくもアッタ。あの催しは、凄かった。いい想い出ですね。ひとり一人の顔と名前と共に、たくさんの想い出がある。素晴らしい想い出がアル。唯一の、唯一の良かった、やれてよかったと想えるシゴトであった。

 しかも、さらに、アリガタい事は、まさにココでココで、感得させてもろうたことが、アルのですよ。ツマリ、『障害』が、違えば、『家族』との関係、『医療』との関係、『スタッフ』との関係も、『制度的』要求の在り様も仕方も、『政策的』方向も意味づけも意味合いも、また、我々キチガイと、重度心身障害者のみなさんとで、チガッて当たり前だ、と云うコトを実地で、感じさせてもらった。チガウべきである、とも、想った。そうだから、キチガイの側の精神病院に対する想いや、家族会に対する想い、と重度心身障害者のみなさんとが、一緒になるわけは、無いのである。チガイがあって当たり前だと想ったのである。逆に言えば、例えば、精神障害者の家族会の目指すものと、重度心身障害者の家族会が目指すものとか、一致するわけはないのである。してはならないのである。だって、障害がチガウのだから。精神障害者の当事者会と家族会の関係性と、重度心身障害者のソレとも、同じになるわけはないのである。同じでアルと云う側面ももちろん、アルのはアッタ。でも、チガウのだ、と云う、この点が、本当に、ジッサイのセーカツの中での、腑に落ちたのである。だから、その点でも、「自立支援法」には、反対である。「障害者」とひとくくりに出来得ない、それぞれのモンダイや課題、苦しみや哄笑をかかえているのだから。

 そう、だから、我々キーサン患者会の叫びが、如何に的を突いていたものだったかは、まさに、まさに、まったく別の障害で生き、笑い、喜び、泣き、クルしんでいるミナサンとの地に足の着いたセーカツの中で、えばっちが、感得させてもらったモノだったのである。だから、ココだけが、まさに、ココだけが、えばっちの賃金を貰うと云う職歴の中で、唯一の感謝している、職場なのである。ただし、けっこう肉体的にはキツかった。結果的には、腰と膝は、ケッコウ、古傷にナッテシマッタと想う。以前の肉体労働の古傷と共に。

 そして、実は、ここに勤めている間に、三回目の入院を経験した。よく、バレなかったものだと、想ったが、どうも、この時に、し施設長は、ピンときたようやね。後で聞きました。退職してから十年経って、初めて、再度交流に訪れて、最初に聞いたことは、えばっちが、精神病患者と気づいたのは、何時だったのか、と云う質問でした。

 『当事者スタッフ』と云う問題意識も、実に、ココで深まったと、言える。ココでのゲンジツで、ホントに想ったなぁぁぁー、この点に関しては、別に書こうかな、題して「当事者スタッフとはナンなのダ」です。コレは、書き上げられるでしょう。

 それと、スタッフ間の軋轢、スタッフと親御さんとの軋轢、のモンダイもありました。ソレが、タイヘンなコトになっちゃって。忘れられないのです。ジツは福祉の現場では大事なコトを示唆しているのですが、コレは普遍性の在るモンダイと想っているのですが、なかなか描けません。どう書けばよいのかな、アレは。そして、ここでのなかまの一人一人のみなさんとの想い出も、たくさんあるのだけれど、それは、また、別稿で書きたいと、想います。ココでは、まぁ、エバッチの労働ゲンバの簡単な紹介と云うこと、ですから、ココまででご勘弁のほどを。

 

 

 

とある作業所で茶団子の箱折り

 毎日あんなことしてたら、病気悪くなるに決まっていると、想った。本当に茶団子の箱折をしているんですから。みんな、黙々と、押し黙ったマンマね。そんな中で、所長、職員、作業リーダー役通所者、一般通所者と云う、階層が、シッカリとありました。所長独裁的なトコロが、アリマシタネ、だって、所長だけが40代後半か50代、後は、全て20代から30代といったところでした。嫌なものですよ、、、そして、近所のせ診療所と、完全一体化していました。タマラナいトコロでしたよ、本当に。
 ちなみに1日しかもたなかった。いくつか仕事をしたなかで最短退職記録が、福祉的就労というのが、笑えると云うか、ナサケナイと云うか

 

 

こうして、ボクの高校卒業後18歳から41歳までの

14箇所に為る労働は、

終わッタンデス。

それで、生保で暮らすようになって

再入院はしていません、今のトコロは

ソレまでは、五回も入院ヤッタんですがね

こうしてみると、ボクの仕事歴なんて、ほんとは、

たいしたことはナインですよ

こんな程度のモンなんです、、、

友の会のなかまたちの中には、

本当に想像を絶するシゴトを体験しているよ。

ホントだよ。

なかまの何人かは、十全会病院と

釜ヶ崎を行ったり来たりしてたんだから。

発達障害者が、ハッタツ減薬原理主義者たちが、

クスリゼロにシテ、就職できました

なんてことを、大宣伝しているけれど

ソンナもん、一部の障害者エリートか

そもそも、病者でもハッタツ障害者でもナインじゃないかな

ソレを精神病患者のあり得べき姿として見せよう

と云うのは、ムリがアルと、想うよ

ダカラ

『誤診誤処方被害者でアルところの

健常者か健病者かハッタツ障害者達の減薬断薬と

社会復帰への取り組み』と、

ハッキリと言ったら良かったんだけれど、ね

惜しい事だった

すり替えられてシマッタ

 

苦労して、這いずるようにして

前進友の会の第一世代の病者達から

延々と続く、病者の生き様が死に様が

死人と共に、再入院と共に、

病状の悪化と共に、

精神医の生保や年金の

診断書は書かへんで、

働かないと退院させへんで、

と云う、精神医どもと世間様からの

嫌がらせと脅しに対して、腹の底から、

キーサンのセーカツの底の底から

キーサンの生命の底の底で、

生命の底で居直る生き様から

這いずるように生み出されたモノなんですよ

『働かない権利』と『反社会復帰』とは、ね

この現代ニホン社会でね

その意味、わかりますかね

それを、発達障害が台無しに仕様としているんですよ、ソレ、わかんないですかね

働かない権利ををををーーーを

反社会復帰をーーーーをををををを

発達障害クタバれレーーレレレぃぃぃ

 

 

「批判 番外編 笠陽一郎医師よ逃亡とは、無責任だ」

の一章に大幅加筆したもの

 2015/1/21起稿 前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち

江端一起より

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