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以下は、

腐れ精神医笠陽一郎が

2014年8月31日ホームページを

消す最後の日に、わざわざ、一日だけアップした

クスリを飲むしかなかった患者を徹底的に揶揄し、

無効化し、侮蔑し、せせら笑っている、替え歌です。

ハラが立つなんてものではありません

たまりません 

たまらんぞ、笠陽一郎、わカットんのか、

この戯けヤロウ、

フザケルナ、このドスバカタレがぁぁぁぁーーがぁぁーーーー

あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

 

    お薬ナンボ

 

私のとなりのおじさんは

大洲の生まれで よもだの伊予っ子

お薬飲むのが大好きで

ねじりはちまき 古着のどてら

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで 欝でも酒飲んで            

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

元気をつけろ 酒一杯おくれ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おじさんおじさん大変だ

どこかでサイレン なっている

入院近いよ 躁転だ

何を言っても ワッショイショイ

何を聞いても ワッショイショイ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

そのまた隣の おばさんは

松山育ちで ふっくら婦人で

お薬飲むのが 大好きで

大きな素足に ムームードレス

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで ごちそう三昧    

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

 デプロとジプが

リスパとパキシルが

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おばさんおばさん 大変だ

膵臓インスリン からっぽだ

こっそり高血糖 進んでる

何を言っても ピーヒャララ

何を聞いても テンツクツ

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

お薬飲んで 日が経って

つめたい風の 吹く夜は

入院させられた おじさんと

ヘソマワリ太った おばさんの

ほんにせつない ためいきばかり

いくら泣いても かえらない

いくら泣いても あとの薬よ

      

(2014.8.31)

 

 

 

 

今から、四年前に、一年以上かけて書いたものです。

今、今この時に、この文章の意味が、アル、というか、

分かってもらえるところが出てきたと思っています。

長いですが、是非とも、御再読くださいます

宜しくお願いします。2016/5/2 えばっちより

 

キーサン革命

極意奥伝

コレは

笠陽一郎医師の

疾病観、治療論

医療観、運動論

への批判である

 

序章 コトのはじめ頃一本の電話があった

 

この原稿は、キーサン革命極意の最終章にあたるものである。

この原稿は、おそらくは、完成することはない。

この原稿は、「りゅうさんへ、ママさん達へ、そしてハッタツ当事者さん達へ」

と、題するものではあるが、

第一義的には、

りゅうさんの「えばっちへ」に対する返答として構想されている。

副題のとうり

「りゅうさんへ 極私的自己書評 キーサン革命宣言を出してみて想うこと」

という、とうりであり、

また、「キーサン革命宣言」という本の自己的書評というか、

解題の意味を含むものである。

言い換えれば、「精神科セカンドオピニオン」が出され

「りゅうさんへ 極私的セカンド本書評 セカンドオピニオンが出て想うこと」

そして「えばっちへ」が「むすぶ」誌上において出され、

そして「精神科セカンドオピニオンハッタツ編」が発刊されたのを受けながら、

構想されている。

言い換えれば、りゅうさんの「えばっちへ」の返答の原稿を書くためには、

キーサン革命極意の本伝、外伝、別伝、真伝、併伝、口伝が、

その前段として、書かれねばならなかったという、ことである。

シンドイことであった。ただ、リクツを書いているのではない

。リクツのみは、書くことはできない。りゅうさんが、セカンド実践から、

ネットのセカンド診察から「えばっちへ」を書いたように、

えばっちは、ただただ、「前進友の会みんなの部屋」のゲンジツから

みんなのゲンジツからゲンジツから、ゲンジツから書いたのである。

ただ、書くに当たっては、早期介入の会のウンドーに、役立てんがために、

書こうとした、動機付けは、多いにある。

えばっちのゲンカイとしての「モノの書き方」なのであろう。

筆力がアレバと、想う。しかも、想っていることの、

感じていることの危機感の半分も書いて表現でき得なかった、

えばっちの筆力のゲンカイである。

 

『キーサン革命宣言』にえばっちの「極私的セカンド本書評」も

りゅうさんの「えばっちへ」も「キーサン革命極意本伝外伝別伝」も

掲載している。

今想えば、あの時何故ヒロセ氏の言を入れて「真伝」「併伝」を

落としてしまったのか、悔やまれてならない。

再校の段階では、掲載されていたのではあったのだが・・・・・・

削ってシマッタ・・・

真伝、併伝、口伝を、読んで貰った方々が、少なすぎ、

この奥伝は、さらに、理解を得るのは、ムズカシイと想い、

以上のナカマのミナサンだけに限定して、公開することとなった。

 

もっとも、ハッタツと、セカンドと、減薬実践と、

早期介入の会と、くじら会とが、あったればこそ、

再度「キーサン革命」を深められたのかもシレナイ、と、想う。

「キーサン革命極意」という題の意するとうりである。

膨大な原稿群の故、各伝の第三章だけを、読んで頂いても、可、と、想う。

別伝真伝併伝口伝奥伝の第三章を続けて読んで頂いても、

意とするところは、伝わると想う、、のだが、、、、、

ちなみに、各伝第二章を続けて、読んで頂くと、別のことが、

また、伝わるようにと、想って書いた。

えばっちのどうしようもない矛盾が、混乱が赤裸になることであろう。

が、意は、尽くせなかった。と、想う、と、残念である。

また、この原稿だけは、りゅうさんには、私信として送られている。

皆さんが読んでいるコレとのチガイは、何人かが、実名で出ているところと、

りゅうさんという精神医とえばっちという患者の

「主治医ー患者関係」的な意味合いが、含まれている部分が、

削除されているダケである。

 

りゅうさん、どちらが、先にケンカをフツカケタノカ、よく、

電話で聞いてきたではありませんか。えばっちが、答えなかったのは、

こういうわけなのです。

それを、答えるには、コレダケの原稿が、入り用ダツタというわけなのです。

キーサン革命極意の序章として書いた

「りゅうさんへ 極私的セカンド本書評 セカンドオピニオンが出て想うこと」の

一節である。

希望につながるかどうかは、不明である、と。

そしてまた、りゅうさんからは、

「病者集団をハッタツ集団じゃあいうてかき回したろうと、想うんじゃが、

えばっちは、どう想うんぞ」とも、

聞かれていたのである。

これにも、えばっちは、即答できなかった問いであった。

なぜなら、この稿のとうりであり、

これまた、即答するには、

余りにムズカシスギル問いだったのである。

つまるところ、この本『キーサン革命宣言』は、

ある種のアラーム、

ある種のリトマス試験紙であった。ブログまで作って、

発刊することを宣伝して、その反応を見ていた。

最初にアラームが鳴ったのは、りゅうさんとヒロセ氏であった。

キーサン革命極意の別伝はもう書かれていた。

8月の集会に向けて、真伝と併伝の構想も固まりつつあった。

その頃である。

編集者としての感からか、

四方ちゃんは、このまま纏めるだけではだめですよ、えばたさん、

と言いつつ、ヒロセ氏と相談の上、

りゅうさんとえばっちの座談会を企画しようとしていた。

えばっちは、これは最高のチャンスだと想った。

なぜなら、僕とりゅうさんの対談が現実化すれば、

キーサン革命極意の別伝からこの奥伝に至るまでが

書かれなくてすんだのである。

その座談会原稿は、本当に素晴らしいモノになったと想う。

今のタイミングで出ていれば、

これ以上にないものになったと想う。

ところが、この座談会に不可を唱えたのはりゅうさんだったのである

もちろん健康上の問題もあろうが、電話の内容を想い出して欲しい。

まず、

二人で話し合ったことは外にはだせんやろ、崩壊してまうやろ、

と、

ワシがえばっちに糾弾されることになるやろ、

と、

それか、ワシが刺身のツマになるやろ、

と、

そして、この座談会の話はつぶれてしまった。

そしてヒロセ氏は、

この座談会がなにゆえ成立しないのかを分かっていくとともに、

この本の出版への興味を急速に失っていった。

かえすがえすも、この座談会が成立していたら、どうだったのだろう、

か、と想う。

 

第一章 危うスギル取り組み

 

そもそも、ネットで、でんわで、FAXで、セカンドしてきたのです、

人間関係は、じっさいの顔を会わせるのは後になってきたのです。

で、その危うさが、わかっていますか・・・・

そしてそれは、タイヘンなことになる可能性だって、アルわけなんです。

まずは、人間関係ではないのですか・・・・・

精神医のセーカツは、己が診察室にあるのです。

ネットの診察というものは、本当に、ソレデ、ヨカッタノカのかドウカ

そしてそれは、相談者がネット環境にあることが前提になっている、のでした。

病者にとって、初期投資は莫大であるコトが前提でした。

しかも、慣れない者にとっては、ネットで繋がっていく最初の設定は、

どうしようもなく、壁が高く感じられるものである。経済力と気力体力が、

必要なのである。

ネットでつながれている、ということが、大前提の取り組みなのであった。

 

ムカシ、コトの始め頃のハナシ、、、、、

相当ムカシのトアル時、トアルカンジャ会からの古いナカマと、

電話で、はなしていました、アレは、何年前か、そう、

コトのハジマリに近かった頃だったと、想います。随分昔です。

えばっちは昔なじみの患者会のとある人から電話を受けていました

そのなかまは、こういうふうに言っていました。

「えばっち、りゅうさんはほんとうに危ないことを始めたで。

ワシの薬は絶対にさわらせへんで。危なすぎる。そんなこと、

えばっちも分かっているやろ。」

それに対して僕は、こう答えたと覚えています。

「そのとおりやと想う。ただ、この取り組みは、

オレの直感やけど、なんかすごいことを生み出すかもしれん。」

たしかそういうようなことを言ったと想います。ずいぶんムカシのことです。

今想えば・・・・そして、その一本の電話のハナシのとうりになっていきました。

 

さて、精神医のセーカツであるところの

診察室での「主治医ー患者関係」の破綻と、

「ウンドー上の要請」の関係については、

実は、「セカンド実践と減薬」において、「医の倫理」として、

想い直さなければならないんですよ。三点モンダイが、あります、

少し、意味のチガウ問題点です。

 

まず一点目は、というのは、その名の通り、

セカンドはセカンドに過ぎない。

ファースト医と言うが、それは自動的に主治医であり、

もし「主治医ー患者関係」の中で信頼感が少しでも芽生えていた場合に、

その主治医=ファースト医の処方が客観的に余りに酷すぎたとしても・・・。

或いは、クソたわけた医者だとしても、

そこに本人と主治医との「主治医ー患者関係」が、

まがりなりにも、成立していて、その主治医を、信頼している場合、

ドウスルノカ、あっさりあっさりあまりにも、

あっさり壊してきすぎたのではないのか、、、、、

ドウスルノダ、本人にしてみれば、ママさん達が、

ネットでさがしてきた、ワケノわからない医者に、

また、かからなければならないのだから・・・

そこを、親の意思だけで押しとうすのか、そこに、、、だからどうするのか?

そこをスルーしてママさん達も、セカンド協力医タチも、

セカンド支援者達も、安易にやってきたように想う。

われわれが、正しいのだ、と、想ってやっていることこそに、

落とし穴が開いている。みんなの部屋では、

キーサンナカマのなかでは、どんなに、クソたわけた医者であっても、

対立関係にある医者であっても、

なかまが、信頼してその医者を主治医にしている場合は、

当然、いろいろ配慮することになる。アタリマエである、

京都で、長く、せまクルシクやってきたのである。

手帳推進の医者達を、その故にイテコマ回してしていたら、

ナカマたちが信頼して通っているクリニックの医者達の大半を、

ブチ回しすることになってしまう。そんなことは、できなかったのである。

やるにしても、慎重さを要するのである。ハラが立つのではアルガ・・・

 

二点目はダレのためのナンのためのモノなのか、

再度、想いなおすべきと想う。

 

減薬に成功して、患者は精神科拷問課から、離れて生きました

精神分裂病と言われたことにずつと、傷ついていきてきました。

セカンドうけて、ハッタツ障害とわかり、長年の違和感が拭い去れマシタ、

クスリも順調に減っています。ありがとう、みなさん

ファースト医もセカンド医も、ママもパパも、恨みながら、

クスリは全くゼロになり、この三年間は、悪夢として、忘れていくツモリデス

良い彼氏もできて、今は幸せです、あれは、悪夢でした

シゴトにも挑戦する予定です。

減薬に六か月ほど、苦しみましたが、今はすっかり良くなり

医学部に入り直して、精神科医として成功しています。

減薬には成功しましたが、患者は、死にました

減薬に七年苦しみましたが、なんと、八年目にして、楽になり、

大学に行くようになりました

息子は減薬にクルシミ抜き、ワタシは三年であきらめ、

息子は元の主治医に戻りました、が、

三年であきらめるとはナニゴトゾと、言うて責められるので、

ああーー信じられなんだ、セカンド医様を信じきれなんだ

ワタシが悪いんです、

ワタシガワルインデスワタシガワルインデスワタシガワルインデス

手術には成功しましたが、患者は、死にました

ガンなので、抗がん剤を処方して、患者は苦しみぬいた揚句、

死にました

ガンなので、抗がん剤を処方して、患者は苦しみぬいて、

五年生存しました

ガンなので、抗がん剤を処方して、患者は苦しみぬいて、いたので、

抗ガン剤治療止めたら、患者は楽になった上に、

十年生存しました

ガンなのですが、まったく治療しなかったら、、、、、

患者は、けっこうたのしくやって長生きしました、が、

論文にはなりませんでした

小学五年でクスリを盛られて以来、

わたしには、中学時代も、高校時代も、なんもありませんでした

セカンド医様につれていってもらって、十年もクルシミましたが、

今は、クスリもゼロになって、絵を描いています。

なんで、ママ、あの時精神科に連れて行ったのかなぁぁぁーー

減薬にとりくみましたが、失敗してしまいましたが、

患者はけっこう楽しくやっています、が、

セカンドウンドーの宣伝には、なりませんデシタ

ファースト医もセカンド医もサード青年も、ママも、好きなこと言って

無茶苦茶するので、

自分の人生なので、自分なりにやって、今は、インドにいます、

わたしは、このアシュラムのグルの七番目の妻になる予定です、

インドに来たら、かつてにクスリがぬけました、コレってナンナの

わたしのリストカットに驚いてママたちが

結託して精神病院に連れて行ってしまい、

たっぷりとクスリを盛られてメチャクチャになってしまい、

そしたら今度は、ワケノわからないネットでセカンドするという

医者につれていかれ、

今度は、クスリを抜けと言われて苦しみぬいた揚句、

再度、ママたちが呼んだ医師免許ももっていない

ワケノわからないセーネンが来て、クスリを飲めというので、

また薬を飲まされました。誰も、私の意思を聞いてくれません。

わたしはとうなるのでしよう。

こんなことなら、最初の病院の受付の看護婦さんが、

一番わたしのハナシ聞いてくれたかなぁぁぁーー

ワシは、三十年閉鎖に入れられて、やっと出られるには出たんやが、

クスリが多すぎて、外でのアパートセーカツなんてできやせんので、

精神病院に戻ってきたけんど、

いきなり、セカンドとかで押しかけられて、

クスリを減らす減らさんで、もめとるうちに、

SIADHたらいうもんで、死んだわ、

今は、精神病院の共同墓の中よ

ここが、一番楽よな。

ワシの人生はなんやったんじゃろなぁぁぁ、

それにしても、死んでも死にきれんの、

墓が精神病院内の共同墓よな・・

ワシは、はや還暦になってしもた、

セカンドなんてものは、若いもんにシたれや、

ワシのことはほっといてくれ、今までも、ホッテおいたんはオマエらじゃ、

偉そうに精神科セカンドとか言いさらすな、

ワシのセーカツには関係ないわ、、

それよか、この病院の飯をナントカしたれや。

この間クソ生意気な新入りの若いのが、

生意気な若い看護士に殺されよったぞ、、

ここでは、ここの生き延びる智慧いうもんが、あるんじゃ、

看護士様は神さんなんじゃから、さかろうたらアカン、

医者に逆らうなんてことは、もってのほかじゃ。

ワシもそいつ、看護士様と一緒にイビッテ、

そいつの飯の半分は、ワシが喰うタッタ、

コレガ、生きる智慧いうもんじゃあーーここで八十八まで生きてやる

ワシはのぉぉぉ、弟を殺してしもうて、

キチガイじゃあ言うんでココに入れられたんじゃが、

誰ぞワシのセカンドしてもらえんかの、もう三十年じゃが、

なんで、ワシは刑務所じゃのうて、ここにオルンカノォォォかのぉぉぉーー

罪つぐのうて、新しい人生生ききたかったのぉぉぉ

セカンド受けて、ママと一緒にがんばって、良かったです。

今は、すっかり、ナンニモなく、大学に入り直して、

福祉関係の博士目指しています。

あたしの人生やっと、右肩上がりかな・・・・

ワタシは信じてます。セカンド医さまを信じています。

娘がどんなに苦しもうともクスリを抜いて見せます。

3年であきらめる母親が悪いのや。ワタシは10年かけてもやります。

やり抜きます。クスリ抜くのはツライのは当たり前じゃぁあぁぁ、

その先に未来が、あるのや、セカンド医さまを信じて見せます。

お母さん、あたしの人生はどうなるの、

お母さんがクリニックに連れて行ったのが始まりよ。

あー信じ切れなんだ信じきれなんだ、

セカンド医さまを信じきれないで、いろんなくじら会を巡って

混乱してしもうたワタシが悪かったんです。それにしても、

どっちもどっちのセカイかなぁぁぁーー

もう疲れた、疲れましたわ、ファーストだろうがセカンドだろうが

サードだろうが医者っていうのは自分の意見を押しつけやがる。

もうこりごりや、ほっといてくれ。

あー良かったです。セカンド医さまに巡り会えて良かったです。

長年、精神分裂病と言われていることに違和感を感じていました。

僕はアスペルガーだったんですね、良かった。納得しました。

でも実際はクスリはなかなか減りませんね。

いやーまいったまいった、何がハッタツ障害なんや。

精神分裂病で良いんです。納得してるんです。

統合失調症とも言われたくありません。精神分裂病で良いんです。

納得しています。でもホンと、クスリはむちゃくちゃ減りました。

一日3錠しか飲んでいません。良かったです。

おれはよ、ちょっと摂食障害になってリストカットしたら、

おとこのくせにめめしいっていうんで、

学校の先生をやっているママが大あわてで精神病院に

連れて行ったんじゃないのか。そこの精神病院とそこの医者に

やっと慣れたと想ったら、今度はいきなりネットで知り合った

訳の分からない医者にかかれと、またまたおれに指図よ。

そして今度はクスリを減らすんだとよ。

おれにクスリ飲ませたのはママ、アンタだ。

オレ、別居しているパパんところへ行くぜ。おれのことは、

もうほっといてくれよ。バイバイママ。やっと、解放されるぜ、

パパ、いや、親父よ、オレと一緒に住もうぜ。おれ親父のこと、誤解してたよ。

ワシは、この病院に四十年もいるが、医者に診てもらったことナンテないぞ、

ナニがセカンドオピニオンなんや、アホ抜かせ、

ファースト診断も主治医医者もなしで、ここに四十年よ、

こんなことは、エエンカ、こっちを先にナントカしたれや、

おいおい、このあいだも、入院してきた若いのが、

止せばいいのに看護士に逆ろうて、

保護室にぶち込まれて電パチかけられとったぞ。

だいたい看護士にも医者にも逆ろうたらあかん。

ずいぶんむかしやが、威勢の良いくちばしの黄色い若いのが

医者にさかろうて、

その医者に後ろから飛びかかられて殴り倒されたあげく、

首を絞められとった。

一年間おって、ナントカ退院してイッタが、

あの若いのはナニしとるやろ。

ここで40年も生きるにはそれなりにコツがいるんじゃ。

ワシはその道のプロよ。だから、その若いのに手取足取り教えタツタ、

ほんで、ここで、一年間生きられたようなもんよ。

ここにゃあ、

法律なんてモノはないんや。看護士が法律よ。医者が神さまよ。

これでええんか、こっちを先にナントカしタレよ。

新しくもうここに入院させるな。ワシが病院の入り口ベニヤでふさいだろうか。

そしたら、だれも入ってこれんワイな、クソツタレ

中学の卒業式は、閉鎖病棟に入れられていたので、

出られませんでした、だから、中学中退です。

不登校引きこもりという前に、

中学の大半を精神病院の中にいたので、学校に行っていません。

だから中学中退です。いろいろあって、

クリニックのデェイケアに行って落ち着いてくらしていましたが、

このところデェイに来る新人通所者とは、

そりが合わず、スタッフ達もそちらにばかりイロイロあるので、

行くのを止めました。アパートにいることが多くなりました。

これが、引きこもりですかね。

まだ四十だというのにアタマは真っ白になっています。

ぼくの人生はナンダッタのかなぁぁーー

 

さてと、いいかげんにしろよ、と、叫ぶ、声がスル

大概にしろよ。いったい、なんのための誰のためのセカンドなんだい。

おのが医療論や疾病論の正しさを証明するためだけのようなセカンドは

もうやめてくれ。

薬を大量に突っ込まれて苦しむのも当事者なら、

減薬で、退薬症状で苦しむのも当事者じゃないか。

先ずはその苦しみをどうにかしろよ。

その苦しみの始まりは、親に精神科に連れて行ったところが、

始まりじゃないか。だから、入り口を塞ぎに来たのだ。

こんな苦しみの、拡大再生産をどこかで止めるために。

 

当事者のセーカツの質のモンダイを

本人の人生のライフサイクルのモンダイも

本人の人生での楽しみのモンダイも

考え直してみたらどうだろうと想う

きつーい抗ガン剤を使って副作用に苦しみながら

のたうちまわって7年生存する患者のセーカツの質って、なんだろう

ガンの病変部を少しでも小さくすることと、

患者のセーカツの質はどこかでバランスを取らないと

本人の人生ってなんだろうと

想うことがないだろうか

ママさんたちにクリニックにつれていかれて

10年間増薬につぐ増薬で苦しみ

その後今度はママさんたちにセカンド医につれていかれて、

減薬につぐ減薬で10年間苦しんだとする

この本人のセーカツの質ってなんなんだ

正しい診断、正しい減薬方針であったとして、も、

10年も苦しんでいては

最初の腐った主治医の出した薬の1割か2割でよって、

セーカツを楽にし

当人の想うところのセーカツの質を担保することは

そんなに悪なのだろうか

本来ならば薬がゼロになる患者を

1割、2割、3割薬を残して

ただ今現在のセーカツの質を求めることは

そんなに罵倒されるべきことなのだろうか

確かに減薬に取り組んで12年目に薬がゼロになって

雲が晴れたかのように楽になれたかもしれない

それを10年目であきらめるのか

言われるかもしれない

どっちを選ぶか、本人に聞いてみてはどうだろう

本人の年齢や家庭環境や本人の嗜好など

総合的に勘案すれば

薬ゼロを目指すということだけがセーカツの質を

高めるだろうか

本人の意向をまず聞いてみてはドウダロウ

 

コノママデハアルシュ、ジンダイジッケンニナッテシマッテイルゾ

医療とはナンナンダロウカ

治療とはナンダンダロウカ

治療と患者のセーカツの質は相反する場合もあるのではなかろうか

医療とはナンナノダロウ

 

とうしつ論者たちも

ハッタツ論者たちも

同じように、まちがっている。

前提として、正しい診断、正診が、あるとの前提である。

えばっちに言わせれば、この世の精神科ナルものに、

ソンナモノは存在しないことを明言する。

診断は、患者自身がする、己のために

あるいは、患者が、集団で、いてるところ、

すなわち、患者会のなかまたちがする

親も医者もカウンセラーたらいうのも、したら、あかん

患者自身が己のために、するんや。

どちらにしろ、おのが正しさを証明することのみにやっきになって、

症例検討タラ

セカンドタラ

病者の人生を台無しにスルンジャない

いまや、そんなことでしか、論争できナインだったら、

以下の三点目も含めて

医師免許保持でないモノは

「診断的セカンド」からは、撤退すべきと、えばっちは、想ってしまう。

 

診断は、もうこれ以上、キーサンには、してもらいたくはない。

診断されることに、我々は、もう嫌だと、もう辟易したと、

拳を振り上げて、言おう。

そう言おうではないか。

診断には、もう、さんざんなめにあわされてきたのだから、

コリゴリダと。

念を押しておくが、ハッタツ障害も、我々キーサンにとっては、

診断である。

ハッタツ障害は、疾病ではないので、診断ではない、

などというリクツが、

患者側に、真に理解されるわけはない。

ハッタツもとうしつも、診断される側にとっては

診断以外のナニモノでもない。

診断されるのは、もう、嫌なのだ、、、、どちらにしても、、、

なぜ、わからないのか。

これ以上、ワシラを苦しめて、どうするのか。

ワシラを楽にしてくれやゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃややややぁぁぁぁぁぁーーーーーやぁぁぁぁぁーーーーーーーやややややややややぁぁぁぁぁぁ

ややややややややややややややややややややややややややややぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁー

ああああああああああああああと、

叫びたい。

少なくとも、

ファーストも

セカンドもサードも、

ワシラの人生をこれ以上

破壊も阻害も虐待もして欲しくない

だから、患者会側に近い医師免許を所持していないものは

「診断的セカンドやサード」から、撤退すべきだと、想う。

 

診断ではないのだ

診断を求めているのではないのだ

当事者の立場に立った、当事者を楽にするための助言でいいではないか。

もう診断などということは、やめてくれ

その診断トヤラデ、どれだけの病者が傷つけられてきたことか

それは

ハッタツ論者にもとうしつ論者にも、言えることだ

診断をするのは、もう止めてくれ

これ以上おれたちを傷つけるのは、止してくれ

そう、そして

こういう視点も、今や必要なのではないかと、想うのだ

これまで切り拓かれてきた

「医者的セカンド」「診断的セカンド」が、アルとして

ソコに必ずしも、こだわることはないのではないか

そう

「患者会的セカンド」「キーサン的セカンド」「キーサンなかま的セカンド」

だってあるのではないか

だったら、それは、これまでも、なかまとして、やってきたことなのだが・・・

そう、これまでも、

ある種「患者会的セカンド」が、あるとしたら、

患者会としてやってきたそのものが、

精神医療に対するキョーレツな異議申立ソノモノだったのだから・・・

だから今度は、パワーアップするのだ・・・

相互にパワーアップするのだ

りゅうさんの稀有な「医者的セカンド」「診断的セカンド」の立場に

キーサン患者会のような

「キーサンなかま的セカンド」や「当事者的セカンド」

の立場もアって、相互に補完とチェックとパワーアップスレバヨイのだ

「診断的セカンド」と「助言的セカンド」

「医者的セカンド」と「当事者的セカンド」と「ママさん的セカンド」

診断的セカンドとなかま的セカンドと、

相互に得意なところを補完しあったら

良いのだ。

診断的セカンドとは、クスリのことと病名診断鑑別がモンダイになると、

それは仕方がない、医者的セカンドなのだから。

なかま的セカンドや患者会的セカンドはそこに重点を置かない。

我々にしか出来ないセカンド、

つまり当事者本人の意向がどれだけ尊重されているのか

そこに重点を置く。ママさんとパパさんと息子さんと娘さんが、

どれだけ意思疎通できているかに重点を置く。

ママさんと本人とセカンド医との意思疎通に重点を置く。

本人の意向と家庭環境と経済環境に重点を置く。

特に経済環境は重要である。

減薬に苦しむ娘や息子をママさんが24時間介護できる経済力が必要である。その環境に無く、突入して、任意入院なら良いが、措置入院されたら・・・・

そういう条件にあるのかないのかが、別かれ道である。

逆に言うなら、ママさんが専業主婦として娘や息子を24時間介護でき、

それが数年続いても、何とかなるだけの経済的環境と、

つまりパパさんの稼ぎが良いと言うことと、

その状況に耐えうるご自宅に住んでおられるのなら

しかも、娘さんや息子さんが若ければ若いほど、

なおかつ、精神科の毒薬におかされた期間が短ければ短いほど、

ムリしてでも減薬に取り組む意味はあると想う。大いにある。

それにしても、ママさんと本人の意向がバツティングしたら、

キーサンは患者本人の立場に立つ、今まで、やってきたことと、

おんなじだ

患者会的セカンドとは、

これまでのキーサン患者会のセーカツとウンドーのまんま、

そのまんまだ。

本人の意向が聞かれることなく、強制的に精神病院に連れて行かれ、

精神分裂病と診断され、強制的にクスリを飲まされたのだ

本人の意向が聞かれることなく、強制的にセカンドに連れて行かれ、

ハッタツ障害と強制的に鑑別され、強制的にクスリを減薬されたのだ

まずは、本人の意向が尊重されねばならない、家族の意向でもなく、

医者の意向でもなく、学校の意向でもなく、社会の意向でもない

まずは、本人に聞いてくれ

本人のためだと称し、愛に満ち溢れ、正診なら、

誤診誤処方から本人を救う正義の好意と行為なら、

本人の意向を聞かなくても良いのか、後回しで良いのか

いっぺん、すこし、このこと、かんがえてみてもらいたいのだ・・・・

実はセカンドが成功したと言うことは、セカンドをやる医者の

さじ加減の腕の確かさと、ママさんと息子さん、

もしくはママさんと娘さんと間の意思疎通が上手くいっているか否かに

、かかっている。加えてママさんとパパさんの意思疎通に。

そして、セカンド医と主治医の意思疎通に。

それに加えるなら、暮らし向きの良さである。経済力である。

この4つが揃った時にセカンドは大成功をもたらすことが多い。

ように、想われてしかたがない。もちろんセカンド医の減薬の

腕の確かさと。。。。

 

もう一つのモンダイは、

三点目は、特に、医師法違反、医事法違反、薬事法違反に

問われるような事態は避けておきたい

だから、言いたくなかったけれど、「医の適法性」としても、

ゲンジツとしても、非常にシビアーなモンダイを提起してしまっているので、

訴えられないためにも、医師法違反、薬事法違反、

で、足元、掬われたくないでしょ。つまり何が言いたいかというと、

セカンドオピニオンという取り組みそのものが、

非常に危ういものの上に成り立っている特に、

医者でないものが診断をすると言って、運動的な側面から行う場合、

その倫理性は、患者会が担保するとして、その適法性は、

もう仕方がないので、現行のニホンの法律に合わせて行うしかない。

なので、それは診断ではなく意見とした方が良いのかもシレナイ。

その故にこそ、倫理性を担保するところの患者会と一緒にやるか、

くじら会のシビアな減薬を経てきたママさん達と一緒にやるしかない。

だから、敢えて言えば、医師免許所持者は随分楽だ。

楽だけれども、その医師免許所持者達のセカンドを、

セカンドの倫理性を担保しているのは、患者会と一緒にやるか、

くじら会のシビアな減薬を経てきたママさん達と一緒にやるしかない。

これは、心配性だから言っているのではない。

キーサン患者会は、悪意に満ちた敵に囲まれて生き延びてきたからこそ、

心配しているのだ。

口伝で書いた笠セカンド被害者の会達が、

旧全家連の池原弁護士とでも組んで、何かやってきた時の、

敵の攻撃にも備えておかなければならない。

 

おれたちは、闘い続けてきた

腐った精神医療トヤラを叩きつぶすため

オレタチは闘い続けてきたんだ

精神科医という腐った人種を絶滅させるために

オレタチは闘い続けてきたんだ

これは、人種絶滅とうそうである。

キーサン人種がコロされ続けるのか

精神科医という腐った人種を絶滅させるのかの。

精神分裂病と診断して人を精神病院に収容する

腐った世の中を叩きつぶすため

おれたちは

おれたちの患者会がゼロになるために

精神病の新患が、もう出ない、そんな世の中のために

闘ってきたんだ

 

なるべくたくさんの人を救うためにも、考えなければ、、、、、

考えてほしい、と、想う。

 

敵対矛盾と内部矛盾ではないか

敵対矛盾と対決していくのに格好の槍の穂先はハッタツ論者だ

でも、それに急ぎすぎて、内部矛盾を、

内部矛盾として、異論を出そうとしているとうしつ論者を叩き潰してしまう

とうしつ論者は、今度は、内部矛盾に気を取られすぎて、

敵対矛盾を

ドコとナニと対決しているのかを、忘れてしまう。

ナニヲヤッテイルンダ

敵対矛盾と内部矛盾か、古い言い回しだなぁぁぁ

こんなこと言ったって、誰も聞きやせんか

 

第二章 入り口を塞ぐ 怨念と友に

怨念は二つあります

 

だから、入り口を塞ぐ取り組みなんですよ。

外側から入り口を塞ぐ

中側から入り口を塞ぐ中から塞ぐんですよ・・・・中から・・・・・

内側から。。。。内側から塞ぐのです・・・・・

内側に、中にのこるモノは、少なければ少ないほどいい。

だから、うまくいく、割合にこだわっているんですよ。

七割と三割なら、三割のなかまは、中に残ったまま、

中から入り口をふさぐことになるんですよ、それでいいんですか、

だから、七割であっては、困るんです、

八割に、九割に、九割八分九厘にならないと・・・・そして、

残った一分一厘の我々キーサンカンジャ会が、

内側から、入り口を塞ぐんですよ。

このことの意味が分かっているのかどうかを、

他の皆さんに問いたいわけなんです。

セカンド協力医も、長らく精神病者の人権運動に取り組んできた

皆さん達にも、不登校引きこもりの皆さん達にも、そこは、もう少し、

剣に、想って欲しい所なんです。35万人も入院している中で、

入り口を中から塞ぐと言うことの意味・・・。

えばっちにとっては、コレまでの25年間のキーサンとしての

生き方と運動の

180度的転換なんですけど・・・。

勿論、キーサン患者会として、出口を見つける運動は

セーカツの一環として、

とりくみつづけます。デモそれは、もはや、

上手くはいかないことは分かってきたし、味わってきました。

電気ショックすら廃絶することに失敗したのです。

全開放の病院が閉鎖病棟の病院に、逆戻りしたのです。

老齢化した病者は、シャバで、10年か20年暮らしたら、

精神病院に戻って、ガン箱退院するしかないのです。

だから、前進友の会のなかまたちは、

ここ5~6年退院者よりも入院者の方が多いのです。僕たちが、

週に2回も岩倉病院に行くわけです。

ムリヤリ出口をみつけるウンドーも出口をつくろうとするウンドーも、、、、、

本当のトコロは、、、、どれだけやつてもやってもやつても

電気ショック一つ廃絶できなかつた、、、、、、だから、といって、

絶望して、終わり、、撤退、、、というわけにはいかないのです

みんな生きていかなければならないのですから、、、

だから、コレまでのウンドーはセーカツとしてし続けて、

そして、そのうえに、

「入り口を内側から塞ぐウンどー」に後半を掛けようとしているのです。

絶望しているからです。

絶望が深ければ深いほど、、そして、実際にてってー的に

出口をみつける

ウンどーをてってー的にやってきたものこそ、ココに、、、、

「入り口を塞ぐしかない」にたどりついてしまうのかもしれません、

哀しいことですが・・・・

 

そのことに一番近いのは、嶋田さんがいた、んです、

らい予防法を廃止する法律が、出来よう、実施されようとされている、

まさにその時の、そこが一番近いのです。

嶋田さんに学ばなければなりません。医療的には、

新しい患者は出ないのだから。

ハッタツ障害シカないのだから・・・新患が、でないのだから・・・・

だから、そこは、そこにいる人たちは、ガン箱退院したら、

そこはなくなるのです。

逆だ、なくならなければなりません。それが、

キーサン患者会の究極の目標なんですから・・・・

キーサン患者会が滅んでいくというのを、併伝で書きましたが、

その意味するところです。

この「哀しみ」を本当にママさん達やハッタツ当事者達や

医者達がリカイしているとは

想えない・・・・この「哀しみ」を・・・・・

 

つまり、入り口を塞ぐ運動を展開する場合、

ママさん達も、ハッタツ当事者達も、医療従事者達も、

それから不登校や引きこもりのことをやってきた

当事者や支援者の人たちも、外側から塞ぐとシカ想っていない、と、想う、

だ、けれども、キーサン患者会は、キーサン患者会のみは、

現在入院中のガン箱退院を待つしかない35万人のなかまたちと共に、

内側から、内側から、中側から、中側から、

内側から中側から、

中側から、入り口を塞ぐのだ

ということ。

これは、当会副代表の嶋田さんは、どういう意味合いか、

腹の底から、

わかっておられることだと、想っています。

我々の中で、唯一のコレの経験者なのですから・・・・

新患は、もうでないのです。

新患がもう出ない、カンジャ会なのです、我々は。

新患が、もう出ては来ない病気のカンジャ会なんですよ、

キーサン患者会というのは、、、、りゅうさんとヒロセ氏は、

嶋田さんに聞くべきだったのです。

新患が出ない、あってはならない病気の患者会が、

どんな心持で、

全員が死に絶えるまで、

どんな心持で過ごすことになるのかを・・・

逆に言えば

もう、ただの一人も精神病の新患を出さない世の中にするために、

闘ってきたのです、キーサンカンジャ会は。

だから、究極の勝利は究極の敗北と共に、

あるのです。

新患がない、出ない、出なくするために、たたかってきたのです。

新患が出なくなったときに、我々のカンジャ会は、究極の勝利と、

敗北を

手にすることが出来るのです。

それは、もうすぐ、そこに、きているのです。

そうなのではありませんか。

精神病などというモノは、無い、のですから・・・・

ハッタツ障害、ハッタツ特性、という、モノしか、ないのですから・・・・

だから、滅びていくがわの、本当に新患が一人も出なく、

なかまが最後の一人まで死に絶えるまで、

どんな想いで我々が過ごすことになるかを、

りゅうさんもヒロセ氏もあなたがた二人とも、

その一番親しい近しい一緒にやってきたなかまの気持ちに、

ドロ足で踏み込んだのです。

ドロ足で踏み込んでおいて、

正しいのだから、支持されるのが当たり前だと

考えていたのですか。

あなたたちは、人の気持ちが分からないのですか。

分からなかったなら、いま、その気持ちと向き合うしかないのです。

 

さてそこで、もう一つは、ママさん達の怨念です。

ママさん達が言わないのに、えばっちが、言ってしまうのは、どうかと、、、

想いました。

またもや、自作自演自縄自縛自業自得のセカイですから・・・

でも、ママさん達の怨念こそが、早期介入ハンタイの会のパンフを、

つくるのだと、想っていますので・・・・・・・

「あの時、何故私は息子や娘を連れて精神病院に行ってしまったのだろう。」

「何故あの時、最初の診察で精神科医にあれほどの違和感を感じたのに、

息子や娘を連れて帰らなかったのだろう。」

「クスリを飲めば飲むほど娘や息子は具合悪くなっていったのに、

どうして飲ませ続けてしまったのだろう?」

「あの三回目の外来の時、あの医者の冷たい目をみてて、どうして、

あの時、引き返してこなかったのだろう」

「ああーー、このパンフレットをあの時に、見ていたら、違ったカモシレナイ。」

「何故あの時、このパンフレットがなかったのだろう?」 

「あの時に、このパンフレットさえあれば・・・。見ていれば・・・。

見ていれば・・・・。。。違ったカモシレナイ。」

 

そう、このパンフの原動力というか、

パンフによって、増大されるのか、

それとも、昇華されるのか、、、、とにもかくにも、、、

《ママさん達の怨念》です。

えばっちは、ソレは言うことは、できませんでした。

でも、当会が、ああいうパンフをこしらえるのだとしたら、

このことこそが、このママさん達の怨念こそが。。。

当会の強み、だと、想いませんか・・・・・

 

でもまぁ、当日、そう、何人かお酒も飲まれていましたし・・・・・

ママさん達の怨念を、えばっちが、言うのも・・・

と想いましたので、やめました。

やめて、よかったかもしれませんね。

今頃、文章にしています。

 

もし、このママさん達の怨念が、ホンモノなら、、、、、

だから、当会が、主体で、出すのなら、ママさん達に聞けばいいわけです

クジラ会のママさん達は、体験者なんですから・・・・

怨念がアルわけですから。。。。。

書いて貰いたいのです、ママさん達の怨念を

実際、連れテッチャッたワケなんデスカラ・・・

その時、どんなパンフがあったら、思い止まった、だろうかと

その時、まさに、その時、ドンナモノがあったら、

思い止まったであろうかと

もちろん、パンフだけでは、思い止まれないわけですが、、、

思い止まるキッカケになるパンフだとしたら、

ドンナモノが良いだろうか。。。。

ママさん達は、知っています。

 

そして、そのパンフレットが出来上がったとき、クジラ会の

ママさん達含めて

当会の中に、血流のように、そのパンフレットは、流れていくのです。

早期介入のハンタイの会として、はじめて、運動体として、血潮が

全体に流れていくのです。

その時こそ、ママさん達が、

「早期介入問題」と「早期介入問題を考える会」の意味が、

腑に落ちるハズなのです。

精神医療への入り口を塞ぐウンドーの意味が・・・・

クジラ会のセカンド実践から、入り口を塞ぐウンドーにまで、到達するのです

行こう、行くべきだ、なんとか、やろう。。。になるのです

キーサンカンジャ会は、そのツモリで、ハラをくくりだしています。

究極の勝利と究極の敗北を目指して・・・

 

 

第三章 まずは、価値の転換をやったのだ、

それが、再転換されそうなのだ、だから、ヒドい結論・・・

折り合いがつかない、、、、、だから・・・・

 

まずは、価値の転換をやったのだ、キーサンは

それは、健常者社会の価値をキーサンの哀しみと怒りと咆哮から大胆に、

必死になってやったのだ。

その核となるコトバがキーサンなのだ。キーサンをキーワードに

我々は新しい価値と文化を生き延びるために、

ムリヤリ生み出してきたのだ。

それが働かない権利だったし、

反社会復帰だったし、

ヤぁーマイペースだったし、ニクマンだったし、

よもだにいきるだったし、

わしらの街じゃあだったし、ひとりぐらしの唄だったわけだ。

だから、

病者無為無策無職無学歴低学歴無資格無能無才能無認可

無法無収入低収入、

ワシはナンニモできん、

ただ寝てるだけ、

無趣味、

こそが素晴らしく、

それに比べたら

健病者有為有策有職高学歴多学歴有資格有能高才能有認可

適法多収入高収入、

ワシはナンデモできるぞ、

活動につぐ活動、多趣味

なんぞは価値が低カッタのである。

患者会においては、

大学卒より中学中退の方が偉かったのである。

バンバン人のためと称して動けるやつより、

シンドイんやぁといって

寝てるやつのほうが偉かったのである。

それをキーサン文化という

 

そしたら、再転換がなされるようになってしまったのだ。

なんというか、ハッタツ障害と言うコトバをキーワードに

減薬に努力するものが、正しい、という、

ようなことになってしまったのだ。

つまり右肩下がりよりも右肩上がり、

無為無策よりも努力、

減薬の努力をするモノこそ正義であり美しく尊い、

減薬をシナイモノは大バカ者かダワ坊だ

セカンド的意味合いにおける積極的に治療する

=セカンドを受けて減薬に取り組む、

そしてクスリをゼロにして、大学に入り直す、

資格を取る、自分の才能を最大限に生かすことが価値であり、

勝ちであるというような方向が、すすんでいった。

 

そもそもセカンド実践そのものが、減薬への努力、

減薬の成功という右肩上がりに基準を置いてしまった。

これは、健常者文化である。成功モデルが基準なである。

我々キーサン文化は逆である。

つまり、

上手くいかなかった3割の方が基準なのである。

減薬が上手くいった者より上手くいかなかった者、

就労できたモノより就労できなかったモノ、

メシを作れるモノよりメシを作れないモノの方が

基準なのである。

そのキーサン文化の方の視点から言えば、

減薬を上手くいった方ばかり宣伝されるのはクルシイのである。

我々が感じているのは、まさに、健常者ふうの、

親の会の、医者の会の、

減薬競争、社会復帰競争、就労競争、就学競争、

といったような我々が今まで闘ってきた右肩上がり路線に対する、

ナントモ言えずシレン、どういうたらいいのかなーー、

クルシサとイヤーーーな感じなのである。

もっともただ、セカンド実践としては上手く行った方を宣伝したいのは分かる。

誤診誤処方を指摘するのが基本方針だからである。

だがそれは、キーサン文化のセーカツとは対立するのである。

こんなことは、少し考えれば、誰にでもが分かることである。

ある種、ウンドーとセーカツの対立である。

そして、ウンドーとセーカツが対立したらセーカツを優先させるのは

キーサン文化の基本である。

だから、ウンドーの方を優先すると、

キーサン患者会はどこのだれと対立してきたのか、

という言い方になる。

我々はその問いに答える前に、

キーサンとしてセーカツするのである。

もちろん今までの精神医療に対決する意味で

ハッタツというキーワードは素晴らしく斬れ味の良い

道具であるのは

間違いない。

そしてまた、クスリは少ない方が良いに決まっている。

でも、このハッタツというキーワードは

キーサンが血反吐を吐く想いでドウしようもなく生き延びるために

無理矢理作り上げてきた価値と文化の体系を

根底から根こそぎひっくり返し、

結果として健常者文化の新たな再生と延命につながる危険を秘めているのだ。

すなわち、建病者の右肩上がり人生と社会復帰路線、

そして、親の会の右肩上がり路線と社会復帰路線とに、

新たな理論的支柱を、与えたことになるのだ。

クスリがゼロになって社会復帰を目指す親と建病者が、

たとえ七割になろうが八割になろうが九割になろうが、

我々の文化にとっては、『例外』なのである。『例外』そのものだ。

我々キーサン文化は、

クスリがゼロにならない右肩下がりの人生そのものに、

基点を、原則と基盤をおくのだ。

当たり前だ。

だとしたら、ハッタツ障害というものは、

我々にとっては、ただの『例外』なのだ。

たとえ、それが九割八分九厘にナッタとしても。。。

だから、キーサン患者会にとっては、

この危険性は重々理解してこの道具を使うか、

もしくは・・・・・もしくは・・・・・・

 

なので、またまた、価値の再再転換を目指しているのだ

それが、実は

「キーサン患者会は滅んでいく」ということになるのだ

つまり、我々は滅んでいくのだ。

なぜなら、ハッタツは診断ではないので病気でもないので、

患者会と言うことはあり得ないのだ。

患者ではないのだから患者会とは、もう言えない。

つまり、もう精神病というモノ、はほとんどないので患者会は無くなる。

もちろん、当事者会はあり得るし、これから先絶対に必要なモノだ。

精神病はキチガイと言われてきた。だから我々はこう言い返した。

ヤクザがヤーさんならワシ等キチガイはキーサンやと。

だから、キーサン患者会なのである。

ハッタツ当事者達は自らどう言い返すのか決めたらいい。

イチバン単純なのは、

ヤクザがヤーさんならワシラハッタツ当事者はハーさんだ、である。

ならば、ヒーさんもアーサンもエーサンもじーサンもフーサンもあり得るだろう。ただし、何に対して言い返すのだ・・・・・・・・・・・・・・・

もし、価値の再転換がなされるようならば、ハーさん達は市民である。

もし、クスリがゼロになり、才能や趣味が生かせて学歴も高いのなら、

立派な市民になれるではないか。

学歴なくとも、才能とハッタツ特性が生かせたら、立派な職人さんである。

もしくは高尚な趣味の良い芸術性にあふれた趣味人か。

そしたら、それを辞めておけと止めるわけにはいかない。

なぜなら精神医療の被害者ではあるからだ。

その被害から脱却して市民を目指す者を否定するわけにはいかないのだ。

なので、七割は上手くいくのだから、

もう精神医療から離れて、市民になって貰いたい。

モンダイは半端者センセイ五職になるか、

あるいは自ら被害を受けたおとしまえをつけるために

ウンドーとして残ることを決めたハーさんフーサンヒーさんアーサン達である。

ママさん達である、専門職たちである。

そのあなた達は、我々ハーさんこそが実はキーサンだったのだ

という決定的な「すり替え」と欺瞞と改ざんと

価値の再転換をやる可能性がある。

病者集団の新世代達はおそらくそれを狙っている。

おそらくは、そう考えてはいないトシテモ、流れとしてはそうなるだろう。

となると、雪崩を打って病者集団も全精連も大精連も、

その他の有象無象も目端の利くヤツラは、

ハッタツをキーワードに

キーサンとキーサン文化とキーサンの価値の転換を

ナシにしてしまえるだろう。

そしてそれは、恐らくは押しとどめられないであろう。

だから、せめて、歴史の改竄だけは、防ぎたい。

そしたら、ナニガ残ることになるのだろうか、考えてみたら良い

 

なにより避けなければいけないのは、

我々ハーさんこそがキーサンの主力であったのだという

「すり替え」と欺瞞である。

我々ハーさんこそがキーサン革命の主体である、

という歴史の改竄と、未来に向けての運動の主体を

「すり替え」られることである。

ハッキリ言ってしまおう。

キーサンはキチガイであったのだ。

キーサンには、おのが生存をかけてたどり着いたのだ。

だから、ハーさんは、おのが生存をかけて

ハーさんの文化と価値を健常者市民社会に対して、

独自に対置したら良いのだ。

つまり、ハッタツ当事者達は、ハッタツ当事者としての怨念を胸に、

苦労してハーさんにたどり着き、ハーさん革命を目指したらよい。

もし革命を目指すのであれば、だが、、、・・・・・・・・・・・・・・・。

ハーさんかくめいとキーサンカクメイはまったくの別物である。

そのうえで、精神病患者はほとんどいないのであれば、

そして、ハッタツ当事者しかいないのであれば、

当然ながら患者会は滅んでいくのである。

キーサン革命は滅んでいくのである。ここにおいて、

精神病院と精神医とは撲滅されるのである。

 

究極の勝利は究極の敗北とともにある。

究極の敗北は究極の勝利とともにある。

 

想うに、ハーさん文化はキーサンの立場から言えば、

我々の用語で言う健病者に近いノリのはずである、

したがって、それは健病者文化に限りなく近いはずである。

これまでは、キーサン文化の周辺に健病者文化があった。

キーサンのウンドーの周辺に健病者のウンドーがあった。

健病者のウンドーは市民文化に限りなく近づけていく取り組みであった。

社会復帰路線であり制度政策提言路線であった。

病者集団しかり、全精連しかり、大精連しかり、全家連しかり。

でも、これまでは、どんなに大きな顔をしようと、

キーサンの周辺でしかあり得なかったのだ、健病者達は。

しかし、ハッタツ障害は、

この中心と周辺の位置関係を完全に逆転させる両刃の剣となってしまった。

数的にもである。精神病者はほとんどいない。

いるのはハッタツ当事者のみである。

ハーさん文化は、おそらくは、

おのが「ハッタツ特性」を社会に理解させ、社会参加を目指していくだろう。

とうぜんそこには、

「パスポートは特性理解」と言いながら、

ハッタツ特性理解を求めながらの

社会参加的制度政策提言をやっていくはずである。

ハーさんの中の半端者センセイ五職に、

首尾良く為った、もしくは、目指しながら、

もしくは、自らが立ち上げたNPOで、

まがいものの半端者センセイ五職をこしらえ上げながらである。

それはそれは、とてつもない醜悪な踊りと、化すハズである。

欧米モノの輸入業者の醜悪な踊りを見せらつけられたあげくに、

ハーさん文化の半端者センセイ五職音頭の踊りである。

しかも、ハーさんこそが、キーサンであったのだという、

ハーさんこそがキーサンの主体であったのだ

ハーさんこそがキーサンの主力であったのた、

ハーさんこそがキーサンの中心であったのだ、

ハーさんの怨念こそがキーサンの怨念であったのだ、

という、とてつもない欺瞞と改竄と「すり替え」の踊りとなるであろう。

この「すり替え」だけは、身体を張ってデモ止めなければならない。

そしてそれは、近くで、近場で、始まるはずである。

それをもっとも、やりやすい人物を、えばっちは、知っている。

ほとんど、無意識的に、ソコに向けて猛進しているハズである。

セカンドの取り組みが始まって以来、無意識的に、

ソコを目指してきているハズである。

それが、見えてしまうのが、えばっちの悲劇なのであろう。と、想う。

りゅうさん、えばっちの、病気は、良くならないよ。

クスリも、減ってはいかない。

おそらく、このママ、

クスリを飲んで誤魔化しながらでないと、生きられないと、想う。

キーサンカンジャ会がママさん達やハッタツ当事者達に交流を求める、

もう一つの意味は、ここにある。

早期介入の会がくじら会が、

キーサン患者会を受け継ぐカモシレナイと、言ってきた、

真の意味、もう一つの意味は、

実は、ここにあるのだ。

近場でおきるであろう、この「すり替え」と欺瞞と改竄を、

監視するためである。

どうせ、身近に「すり替え」が為されるなら、

内部で、監視していた方がよい。

内海的羽化の真の意味がここにアル。

内部から、近場から、羽化するのである。

だったら、近場で監視するほかはない。

もしかしたら、止められるカモシレナイ。。。

我々が、交流を求め、求め続けている、アイダは、、、、、、、

あきらめて、去らざるを得なくなったとき、

その「すり替え」欺瞞は、内部から為されるであろう。

そも、患者会の外輪の外に向けての活動とは、

監視が、主であった。

身近な精神医の診察室を監視し、

身近な精神病院を監視することであった。

ウンドー的な意味合いが、そうであった。

そしてそれはセーカツと化していた。

今回は、それが、もっとも、シビアーなカタチで、現れているだけに過ぎない。

 

健病者の文化は、反社会復帰とは、働かない権利とは、

まったく別物であり、対立的であろう。

これまでも、そうであったし、これからも、そうであろう。

 

繰り返して言っておくが、

ハーさん当事者の会が、出来てくるコトが、

その家族会が、出来てくることが、モンダイなのではない。

むしろ、歓迎なのである。

モンダイは、「すり替え」にある。

ハーさん文化を自らで、こしらえたほうかいい。

ハーさん本人達もその方が良いはずである。

回りが、特に専門職と称するレンジュウに煽られることはない。

君らこそがキーサンだと、煽る必要があるのか。

ハーさん当事者本人達に決めてもらったら、よいではないか。

ハーさんのことはハーさんが決めるのである。当たり前だ。

だから、あなたがたは、努力して当事者会をつくるのではないのだ。

どうしようもないから、自然に当事者会が出来上がるのだ。

なぜなら、世間様から嫌がられ陥れられ、殺され差別され、続け、

しかも、他に行くところもなく、孤独で、

信頼できる精神医も福祉従業員もいず、

親からも痛めつけられるだけだから、

だから、当事者会を作って

生き延びなければならなくナルダケのことなのだ。

ほかに行くアテもあり、親も医者も福祉職員も信頼でき、

トモダチもいるのであれば、なんだって、当事者会が必要なのだ・・・・・

どうやって世間様と対自するのだ・・・・

そうではないというのなら、

当事者会をジブンタチの生存をかけて、作り上げ、

維持し続けなければならなくナルダケなのだ。

生きるとは、そういうコトだ。

キチガイが生きるとは、ソウイウコトだったのだ。

ハーさん達が、生きるということは、ドウイウコトなのか、

ハーさんたち自身が、自分たちで、

ジブンタチの文化を作り上げていったら良い。

ハーさんと自分たちで自称するかどうかも、決めたらいいんだから。

ジブンタチのことをどう呼ぶのかは、重要である。期待している。

あなた方の未来はあなた方が、決めるのだ。

 

りゅうさん、ハッタツ障害じゃない人間はいるんですよ。

本当にハッタツ障害じゃないんですよ。

どうしても、ハッタツ障害じゃないニンゲンはいるんです。

なぜか、いまのりゅうさんには分からないと想います。

今の山崎君も分からないと想います。

なぜか、なぜか、なぜか、

それは自分で決めるからです。

自分の生き方は自分で決めるからです。

それが、患者会の叫びではなかったんですか。

俺たちのことはおれたちで決めさせてくれ。

オレのことはオレに決めさせてくれ。

母親も、学校の先生も、精神医の先生も、作業所の先生も

勝手にオレのことを決めないでくれ。

最終的に、自分の病気、障害、そして、自分の人生を、どう生きるのか

自分自身で決めるのです。

患者会はソレを目指して闘ってきました。

単純なことです。

だから、生き方として、

幸か不幸か、

ハッタツ障害ではない生き方を選んでしまった

ニンゲンに

なぜ、ハッタツ障害だと、無理矢理言わすのか。

だからりゅうさん、ハッタツ障害じゃないニンゲンはいるんですよ。

本人がいやだって言ってるんです。

医者が、精神医が、決めることではありません。

だいたいね。

人の苦しみにね、他人がね、専門職と称して、医者だと称して、

名前を付けるなどとは、おこがましい。

と想いませんか? りゅうさん。

本人が嫌がっているのに統合失調症とつけなくて良いじゃありませんか

それと一緒です

本人が嫌がっているのにハッタツ障害とつけなくて良いじゃありませんか

だから、後は

そうだとしたら、だから、後は、

生き方を決めた当事者どうしが、

個人的にも、会としても、バッティングしたり、

敵対したりするかもしれません。

だから、その後は、当事者同士のニクマンじゃないですか。

内部差別と言っていいじゃないですか。

りゅうさん。

いったいどうしてキーサンは、文化として

ニクマンとか、内部差別とか、妬みとか、正面から、向き会い続けてきたのか

そして、ずーっと、こうやって生きてきたではありませんか。

 

日本低國臣民の臣民シミン文化

ハーーさん文化健病者文化

キーサン文化精神病者文化

八ーさん文化にも多様性があるだろう

だから限りなくキーサン文化にちかい

ハーさん文化もあるだろう

ただし如何に近かろうtも

それは、あくまでハーさん文化なのである

そしてそれは、ハーさんが真ん中にいてキーサンが周辺に

いることになるのだ

そうこれまでも、ハーさんはいたのだ、我々キーサンの周辺として

だからキーサンが、中心で、ハーさんが周辺で組めていたとき

チカラを発揮したのだ

こんどは逆になるのだ

そうなったとき、そこに、なにが、うみだされることであろうか

 

早期介入ハンタイの会やぐじら会が、

キーサン患者会をウケツグカモシレナイ

といった意味は、受け継がないからこそ、

受け継がれるということなのです。

 

別伝段階には別伝段階の意味があり、

真伝段階には真伝段階のいみがあるのです。

だから、これを読んでもらうとき、別伝から読んでもらわなければ、

意味が、通じないのです。

ヒロセ氏は、それを、ムチャクチャにシテシマッタ・・・・

ハッタツ当事者たちのママさん達は、

ハッタツ当事者たちの家族会を作ればいいのです。

ハッタツ当事者たちは、

ハッタツ当事者たちの当事者会を作ればよいのです。

そして、ジブンたちの文化をこしらえたら、良いのです。

そして、それは、

キーサン患者会にとって、敵対的なトコロもあるのです、

どうしようもなく。

なぜなら、それは、健常者文化に

建病者文化に限りなくチカイものになるのですから・・

モチロンそれが、ワルイだけではないのです。

だって、誤診誤処方だったのですから・・・

誤診誤処方から脱却して、シミンになっていくのですから・・・・

七割は・・・マチガイナク

 

そしたら、キーサン患者会とはなんダッタのか

キーサン文化とはなんだったのか

それは、アヤマリのうえに築かれたモノだったのです。

誤診誤処方のアヤマリの上に築かれてしまった

仇花のようなものなのです。

そう、仇花、見事に咲いたアダ華だっのです。

アヤマリの上に築かれてしまった、

もっとも、健常者文化、シミン文化を、ぶち壊すことができる仇花なのです。

しかし、アヤマリの上に築かれてしまった。

アヤマリデなければならないのです。究極の勝利のためには・・・・

アヤマリの上に築かれてしまったがゆえに、

究極の敗北を喫するのは、当たり前なのです、それは。

つまりそれは歴史的一回性のモンダイなのです。

70年代・80年代・90年代を通じて、精神病があるという、

我々は精神分裂病の患者なのだという、アヤマリの上に

歴史的一回性として存在したし、いまも存在しているのです。

それが今の医療水準から見てアヤマリだったとしても、

そのアヤマリの上に現実として存在したんです。

そして今も存在し続けているのです。

だからこそ、健常者社会への破壊力があったのです。

だから、そのアヤマリがいったん指摘されてしまうと、

それ以後のモノはチガウモノになるのです。

アヤマリの上に築かれてしまった新患の出ない、患者会、

それが、キーサン患者会なのです。そのことの意味は、

嶋田さんが、「大きな森の小さな物語」で、観てきたモノなのです。

我々自身は、これから、それを、観ることになります。

どうなるかわかりません。恐ろしいです。

だから、りゅうさんもヒロセ氏も、嶋田さんに聞いたら良かったのです。

そのアヤマリの上に築かれてしまった患者会が、全員死に絶えるまでは、

どうしたらいいと、想うか、と、経験者に聞いてみたらヨカッタのです・・・

何故聞かナカッタノカ

 

モンダイは、そのアヤマリの上に築かれてしまった、

最もシミン社会とやらに対して破壊力のある仇華であったのだ、

ということを、善意にあふれたものが、ハーさんこそがキーサンであったのだ、だから、キーサン患者会は不滅だという、

決定的な「すり替え」を行ってしまうのです。

それは、すべてを闇に葬ってしまうことだという事を理解しないままに・・・

だから、その「すり替え」は、近場で発生します。

内海の羽化のように、

発生します。

候補者は、三人いました。

タイ氏と、ナガガワ氏と、ヒロセ氏です。

タイ氏にはソンな力量もありません。

ナカガワ氏はべつのことに気をとられていくでしょう。

しかもナカガワ氏は

ハッタツ当事者のハッタツ当事者によるハッタツ当事者のための

当事者会を立ち上げていく希望になるかもしれません。

えばっちは、期待しています。おおきな期待です。

だから、ヒロセ氏がイチバン危うい。

ここでもまた、

危うスギル取り組みが、始まるでしょう。

ママさん達は、ハッタツ当事者の息子や娘が、うまくいかなくて、

どうしても、五年掛けても七年掛けても、どうにも、うまくいかなくて、

くじら会に残ってシマウのは、

それはそれで、すばらしいことなのでは、あるのです、

クルシイが・・・

ここには、また別の可能性がある。

そしてまた、スッカリクスリが抜けて、

シミンに戻っていく、悪夢だと、忘れていく、それもまた、スバラシイのである。

モンダイは、スッカリ良くなって、も、なおかつ、

シミンとして卒業していってシマオウトスル娘や息子を引きとどめしつつも、

もしくは、娘息子と組むカタチで、

くじら会や早期介入の会のカツドウカとして残ろうとする

ママさん達とハッタツ当事者達なのである。

こいつは、まかりまちがうと、「すり替え」を、やってしまう。

そして、半端者センセイ五職にいこうとする

ハッタツ当事者とママさん達なのである。

 

だから、交流とは、つまり、監視であり、

そして、それはまた、交流なのです。

別伝段階での交流の意味と、真伝段階、併伝段階、口伝段階の、

交流の意味が、あるのです。そして、それらは、後半の方が真であり、

前半の方が偽、で、あるということではなく、それぞれがまた、真なのです。

そこが、多層的多重的複合的、なおかつ、

矛盾と混乱とを含みながら、そしてまた、イイとワルイを同時に、

言う、想う、考えてしまう、トコロなのです。

そして、こんなことは、少し、考えれば、誰でもが、分かることなのです。

そうではありませんか。

コンナコトハわかっていたはずですよ、りゅうさん。

 

なぜなら、僕たちは2003年の5月に

それぞれが、抱えているモンダイを、はなしあったでしありませんか。

あの時のそれぞれが、いだいていた課題が、ソノマンマンマ、

今、目の前にアルだけですよ・・・あの時、ぼくたち、二人は、

ナニを話し合ってあっていましたか、すぐに想い出せるはずです。

りゅうさんは、このところ診察室に来る患者が、

キーサンではないことに首をかしげていました。

だから、たまに来る濃厚なキーサン患者が来ると、

ほっとするんやと言っていました。

そのときに、ハッタツというコトバはありませんでした。

なので、その診察室を埋めている新しいタイプの患者さん達のことを、

このようなコトバで説明していました。

ACや健病者や屈折した青年達、ノイローゼや神経症圏の青年達、

クスリは全くいらないか少しだけで済む。才能があってセンスも良い。

ただ、どういうわけか、キーサンよりもはるかに手がかかり、やっかいだ。

タイヘンやで、というようなものでした。

で、えばっちは大体こういうようなことを言ったのです。

なんやりゅうさんのとこもそうなんか、

京都のいろんなクリニックもそんな患者で溢れとって、

昔ながらのキーサンは時間をとってもらえんよ。

だいたい、やすらぎの里で、アルバイトスタッフしたいという奴が

そんなんばっかりで困っとるんや、雇ったアルバイトスタッフのコを

病者の側がなだめたりすかしたり力づけたりでタイヘンなんやと。

もうツブレル寸前までいったんや。死人出るトコやった。

それで、そういうアルバイトスタッフは辞めて貰って

もう雇わないようにしようと想うんや。

と言うのも、ここ前進友の会みんなの部屋は、

キーサンがノンビリするところですわ。

ああいうコらをアルバイトスタッフに雇うたら危うく潰れる寸前までいきましたよ。

もう絶対嫌ですよ。

で、りゅうさんは、こう言ったのです。ワシはそういうわけにいかん。

患者やサカイ診ないかん、実際患者の大半がそうなんやから

診んわけにはいかん。

そのときの、二人のチガイが、今を生んでいるといえます。

だから、2003年の5月から、こうなる方向性だったんでしょう。

だからりゅうさんが、それはハッタツ障害者に対する差別というのならば、

そりゃあ、差別なのです。差別とはオソロシイものです。

おそらく人間が生きていく上で逃れられないものなのでしょう。

そう、キーサンは建病者のACの屈折した

若く才能に満ちあふれたクスリが少ないかあるいは

全くゼロで済む非常にセンスの良い、

魅力に満ち溢れたやすらぎの里アルバイトスタッフを半分妬みながら、

差別して、やすらぎの里唯一の強制退職を実行してしまいました。

その結果、疲れ切ってえばっちは4回目と5回目の入院に立ち至ったのです。

それを差別というのなら、それは差別なのです。

そしてその差別は、キーサンがキーサンとして生きている限り、

若干の妬みと大いなる羨望をまといながら差別し続けることになります。

病者の建病者への差別ですよ。

社会復帰できなかった者の社会復帰できた者への、

中学中退者の博士者への

妬みとやっかみと、羨望を伴った差別ですよ。

したがって、この差別は、差別する側

つまりキーサンとキーサン患者会が滅んだ時に無くなるでしょう。

キーサン患者会が滅びなければならない理由の一つがココにもあります。

だから、その後は、当事者同士のニクマンじゃないですか。

内部差別と言って、いいじゃないですか。

りゅうさん、いったいどうしてキーサンは、文化として

ニクマンとか、内部差別とか、生み出してきて、妬みとか、

正面から向き会い続けクルシンデきつづけたではありませんか

そして、ずーっと、こうやって生きてきたではありませんか。

その時、から、気づいたのです、気づき始めたのです、

そも、

前進友の会の第一世代達のビョーキとは・・ナンダッタノカ・・・

だから、こうなったのか・・・・・

だから、コウナッテキタノカ・・・・

Soさんも、、Beちゃんも、

 

ハナシを元にもどしましょう。

だから、2003年の5月から、

ゲンジツとして、京都市内では、

どうなっていったのか、

えばっちからの眼では、こうみえているのです

きっと、りゅうさんの見てきたゲンジツとは、チガウのです

まず、作業所が急激に増えました。

不思議なことに、その増えた作業所というのは、

これまでの作業所とは雰囲気がチガウのです。

京都市家族会連合会や、京都府家族会連合会等々の

家族会設立の作業所とは、明らかに違っていました。

なんというか、芸術系というか創造系というか、

雰囲気が不登校の人たちのフリースクールのような作業所が

たくさん出来上がっていったのでした。

そこへ行った人もいるのですが、健常者の世界や、とてもおられんと、

戻ってきました。

えばっちの言葉で言えば、

スタッフもAC系なら通所者もAC系で、芸術性豊かに盛り上がっていました。

既存の作業所は、古くさく、小さくなっていきました。

いわんや、やすらぎの里は、化石のようでした。

そうしたなかで、NPO化や、自立支援法内化のなかで、

家族会設立の作業所が、有能で優秀な専門職スタッフによって乗っ取られて、家族会の親方が、なんと、友の会に泣きついて来るということまでおきました。

デイケアはどうでしょう。そう、ここでも同じ事が進行していました

AC系の、もういまやハッタツ系といってもいいでしょう、

そういう若者達であふれかえり、中年高年の古くからいる病者達は、

スタッフに手を掛けて貰えなくなり、駆逐されていきました。

例によって、新しく入ったスタッフも、ハッタツ系そうでした。

だから古いスタッフ達は、何か違和感を感じながらも、

沈黙していきました。

駆逐されてしまった病者達は、どこへいったのでしょう。

ウチみたいなところに来ると想いますか。来ませんよ。

古いタイプの作業所にも行きません。

そう、彼らは新しく引きこもるようになったのです。

その状況を指して、えばっちは、

中高年の新たな引きこもりの人生、

と想いました。

外来には行っています。

今まで行っていた作業所やデイケアの変貌ぶりについていけず、

新たに引きこるようになったのです。

皮肉なモノです。

幾つかの作業所とディケアで、

より健病者性の高い当事者から

より建病者性の低い当事者への「玉突き現象」までおきています。

その「玉突き」の先にドンナ病者がサイゴに引きこもるコトになるのか、、、、

とにもかくにも、前進友の会やすらぎの里作業所は、

古いタイプの作業所デイケアーにも、ニュータイプの作業所デイケアーにも、すっかり囲まれてしまい、息を継ぐところを探すのがタイヘンです。

 

もちろん、ハッタツ障害だけにこの原因を求めるのは、酷というモノでしょう。

差別というモノでしょう。

でも、古いスタッフや、古い通所者のなかには、

ハッキリと「ハッタツ障害の若者が増えたんで、

居づらくなって、古い患者さん達は消え去るのみよ」と、

声が聞こえてきます。

もちろん、長年のクスリの毒によって、ちょうど40を過ぎた頃から、

活動性ややる気が低下してくるということも否定はできません。

ただ、クスリのせいだけとも想えません。

クリニックの外来や、待合室、薬局の待合室でも、

同じようなことが起きています。

そのなかで、前進友の会やすらぎの里作業所は、

変わらずに、以前のままと全く同じように、あり続けています。

そのせいかどうか、いまや、風前の灯火です。

客観的には、何人かの60歳以上のなかまが、

精神病院に戻っていけば、そのうち、

客観的に維持できなくなるのは、そう遠いことではありません。

2003年5月から、えばっちが観ているゲンジツとは、

おおよそこういったもので、それに加えれば、

りゅうさんのセカンドの衝撃と、ハッタツ障害の衝撃、

そして岩倉病院の変節が、われわれにトドメを刺すのは、

そう遠いことではありません。

キーサン患者会が滅びるというのは、こういうことナノです。

リクツだけを言っているわけではありません。ゲンジツなんです。

そして、作業所やデイケアでの中高年の病者がそうなっていく中で、

今度は、高年・老年の病者たちも、作業所やデイケアから消えていきます。

何故でしょうか。

セーカツが出来なくなって、身体病もでてきて、

本当にまた行くところが無く、老人施設も受け入れてくれるわけもなく、

結局は、精神病院に戻っていって、そこで、生を終えるしかない。

老人病院も老人施設も

セーカツ保護で、精神がかぶっているとなると、入れてくれませンよ・・・

本当に行くところがないのです・・・

それが、えばっちの観ているゲンジツです。

老年の精神病者達は、こうやって精神病院に戻っていくしかないのです。

一方で、友の会の名物のなかまは、真の意味で社会と折り合いが悪く、

家族にも憎まれ、心神喪失者医療観察法で、社会から排除され、

家族からの医療保護入院で、おそらく、こちらもガン箱退院のそのときまで、

退院はできそうもありません。

毎週月曜日に岩倉を訪問します。そこでえばっちが見るゲンジツは、

SIADHで寝たきりになった78歳のなかまの姿であり、

38度近くの熱を出し毎分2リットルの酸素を入れているにもかかわらず、

血液検査すらして貰っていない79歳の脳梗塞で半身不随になっている

なかまの姿であり、病棟内でセクハラ事件を引き起こしたと言う理由で

保護室に2週間以上入れられ、面会も許されない、

もっていったLチキの差し入れだけ許された、

観察法適用をやっと免れたものの、

兄やんによって医療保護入院になっている50歳のなかまの姿なのです。

いずれも、看護に状況を聞けば、通り一遍の説明しかなく、

後は主治医に聞いてくれの一点張りです。

その主治医は、電話で話せたらまだしも、

これまたひたすら逃げをうつ主治医もいるので、本当にタイヘンです。

20年前一緒に夏レクに行った病者たちが、一度も退院することなく、

そのまま入院しています。しかも、クスリのせいで、

身体が弱り

50代で歩行器を使うありさまです。

だからえばっちが観ているのは、まさに、

友の会みんなの部屋と、

岩倉病院のなかまたちとのセーカツからくる

こういうゲンジツなのです。

こうして、キーサン患者会のメンバー達は、少しずつ減っていきます。

だから、事は、「歴史的一回性」のモンダイなのです。

キーサン患者会は、歴史上、現実のこの一回しか、

実現し得るモノでしか、なかったのです。

それを、延長とか、二回、やろうとするから、おかしくなる。

ハッタツ当事者と、ハッタツ専門職、ハッタツ家族会は、

それぞれを、追求したらよいのであって、

ハーさんこそが、キーサンであった、

という、「すり替え」を、してはならないのである。できないハズなのである。

撲滅されてしまった病気の患者会を、どうやって、ツヅケルというのだ。

だから、その撲滅が、正しいのであれば、

うまくいくのが、

七割では、撲滅にならないのである。

せめて、九割を超えなければならない。

そのためには、ファンクラブは、かえって、

七割を低めてしまう結果をもたらしはしないのか、と、言っているのである。

それを、

ハッタツ論者とトウシツ論者のギロンになってしまうのは、

なんというか、お粗末、なんである。

また、誤診誤処方被害者のハッタツ当事者たちにとっても、

まったくもって、我々のクルシミと人生を、どう考えているのダ、

トイウ、コトニ、ナツテしまうんである。

 

だから、実は。「キーサン革命宣言」は、その発刊過程を含め、

また、今後の反響も含め、リトマス試験紙、のツモリだつたのである。

だれが、どう、どのように羽化しそうなのか。

これまで闘ってきたような「見えにくいアクジ」化するだけなのか、

それともそれとも・・・・・「すり替え」を、ハッタツをつこうて、

キーサン患者会の「すり替え」に、改ざんになりそうなのか、

試験誌であったのだ。

その試験紙にパツーンと反応したのがヒロセ氏だったというわけなのである。

おそらく、ハッタツをつこうて、最大限に自分の人生を

半端者センセイ五職方向に、切り拓いたのは、

タイナカガワウツミヒロセの四氏であり、

その最大のモノはウツミ氏であり、

その次は、このままいけば、ヒロセ氏なのである。

だから、あれほどまでに、ハッタツを守ろうとし、

なおかつ、キーサン患者会のつくりあげてきた文化をも、

持ち上げようとして、誤用流用盗用しようとしているのだ。

その結果は、「すり替え」であり、歴史をおおきく欺瞞するもので、

あるにも、かかわらず、

そしてそれは、キーサン患者会の文化を、目指そうとしたことを、

歴史的一回性のキーサン人生そのものを、

生ソノモノを、すべて、水泡に帰するであろう。

それはまた、キーサン革命の持つ激烈な、

健常者社会に対するシミン文化に対する、

テッテー的な破壊力、を、

限りなく、ゼロにしてしまう事なのである。

敢えて言えば、浦河ベテルのムコガイチは

「ごかい」のキーサン革命を

流用盗用して見えにくいアクジ化した。

その先に、このハッタツバブルとブームにのってセカンドをリヨウしながら、

見えにくいアクジ化しそうなのが、タイ氏なのである。

同じように、このハッタツバブルとブームにのって

セカンドをリヨウしながらキーサン革命を盗用し半端者センセイ五職に

道を切り開いたのがウツミ氏である。

その延長線上にヒロセ氏がやってしまうであろう

「すり替えアクジ」がヒロセ氏自身の

半端者センセイ五職としての道を

切り開いていく、という営みがあるのである。

全体を通して、ハッタツとセカンドとキーサン革命の誤用である。

ちなみに厚生省と学会と大学のエライさん達は

ハッタツとセカンドとキーサン革命を悪用するのである。

悪用とは見えやすい悪事であり、

誤用とは見えにくい悪事から

すり替え悪事・・・・・・・・・・・・・・・

ただ、ヒロセ氏の酒のモンダイは、

この善用と誤用と流用と借用と盗用の境を曖昧にしている。

なにも、ヒロセ氏がアルコール依存だと言っているわけではない。

依存であろうが依存で無かろうが、酒でモンダイをおこす奴は、いる。

えばっちから言えば、ヒロセ氏の酒のモンダイによって、

善用と誤用と流用と借用と盗用の境が

曖昧になったことがモンダイなのであって、

なされようとする「すり替え」がモンダイなのであって、

悪意を持って全面衝突を煽ろうとすることが、モンダイなのであって、

依存症であろうが無かろうが、それは、ヒロセ氏の問題なのである。

 

今まで、えばっちは、精神医療と福祉を

「見えやすいアクジ」と

「見えにくいアクジ」とにキリワケテきた。

今後は、それが、三つになる。

すなわち

「すり替えアクジ」である。

えばっちの立場から言えば、この三点になった、

ということが、ハッタツと、セカンドがもたらした、衝撃なのである。

そして見えやすいアクジよりも見えにくいアクジの方がより悪疾だと

言い続けてきた。そう、すり替えアクジはもっとも、悪疾なものである。。

想うに

タイナカガワ両氏はワルクイツテモ見えにくいアクジ化するだけなのである。

タイ氏はまちがいなく見えにくいアクジ化するであろう。

ナカガワ氏は、えばっちは、期待している。

もしかすると、

ホンモノのハーさん精神福祉従業員になる可能性を秘めている。

ハーさんのハーさんによるハーさんのための当事者会を

たちあげられるかもしれない、

キーサン患者会に学びながら、

キーサン患者会との「すり替え」無しに、である。

実際ソレはハーさん当事者自身が決めることなだが。

そうならなくともナニカ別のことに気をとられている。

モンダイは、ウツミ氏のように、キーサンカクメイを盗用して、

羽化してしまった化け物である、それは、まさしく、

セカンド実践とハッタツが、生み出してきたモノなのである。

とすると、ヒロセ氏は、そう、まさに、

ハーさん革命こそはキーサン革命、

そのものであったし、今後もそうなのだ、と、

「すり替えアクジ」をはたらくのである。

ハーさん達だってそんなことは嫌なはずなのである。

ハーさん達がハーさん達独自の文化を創り上げるのを

「すり替えアクジ」によって、

ヒロセ氏はハーさんのその独自性を阻害してしまうかもしれない。

ハーさん達は自主自立して、ハーさん文化を、まわりがどういおうと、

めざし続けた方がよい。

実際ハーさん達はわしらキーサンと一緒だなどとは、

言われたくないと想うのだが、どうであろうか。

そしてキーサン患者会の方は、「すり替え」られてしまえば、

それで、すべてが、終わるのである。

だから、我々は、我々自身の生の歴史的一回性のごとく、

キーサン革命もまた、キーサン患者会もまた、

歴史的一回性のなかに、間違いとアヤマリと、

誤診と誤処方と薬剤性の上に築かれてしまった、

激烈で強烈な健常者社会に対する、怒りと復讐と落とし前として、

滅んでいきたいのである。また、滅んでいかなければならないので、アル。

 

この稿の最初の電話を掛けてきてくれたなかまが、

その後、どのような運命をたどったかは、まさにそのモンダイを、

我々に、投げかけてくれる。

彼がその後どのような運命をたどったかは、それを示唆する。

今は、まだ、その物語は、語れない、

本人の了解が取れないのだから・・・

あの時の電話は、まさに、、、、、、、そう、まさに、、、、、、

 

前門の虎後門の狼

道具論的立場に立てば、

精神病院と闘いつつ、その闘いに役立つであろう、

斬れ味の良い剣は

後ろから、我々の成し遂げたキーサン文化を、斬り崩してしまうだろう

キーサン文化を守ろうとすれば、

我々は、精神医療と全面対決できる、

素晴らしく斬れ味の良い両刃の剣を、手放すことになる。

我々は、挟まれてしまったのである。

オソロシイモノに挟まれてしまった。

我々は、前門の虎と闘かってきた、見えやすいのも見えにくいのもいた

そして、後門の狼が前門の虎に吠え懸かっているのも、承知である。

だがしかし、後門の狼は、前門の虎と、

ドコカで、利害が一致しないのかどうか

さてさて、キーサンは

挟まれてしまって、身動きが、取れない、と、言っても、もはや、過言ではない。

そもそも、では、後門の狼が、前門の虎に飛びかかるためには、

ワシラ腐ったキチガイウゾウムゾウゾーリムシは、

身を屈めねばならないのだろうか

身を伏せなければならないのか

そも、後門の狼たちは、前門の虎に飛びかかりつつ、

キチガイゾーリムシシを飛び越え

もしくは、ワシラキーサンゾリムシに、

先に、飛びかかつてワシラを蹴倒した後

前門の虎に飛びかかるツモリなのか

どちらにせよ、

我々は、挟まれてしまった

前門の虎後門の狼に挟まれているのだが、

我々が180度向きを変えると

前門の狼後門の狼ということになる

身を屈めるだけではなく身を翻さなければならないのか

この状況で身を翻すと我々は今まで闘ってきた相手に加えて

またチガウ相手とも闘わなければならないということなのかもしれない。

「グッドラック統合失調症と言おう」とも闘い

「妻で母で社長でアスペルガーです」とも闘う

結局は、どちらも、「健病者」のノリだから

だとしたら、前門の虎狼に後門の・・・・・・・・・・・・・・・

見えやすいアクジと見えにくいアクジとにすり替えアクジとに。

精神分裂病診断とハッタツ障害ガイネンの拡大とに。

挟まれながら、

ハーさん文化健病者文化に

そして、当然に、健常者市民文化に囲まれながら・・・・

我々キーサンは、生き続けるしかない、

閉じこめられている35万人のなかまとともに・・・・

「すり替え」、だけを、阻止し続けながら・・・・

「すり替え」だけは、許さない

キーサン革命のバクチクは

最後は、ソコニ向かって放たれるカモシレナイ

この本の表紙の矢は、サイゴには、そこにむけて、放たれるカモシレナい

 

だから、我々はここにこう宣言したい。

キーサン患者会はまさに滅んでいくのだ、と。

滅び行きながら交流を求めているのだ、と。

 

だから、ここまできたら、さてと、ここまできたら・・・・・

ヒドい結論・・・折り合いがつかない、敵対もする、

だから・・・・

 

だから、このまま、すすむんなら、

自分達に合う、セカンド協力医を開拓して、一緒にやればいんですよ。

だから、交流の唯一の窓口としての、

「早期介入ハンタイの会」が大事なんですよ。

 

だから、

実は、

医者同志も

ハッタツ同志も

キーサン同志も

ママサン同志も

ヒキコモリフトウコウ同志も

同志同志、同志同志、まつたく、折り合わないんですよ。

敵対的であるのかもしれない。

敵対することもアルんですよ。

 

わかっていたことでしょう

 

でも、そのまえに、折り合えないことを、確認する意味でも、

敵対することを確認する意味でも、

一緒にやろうとする、取り組みと、熱意と、文章が、本気で、必要なんですよ。

それに、その方が、外聞も、良いしね・・・・・

しかも、それで、うまくいった方向と部分だけ、残して、おいておくんですよ。

そうやってやっていって、やっていけるだけいって

上手くいったところだけ残す、

それで、御の字で、いいと、想いません。

折り合えないところは、もう、わかれちゃって、己が道を行く、んですよ。

だから、各地くじら会も、性格づけが、チガウことも、

セカンド協力医も診断がチガウことは、素晴らしいいんですよ。

各患者会だって、

折り合えないところは、イッパイアルンですよ。

 

そうなんですよ、

りゅうさんだけがただしいでも、

りゅうさんここがまちがっているでも、

りゅうりゅうりゆうりゆうりゅうりゆう、

言っていると、そのうち、墓穴掘っちゃうんですよ

墓穴掘っちゃうんですよ、

というか、もうね、もう

もう、大きな墓穴は、開いているんですよ、

自分たちで、

掘っちゃッタンですよ。

もう、遅いぐらいのデッカい墓穴掘ったんですよ

もちろんそれで、むこうにも、大打撃は、与えましたよ。

でも、墓穴掘っちゃったんですよ

どんな墓穴か、わかりますか

りゅうさんは、ママさん達と

りゅうさんファンのママさん達とハーさん達と

余りにも長くやりすぎたんですよ・・

精神医をキーサンが信用するのは、ね、極論すれば、

診断が正しいからでも処方が正しいからでもナインですよ

ほんとうはね、

この医者はオレタチを傷つけないという確信の上に

おのが診断や処方や治療方針が

いつもいつも、間違っているのではないかと

病者の前で自問自答し、病者に問いかけてくる精神医を

信用するんですよ。

りゅうさん、いまのりゅうさんは、自己の診断に余りにも確信と自信を

持ちすぎてしまったんですよ・・

チガイますか・・

今でも、キーサンナカマのまえで、ワシはまちごうとるかもシレンと、

言っていますか

自問自答していますか

ママさん達やハーさん当事者達は確信を持って

ハッタツと診断する

いや診断ではないのか

特定するノカ査定するノカ鑑別するノカ評価するノカアセスメントするノカ

わかりませんが、確信のある

精神医を信頼するんでしょうね

でも、キーサンはキーサンカンジャ会は

キーサン文化はチガウんですよ

おのが医療をいつもいつもいつも自問自答している

確信をもてないでいる精神医を信頼するんですよ

確信を持ちすぎた精神医は

精神分裂病と診断する医者でも

ハッタツ障害と、診断ではなく、なんと言えばいいのか

ハッタツと断定する精神医も

おのが方針を病者自身に聞かずに

確信を持ちすぎていたら

それは、今までの精神医と変わなくなっちゃうんですよ・・・

わかりませんか

だから、キーサンは、コトバではなく

想いとバクチクとカチコミとバクハツで精神医に突きつけてきたのです

オマエは本当に正しいのか、と。

オマエは本当に正しいのか、と、ね。

同じ事をハッタツでテロを敢行している

りゅうさんに

問うているだけですよ

われわれは、おなじことをヤッテイルだけなんですよ・・

いつもいつも、回りが変わっていくので

オンナジ事をオンナジようにやりつづけている

キーサンだけがバカをみるんですよ・・

りゅうさんはハッタツを武器に包帯の様な世の中の嘘を暴いてイキマシタガ

その世の中の変わり様についていかれなくて

おんなじことをおんなじようにおんなじだけ

やり続けていたら

またしてもまたしても

オマエラは変わらない

いくらたっても事実を直視できないのかとの

言うのですか

ハッタツ障害者差別と

言うのですか

自分の病気は自分で決めさせてください。

自分の障害は自分で決めさせてください。

自分の生き様は自分で決めさせてください。

精神医が家族が決めることではありません。

世の中がいつも変わっていくだけなんですよ

変わらない者だけがバカをみるんですよ

そんな唄がありましたね・・

その唄の通りですよ

僕たちキーサンは

キーサン患者会は変わらなかったのです

どう変わらなかったのか

ぼくたちはいつも

世の中について行けるよりも

ついて行けない方に

社会復帰できるよりも

社会復帰できない方に

何かを出来るよりは

何かを出来ない方に

基準を置いてきたのです

当人自身の意向が基準なのです

これが

キーサン患者会のいつまで経っても変わらないところです

だとしたら

ぼくたちキーサン患者会は

セカンド実践の中に置いて

減薬が上手くいった七割よりも

減薬が上手くいかない

三割の方に基準を置くのです。想いを置くのです

どうクスリを減らすのか減らさないのかは、当人が決めるのです。

ということは

今のセカンド実践のありかたとは

対立してしまいます

なぜか

セカンド実践に置いては

七割は上手くいくと言うことを宣伝しようとするからです

そしてその七割は、当人よりも家族の意向によって、成立してきたのです。

勿論そのことで誤診誤処方を糾弾していくから

それはそれで必要なことだし

誤診誤処方から本人を救ったのなら、ヨカッタのです。

えばっちは支持しています

でももう一方でキーサン患者会の

ありかたとして

上手くはいかなかった三割のなかまたち

本人の意向を無視されがちななかまたち

そして、その中でも苦労の末上手くいった七割の

ハッタツ当事者の皆さんは

良かったと想います

でも三割の中の三割の、いや、

三割の中の三割の中の三割の

どうしても上手くいかないなかまの立場に立ちます

本人の意向の立場に立ちます

それはもしかすると今のセカンド実践や

くじら会や早期介入の会のママさん達や

支援している医療従事者達、なかんずく、

りゅうさんと対立するかもしれません

だから七割上手く行くといって誤診誤処方と対決する方向と

なんだかよくわからないけれども上手くいかないことやものや人が

残ることコソが

この健常者社会と対決する

もう一つの方向だと思っています

だから二つの方向があるわけですが

短期的にはセカンド実践の方向性が、

シミン社会トヤラの包帯のような嘘を暴きますが

長期的に見れば

本質的にシミン社会トヤラの包帯のような嘘を暴くのは

ナンダカよく分からないモノが残ってしまった

われわれなんですよ。

だから、わたしたちは

同じ事を同じようにやり続けてるだけなんです

だからやっぱりハッタツというのは

所詮、心理か精神医という専門職が思いついたもので

子供がかわいいと想い精神科に連れて行ってシマッタママさん達が

それに全面的に

乗っかっちゃって

ウンドーとして成立したものなのです

だから

ウンドーとしての成功を目指すわけだし

そのためには自分たちに都合の悪いことは隠してしまいがちなのです

つまりあなた達が見ている現実と

キーサン患者会が見ている現実とはチガウと言うことなのです

これは大きいことです

ウンドーとセーカツです

原則と基盤です

ウンドーになってしまったのです

セカンドとは精神の医者が医者に対してできる究極のテロでした

医者が医者に対してできる究極のテロですから、それはウンドーのレベルではなく、実はセーカツのレベルで行われるべきことなのです

医者のセーカツとは診察室です

診察室で一人一人の患者と向き合って行われるセーカツが診断なのです

それがいつしかセーカツからウンドーになったのです

ここです、ここなんです

ハッタツですべてを解決できるというのはウンドーです

診察室でのセーカツを大事にしていたら、こんなことは言えません

ハッタツですべてを変えられると言ってしまえば、

それは現実から遊離したウンドー上の理論になってしまいます

ウンドー上有利だからといってナニカ論をたてるのは、止めた方がいい。

ウンドー上有利なことばかり、したり、言ったり、シテモシカタないですよ。

 

どこかしら

そう、どこかしら

ハッタツ障害論はマルクス主義に似ています

現代社会の悪を暴くことに関してはものすごく斬れ味の良いものです

そしてまた七割ぐらいのにんげんを幸せに出来る

強力な道具です、スバラシイ道具デス

でもこの道具は

斬れ味が良すぎて使っているにんげんの目を曇らしてしまいます

だからえばっちはハッタツ障害もマルクス主義も

注意して使います

あまりに斬れ味が良すぎて現実の人間を見過ごしがちになると想っています

社会の悪を暴く

つまり分析するには、あまりにもすごい道具です

こういうふうに言うとハッタツ障害に立つ人にもマルクス主義に立つ人にも

怒られてしまいそうですが・・・

道具なのだから善用も悪用も流用も誤用も借用も盗用もあるのです

りゅうさんは善用をしてきました、

しかし善用も過ぎると誤用になります

ヒロセ氏は最初っから善用と誤用を同時に目指していました

病者集団やベテルムコガイチたち見えにくいアクジの連中は

流用と借用と盗用だけです。ですが、誤用をしにいくハズです。

誤用して中心と周辺の位置関係を逆転しにいくはずです。

だから、目先の効くカツドウカのヤツラは

流用借用盗用

から誤用に進化していきます

おなじみのヤツラは早期介入含めて悪用していきますよ

ウツミのアンポンタンは盗用するしかないのです。盗むのです。

だからぼくたちにとっては、善用と悪用と誤用のモンダイなのです。

流用借用盗用は、結局は誤用になっていくのです。

だから、ぼくたちにとっては全体の中のひとつの問題なのです

でも、りゅうさんにとってはハッタツを使えば

すべての問題を解決できるわけなんですね

善用と悪用があるが、

誤用流用借用盗用はムシするのですか・・・

電気ショックも四肢拘束も保護室も閉鎖病棟も解決できるのでしょうか

もちろん多剤多種大量投薬の問題を解決するために

ハッタツはものすごく使えるということはよくわかります、善用です。

でも、ぼくたちのゲンジツはそれだけではありません

そもそも35万人の入院しているなかまは

10年以上入院しているなかまは、ドウスルノデスカ

高齢化したら、ドコニも行き場がなく

精神ビヨウインに戻るコトニナツテシマウのですよ

だから、キーサン革命極意本伝の止の段は六箇条あり、

キーサン革命極意外伝の第二章は「全体性」なのです

りゅうさんにとっては観察法の問題はどうなっているんでしょうか

ぼくたちにとってはミスターMMが観察法に引っかけられて以来

ウンドーの問題であるとともにセーカツのモンダイです

ミスターMMを観察法から救い出してこようとしたとき、

ハッタツもトウシツも診断なんて、それほど問題ではなかったのです

観察法審判では、そんなことよりも、

観察法適用をしない場合ミスターMMをサポートする、

いわゆる「社会福祉資源」が、

どれほどあって実際にカレをサポートできうるか、

どうかが問題だったのです

 

ここからはえばっちの想像です

 

りゅうさんはセカンド実践においてりゅうさんを生み出し鍛え上げた

キーサン患者会ごかいと、どのようなセーカツをし続けましたか

りゅうさんはセカンド実践において、

ごかいのなかまたちに正しい診断をどのように伝え、どのように減薬をすすめ、

そして、どのように苦しみをともにしましたか

りゅうさんのやっているセカンドはごかいとはまったく別のもので、

別物としてすすめませんでしたか

りゅうさん、

セカンド実践とは、減薬の取り組みとは、ハッタツ障害論とは、

あくまで、あくまでも

ごかいのなかまとともに、

すすめなければならなかったものなのです

 

えばっちが想うに、そうせざる得なかったのでしょうが、

それは、とりかえしのつかない事態を生んだと、想います

あくまでも、ごかいとともに、すすむべきでした

あくまでもごかいとともに・・・・・

そう、あくまでも、ごかいとともに・・・・・

 

そうはならなかった、その結果、

りゅうさんをセーカツからウンドーへと

転化させてしまう結果を生んだのです

りゅうさんをセーカツにつなげておけるのは、

りゅうさん自身の診察室とごかいのなかまたちとのセーカツでした。

診察室がなくなり、セカンド実践はごかいと別物だとなったとき、

ウンドーに転化してしまったのです

もちろんそれは、誰かのせいだと、言っているわけではアリマセン

りゅうさんの健康上から診察室をツヅケルのはムリでした。

ごかいが、わるかったのでも、ありません。

りゅうさんの落とし前と

だから、これをウンドーからセーカツに取り戻すには、

診察室を設けるか、健康の問題でそれができないのならば、

ごかいとだけごかいというキーサン患者会とだけと一緒にやるということに

いっぺん戻ってみないと、いけないと想うのです

だから、ハッタツ当事者達とそのママさん達と一緒にやるということと、

キーサン患者会と一緒にやるということは違うのです

だからごかいとりゅうさんのセカンド実践とは

別の物だとなった時におそらくセーカツからウンドーに変わってしまい

自らのやっていることにキーサン患者会の病者からの

監視の目をハズしてしまった時に、

自らのやっていることに

精神医として自らのやっていることに

枠をはめていくというゲンカイを設定する

自らで限界を設定していくということが吹き飛んでしまったんです

自らでゲンカイを設定してセーカツにつなぎ止めておかないと

あっという間にウンドー化してしまいます

診察室でのセーカツと同じように

セカンドはただただ個別の患者のクルシミを和らげて

救うものでなければならなかった、

でも、その個別モンダイはあっという間に普遍化してしまったのです。

 

普遍化すれば、それは、運動化であり医学化理論化なのです

 

診察室でのセーカツと同じように

ネットセカンドはりゅうさんのセーカツにならなければならなかった。

でも、普遍化してしまい、

いまや、

新しい精神医学理論の登場となってしまった。

根底的な既存の精神医療の否定ではなく、

新しい精神医療理論を構築しただけですよ・・・

その新しいりゅう理論の熱烈なファンに囲まれてね

個別の中には、そりゃあ普遍化から逸脱してしまうものが必ず、出てきます。

当たり前です、ニンゲンだもの。

出てきたら、ウンドーではなかったのなら、個別が優先します、当たり前です。

キーサン患者会的には個別、ひとりひとりの病者なかまが優先です。

当事者の一人一人の意向が優先です。

今や、でも、今や、りゅう理論の普遍化正診化が、優先しています。

正しさを証明しようしてはいけません

証明しようとしたらそれはウンドーかケンキューになるのです

患者をリヨウしたウンドーかケンキューなのです

だから証明しようとしたことが

恐らくりゅうさんあなたのやった最大の過ちなのです

患者会の前で

患者をリヨウしてケンキューしウンドーしてしまった

それがいかに正しくとも患者会はそれを認めません

当たり前です

だからあなたは精神医としてのセーカツとして

徹底的に一人一人の患者さんを救うことに専念すべきだったのです

証明は、その結果として自然に証明されたハズなのです

でもあなたは

患者会の前で僕の前で

証明してみせると、宣言してしまった

しかも確信があると言ってしまった

チガイますか

りゅうさんあなたは、プシ共闘のように

患者をリヨウしてウンドーしてしまった

りゅうさんあなたは、大学医学部教授のように

患者をリヨウしてケンキューしてしまった

己が理論の正しさを証明しようとシテシマッタ

それではダメなのです

キーサン患者会と一緒にやっている精神医としては

それではダメなのです

 

だからあなたは、患者会とは一緒にやってはいない

ママさん達と一緒にやっているのです

でもそれだけでは正当性が担保されない

特にヒロセ氏にとってはセカンド以前と以後の正当性の担保が

逆方向になってしまった

だからひっしになってハッタツ当事者の当事者会をつくろうとし

しかもハッタツ当事者会はキーサン患者会だと、

言わざるを得なくなって

シマッタ

 

ここでも、間違いが犯されてしまっています

逆転というか

当事者会が医療従事者の正当性を担保するのであって

医療従事者の正当性の担保のために当事者会が組織されるのではアリマセン

もしそうだとするならば

その当事者団体は

ヒロセ氏とりゅうさんの御用団体誤用団体になってしまうのです

厚生省が全家連と全精連をこしらえたのと

ナニモ変わりません

ウンドーとケンキューと正当性のために

当事者団体をつくろうとしたら、すぐにハッタツ当事者は見抜きますよ

当たり前だ

いったい、ナニをやっているのですか

だから、理屈ではなくて役割分担をすれば良かったのです

りゅうさん、あなたは精神医のセーカツとして徹底的に

一人一人の患者を救う

ウンドーもケンキューもジッケンも

絶対にしてはならない

今や、りゅうさんは、ジッケンをしています。

我々はあなたの減薬理論の正しさのためのジッケン材料ではない

山崎君もおなじ過ちを犯してしまった

実はママさん達もおなじ過ちを犯しかかっています

おのが娘や息子をりゅうさん、あなたの減薬理論の正しさのための

ジッケン材料に

提供しようとしています

あるいは、りゅうさんの減薬理論の間違いのための

ジッケン材料に提供しようとしています

われわれは精神医の

親の

ジッケン材料ではない。ケンキュー材料ではない。

ウンドーにもリヨウされたくない。

それを、チェックしていたのがキーサン患者会なのです。

それは山崎君も一緒なのです。

それどころか、山崎君は退化したのです。

なにも、統合失調症があると言っているから退化したのではないのです。

おのが疾病観と治療論に確信を持ちすぎたから退化したのです。

おのが疾病観と治療論の正しさを証明するために、

前進友の会のなかまたちや、セカンド相談者の患者さんを、

ウンドーとしてリヨウしてケンキュー材料ジッケンと化してしまったからです。

りゅうさんは、患者さんを減薬ジッケンの材料にし、

山崎君は増薬ジッケンの材料にしてしまったからです。

それは、セカンド実践に入れ込んだときから変わり始め、

ここ2年ほどは完全に退化してしまいした。

というのも、山崎君がみんなの部屋に来た時、

えばっちは彼にこう言ったからです。

君、大学院の学生らしいな、ここで研究したり、

論文に書く参考にするつもりなら、来んでもええんや。

来るんだったら、遊びに来てくれや。

彼は、その後ずっと基本的には、遊びにきていました。

セカンドの罠が墓穴のように空いていたと想います。

セカンドに入れ込んでから、彼は、遊びに来ている訳でもなさそうでした。

ただぼくたちも、山崎君のセカンドと薬物の知識に期待していたからですが。

だから、山崎君もりゅうさんも同じように、

キーサン患者会から問われ続けなければならないのです。

だから、あなたはこう問われ続けられなければならなかったのです。

アンタにクスリを盛られてツラッカった

アンタに括られてツラカッた

アンタに閉鎖にほおりこまれてツラカッた

アンタに電パチをかけられてツラカッた

アンタに分裂病と言われてツラカッた

アンタにハッタツと言われてツラカッた

アンタにアスペルガーと言われてツラカッた

アンタに統合失調症と言われてツラカッた

アンタにハッタツ障害の二次障害と言われてツラカッた

アンタにクスリを増やされてツラカッた

アンタにクスリを減らされてツラカッた

アンタに家族から自立しろと言われてツラカッた

アンタにママの言うことをきけと言われてツラカッた

だから、うまく行った方よりも、上手くいかなかった

ツラカッタ、シンドカッタ、クルシカッタ

本当に上手くいかなかった3割の患者さん達に

向き合い続けるということが

この場合

「問われ続ける」ということなのです。

だから、りゅうさん、あなたとヒロセ氏とママさんたちとは

その3割を無視するか、なるべく小さく見せるか、裏に回すか

ナントカしてウンドー上の要請で

正しさを証明しようとしてしまった。

りゅうさん、えばっちは残念でなりません。

山崎君もりゅうさんも、退化したのです。

退化しちゃったんですよ。

おのが疾病論、治療観、処方論に確信を持ちすぎ、

患者会のなかまたちに

問われることを、問われ続けることを

どこかで忘れてしまった。

りゅうさんが7割を救っていることは認めているのです。

既存の精神医療の毒によって人生を失いそうな若者達を救っている

ことは認めているのです。

でもあなたは、「ショウメイシヨウトシタ」

山崎君もりゅうさんも自分の論を証明しようとした。

ソレは結局、極論を言えば、患者さん一人一人の幸せではなく、

自分の論の正しさのためのケンキューと、ジッケン材料にしてしまったのです。

そして、その結果を普遍化して、他の医者の攻撃材料に使えば、

ソレは最早ウンドーです。

で、それをやってしまったのです。

だから、なんとか、立て直すなら、今立て直さないと、

タイヘンなことになります。

で、これがセカンドに係わる他の医者達に波及することをおそれています。

セカンド協力医と称してきた何人の医者は、

かえって頑固に『確信持ちすぎ医者』になりました。

いや、最早彼らなりの医療論と疾病論と処方論の

正しさのために、新たなジッケンとウンドーを始めそうです。

とてもやばいことです。

他の医者に関してはえばっちは知りません。

ただ、光愛の黒川さんが、りゅうさんや山崎君のようにならないようにするのが

えばっちの最大の責任というものでしょう。

つまり、なんというか、こういうコトがセカンドの罠だったわけです。

 

りゅうさん、あなたがどこで間違ったかわかりますか。

なんで、こんなことをえばっちが言う羽目になったか、だから

この状況をどうにかするためには、役割分担しかないのです。

その役割分担の、イチバン大きな部分はもはや患者会ではありません。

そう、そうなのです。

ママさん達の、早期介入の会なのです。

早期介入の会こそが、りゅうさんに代わって

ウンドーをすることが出来るのです。

りゅうさんを、セーカツに引きとどめておくことができるのは患者会です。

りゅうさんの、りゅうさんに代わって早期介入の会がウンドーすることによって

りゅうさんをウンドーから引き離すことが出来るのです。

だから、早期介入の会が唯一の、最も重要なウンドー体

だったのです。

ウンドー体だから、シミンもギインもマスコミもありです。

だから、りゅうさんは、誤診誤処方をする主治医を糾弾してはならないのです。

糾弾するのは、早期介入の会なのです。

でも、本当は、りゅうさんに代わって、糾弾するのではありません

当事者だから糾弾できるのです、ハンタイできるのです。

だから、別伝で書いたではありませんか。

当事者は被害者だ。被害者だけが、ハンタイできる。

りゅうさん、あなたは被害者ですか。

被害者じゃないでしょう。被害者を救う、希有なまでの精神医なのです。

そのあなたが、糾弾ウンドーを始めてしまった。

だからそれは、被害者であるところの、

もっとも深刻な誤診誤処方被害を受けた

キーサン患者会と、ハッタツ当事者の会と、

ママさん達の会が

やらなければならなかったのです。

役割分担が逆です。

それは、りゅうさんですら、糾弾対象になるのです。

だから、りゅうさんは、精神医としてのセーカツとしての

ひとりひとりの患者さんを救うことのみに専念していなければならないのです

あなたは、あまりに酷すぎる主治医を糾弾するウンドーのために

当事者をリヨウし、おのが理論の正しさの証明のために

当事者をジッケンし、ケンキューしてしまった

だから、ここらで、理屈ではなく実際の動くセーカツとウンドーとしての

役割分担をハッキリした方がいいのです

 

りゅうさんを中心に考えれば、

りゅうさんの精神医としてのセーカツをウンドーとして担保するのは

くじら会とキーサン患者会なのです。

りゅうさんの、やってはならなかったウンドーをセーカツとして担保するのは

早期介入の会とキーサン患者会なのです。

ハッタツ当事者の会は、これからじっくり自分たちはどうするのかを

自分たち自身で決めたらいいのです。

どのようなセーカツとウンドーをするか

 

りゅうさん、あなたは常々こう言っていたではありませんか。

ワシはトラの威を借るキツネよ、と

トラはごかいでした。あなたはひたすら診察室を守っていた。

あなたがトラになってはいけなかったのです。

だから、この場合トラは早期介入の会なのです。

 

だから今最も重要なのは簡単なことです

早期介入の会がウンドーすれば良いわけです。

りゅうさんはただひたすら診察室で

一人一人を救えば良いわけです

 

つまり、早期介入の会をやろうと決めたママさん達は

別伝に書いたように、腹をくくったママさん達だと想ったわけです

りゅうさんは、早期介入の会を立ち上げて、そこに

キーサン患者会を誘った時に

りゅうさんは、おのがしくじりに気がついたと、えばっちは想ったわけです

ここが、えばっちのしくじりなのです

大きなしくじりをしてしまいました

それでもっと言うと

まさかえばっちがこんなコトを、

りゅうさんに向けてこんこんと説明しなければ

ならない羽目に陥るとは想っていなかったわけです

そこがまた、えばっちのしくじりです

結局りゅうさんはウンドーをしたかったのですか。

ウンドーしたがる医者は結局はプシ共闘のようにナルだけです。

 

 

セカンドの実践そして恐らくは

りゅうさんのハッタツ論は正しいのです

おそらくは正しすぎるくらい正しい

でもそれはウンドーとしてケンキューとして正しくなってしまった

精神医のセーカツとしては正しくないのです

 

りゅうさん、あなたが正しければ正しいほど、

あなたは謙虚にならなければならなかった、

何故か

だって、「主治医ー患者関係」で、

もっとも大切なものは「相性」だからです。

キーサンはセーカツからそのことを、腹の底からわかっています。

あなたは、付き合いやすいニンゲンですか、そうじゃないデショ。

だったら、あなたしか正しくなく

あなたしか正しい鑑別も診断もできないのだとしたら

あなたと、ウマの合わない

アイショウの合わない

患者当事者母親たちは

どうすればよいのですか。

どうすればよいのですか、教えてください。

あなたしか正しくないんでしょう。

そしてあなたとは、ウマの合わない患者さんはママさん達は

ガマンするしかナインですかね

 

だから「主治医ー患者関係」を

どうとらまえるかが、もっとも、大事な点だったのです。

言葉を換えればセカンドとは

精神医のセーカツの場である診察室でのみ行われ、

徹底的に精神医のセーカツであるべきだったのです

「相性」のモンダイ含めてね

ネットでやるならネット上での精神医としての

診察室でのセーカツを

目指すべきであった

 

それなのに、それなのに、あなたは、

患者を成田闘争に動員して連れて行ってしまった

プシ共闘の精神医のように

ウンドーに患者をリヨウしてしまった

つまりりゅうさんは自分のハッタツ論と減薬の正しさの証明のために

結果として、患者をセカンドに動員してシマッタ

だから上手くいった七割の方ばかり宣伝して

ハッタツで全てを変えられるのだと

既存の精神医療を完全に崩壊させられるのだと、

それを証明してやるからと、言い始め

ハッタツ当事者とママさん達とギインとシミンとマスコミと一緒にやり始めた時

セーカツからウンドーに転化したのです

そしてウンドーは容易に運動に転化します

だからセーカツとウンドー

だから原則と基盤

だからセーカツとカクメイ

なのです

セーカツの領域にとどめておいてウンドー化してはならないもの

セーカツとウンドー

両方必要なもの

セーカツとウンドーと運動

原則と基盤

当事者性と正当性と全体性と

歴史的一回性

イイとワルイ同時に言わなければならないこと

個別モンダイと普遍化

小局と大局と中局

希望と絶望なのです

だから「精神科セカンドオピニオン失敗編うまくはいかなかった編」を

出すべきだったのです

考えてみれば、単純なハナシです。

 

ぼくたちは、過去も現在も未来も、精神病の患者会を名乗り

やっているわけです。

りゅうさんは、精神病は無いと、確信をもって証明しようとしているわけです。

我々は変わらないわけですから、敵対するのは自然なことです。

 

精神分裂病が情動認知障害になろうとするときも

統合失調症になろうとするときも、

キーサンは、わしらはキーサンじゃぁぁーー

精神分裂病でイインです、と、叫びつつけてきました。

私たちは、あいもかわらず、

統合失調症がハッタツ障害になろうとするときに

同じように叫び続けているだけです。

ワシラはキーサンじゃあーー、と

 

だから、分からないんですよ。えばっちはそう想います。

本当のところは分からない。

医者や学者が流行りものを弄んでいるだけに想います。

AC、アダルトチルドレンが大流行した時は、

みんなAC、ACと言っていました。

えばっちも便利なので使いました。

これも、欧米の学者の輸入物でしょう。

ハッタツ障害も、えばっちにとっては同じコトです。

欧米の学者が考えついたものを輸入してきて、

便利なので大流行しているわけです。

「流行モノ」に左右されなあかんことはないじゃないですか。

今や、NHKの教育テレビを見ても、ハッタツ障害が大流行ですよ。

NHKが使っている言葉と、同じ言葉を使って、

既存の精神医療を全面否定することは、

望み薄だと想います。

新たなメシのタネが生まれただけじゃないですか。

えばっちは、ハッタツ障害ガイネンの拡大を止めるべきだと想っています。

止められないにしても、キーサン患者会は、

同じように叫ぶだけです。

わしらはACやない。精神分裂病でいいんです。

わしらはハッタツ障害じゃない。精神分裂病でいいんです。

わしらは情動認知障害じゃない。精神分裂病でいいんです。

わしらは統合失調症じゃない。精神分裂病でいいんです。

こんなコトは、1997年の大阪病地学会へのカチコミの時から

叫び続けているではありませんか。

全く一緒です。

 

いまやNHKまで使い始めたハッタツ障害に対して、

わしらはキチガイでイインです。

精神分裂病でいいんです。

躁鬱病でイインです。

と叫んでいるだけです。

そも、

NHKまでモがつこうとうるコトバをつこうて、

既存の精神医療を全面否定ナンテできゃあーセント、想うンデスガ

 

ただし、

ワシはハッタツ障害でイインじゃと言う人に

オマエは精神分裂病だとは

決していいません。

当たり前じゃないですか。

 

大局ばかりを言われても、ウンドーになるだけです。

大局とはハッタツ障害をつこうて、

既存の精神医療を破壊するということですね。

では小局はどうなったのです。

あなたにとって小局とは、患者会ごかいとの食事会と

味酒診療所でのリアルなゲンジツの診察室ではなかったのですか

小局を無視して大局ばかりを語るようになったら、

それはウンドーです。

大局に有利なように、小局が動かされることはありません。

小局から大局が動かされるのです。

いまは逆になっていませんか。

あなたのやっている、ネットや電話やFAXを駆使してやっている

全国規模のセカンドは中局なんです。

小局と大局の中間なんです。

だから当然中局は小局から発生するべきです。

中局が小局を規定するのは

本末転倒というものです。

当然、大局が中局を規定するのは、これまた

本末転倒というものです。

逆になってませんか。

 

これが、逆転していても良いというか、

逆転したまま

大局だけをやっているセーカツ感無しの当事者たちと

一緒にやってみたらドウデスカ

と、言いたいですよ、モハヤ

そんなに大局やウンドーやホーリツをやりたいのなら

そうキーサン患者会と一緒にやるより

モハヤ「病」者集団や全精連や全家連と一緒にやったらドウデスカ

その方が、良いのではありませんか

より建病者性が高いですよ

よりハッタツ障害者性が高いですよ

ヒロセ氏はその方が良いのですよ

元から、実は、そうだったのです

気が付きませんでした

リクツ好きなハカセさんですからね・・・

腐ったキチガイコテコテのセーカツと食事会とレク中心の

ナーーンモセン、出来ない、やらない、

キーサン患者会とやるより、

愉しいのとチガイマスカ

 

親の会などと言うものは本質的に右肩上がりなモンですよ

息子や娘に病者であるよりは、建病者であることを

そして、さらには、健常者であることを、望むんですよ。

だから、ぼくたちは、家族会とは対立をしてきたのでは・・・

その親の会に、りゅうさんは、ハッタツ障害と減薬でもって

新たな理論的支柱を与えてやっただけですよ

全家連より、もっと性悪なモノをこしらえちゃったダケですよ

ヒョットスルトネ

ぼくたちは、だから、親の会とは一緒にやりたくはなかったなぁぁぁーー

ソコハ、僕たちは、譲ったのに、

親たちもりゅうさんも、ナニモ譲りませんでしたね。

 

りゅうさん、どちらが、先に、ケンカふっかけてきたか、

コレデわかるでしょう。

どちらでしょうか・・・・

ぼくたちは変わらなかったダケなんですよ

変わらなかった

変わらないのは

そんなにワルイことなんでしょうかね

変わらなかったら、変わらずにセーカツし続け、言い続け、叫び続けていたら、

コチラがケンカをふっかけたことになる

ンデスカネ

ナントモハヤなんですが・・

だから、りゅうさん、もっとはやくに、

キーサンカンジャ会に相談すべきだったんですよ・・・もっと、早くにね

ワシは自分のオトシマエのために自らの誤診誤処方の後始末をするが

後始末されるキーサン患者会は

どうするのか、と、聞くべきだったんですよ

それを聞かないで

聞かないできたから、

「すり替え」るのですか

誤診誤処方から七割を救えるりゅう理論を支持しないなら

すべて、腐った多種多剤大量投薬のムカシながらの

精神分裂病診断医者と製薬会社の手先

既存の精神医療を強化するアホども

になるんですか

 

スゴいスバラシいとんでもない墓穴をね、掘っちゃったんだから・・

だから、三伝、引込めたんですよ、

しかも原稿の文言まで変えて、それでも、

今度の本から

ヒッコメチャツタんだから・・

ヒロセ氏の言うとうりにね、

そして、引込めたうえで、コレを、書いているんですよ・・・・

キーサン革命宣言に掲載できなかったことを悔やんでいますよ

悔やんでいるのです・・・・

墓穴を掘っちゃったのに・・・ね・・・ジブン達でね・・

 

折り合えない

折り合わないんですよ・・・・・・

敵対すらスルんですよ

 

だからって、はなっから、ケンカすることはないのです

なんとか、お互いに譲り合って

譲りに譲り合ってね、できるだけの収穫をめざすのです

敵は、巨大で、資金も潤沢、しかも、

益々、社会全体の精神医療化は進行していくのですから・・

早期介入モンダイしかり、観察法しかり、精神保健フクシ法しかり、

心理の国家刺客化しかり、新薬しかり

だから、収穫は、できるだけのものは、刈り取ったらいいのです

そして、ゲンカイが、きたところから、距離を取って

ばらばらにやるんですよ・・・

 

キーサン革命極意

本伝外伝別伝と、公表してきましたが、

真伝併伝を宣言本から、原稿落としちゃって悔やんでいますよ、そりゃゃぁぁ

そして、口伝を書いてきましたが、

とうとう、奥伝の最終章に、きちゃいましたよね

 

だから、バラバラでやるんですよ・・・・・ほんとは・・・・ね・・・

バラバラでやるんですよ・・・・

だから、それまでは、譲りに譲り合って

できうる限りの救援してセーカツして

できうる限りの収穫を刈り取りましょう、真剣にね

もしかしたら、それなりに、この共闘は、長くなるかもシレンのですから・・

ソレハ、ヨカツタ、ということでね・・

どうしてもどうしてもどうしても、ダメな時が来たら

バラバラで、やっていきましよう。

キーサン患者会は

滅びていくんだという事を基軸に、セーカツやり続けていきますからね・・・・

滅んでいくモノを、再転換はできませんからね

滅んでいくことによって、価値の転換を歴史に残しながら、

バラバラになってセーカツをツヅケルのです

それまでは、ナントカ真剣に共闘を目指しましよう

そのためには、相当部分譲らないと・・・・・

そう想いませんカネ・・・

 

そも、りゅうさん、は、

こう言っていました、ね。

えばっちが「キーサン革命極意本伝外伝」を最初に書いて、

感想を電話で聞いたときのことです。

「えばっち、こりゃあー、ワシとは真逆じゃあーー」とね。

りゅうさん、

われわれも、最後は、別れることになるでしょう。

なぜなら、えばっちの言う「すり替えアクジ」は、

りゅうさんが、やるからですよ。

 

ヒロセ氏はその代理人にすぎないんですから・・

精神医の落とし前と

キーサンの落とし前とは

チガウのですよ。

精神医の落とし前は、あくまで、正確な診断への希求と

おのが犯してしまった誤診の後始末

腐った精神医の誤診誤処方をブチノメス事

なんでしようね。

キーサンの落とし前は

全てを全てを全てを全てを

誤診も正診をも

既存の精神医療福祉も

既存の精神医療を破壊すると言っている精神医の理論もね

すべてをををを

すーーーべーーーーてーーーーをををををををを

全てを破壊することですからね

精神医の正診への希求を

含めてね

そうすると、その落とし前同志は

バッティングすることになるんですよ・・

だから、それは、自動的にすり替えアクジになるんですよ

だから、キーサン患者会のサイゴのカチコミ先は

ドコにナルカわかりますよね・・・

因縁でしょうか、えばっちの最後のカチコミ先は

りゅうさんとヒロセ氏の「すり替えアクジ」のゲンバ

ということになるのです

りゅうさん、それは、結局は精神医のエゴじゃないんですかね

結局ワシラキーサンは

患者は

精神医のエゴによって、人生を左右される

ということなんじゃないんでしょうかね

今回のコトもね。。。

もちろん、誤診よりは

誤処方よりは

あたりまえですけど、スゴイことなんですが・・・

ただねーーー

またしても、まてしても、ですよ

精神医のエゴで、

ワシラの人生が左右されているような気がしてならないですよ

それはもう、りゅうさんの身勝手なエゴですよ

あなたのエゴのためにいったい何人のなかまが

クルシンダラいいというのだ

もう、カンベンしてほしいですよ

もう、、、まったく、、、もう、、、ね

ワシらの人生

医者と親と専門家には、動かされツヅケテきましたよ。

もう、嫌です。

たとえ、りゅうさん、あなたであってもね。

もう、嫌だ、親と精神医と専門家とセンセイに支配されるのは

もうイヤダァァァァァァァァーー

誤診誤処方の精神医にはコロサレる

正診正処方の精神医にはイカサレる

そりゃあコロサレルよりはイカサレル方がイイに決まっているんですがね・・・

でも、どちらにしろ精神医のエゴでわしらキーサンの人生が左右される

イカスもコロスも精神医次第なのですか

我々キーサンがナニと闘ってきたのか

決まりきったことです

イカスもコロスも精神医次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスもカウンセラー次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスもPSW次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスもお役人様次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスもセンセイ様次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスも判事次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスも株価次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスも議員次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスもマスコミ次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスも全国組織次第という世の中と闘ってきたのです

イカスもコロスも親次第という世の中と闘ってきたのです

チガイマスかりゅうさん

ワシはイカス方の精神医で、それには確信がアル

と言ってしまえば、敵対するに決まっています

イカス方なのかコロス方なのかワカラン・・・

イカス方なのかコロス方なのかは、患者会の方で判断してほしい

というコトデはなかったんですか・・・

患者会が判断するのではない

これからはママさん達とハッタツ当事者が判断するのだ

オマエタチ患者会はマチガッテいるのだ

患者会はハッタツ当事者会なのだ

ワカリマシタ、これからは、もう、ソレデ、イイデスと、

言っているのです

認めているのです

おそらく、それが正しいと

ただ、歴史的一回性はドウナルノダと、言ってるのです

 

そしてまた、イカスもコロスも精神医次第という世の中で

患者会に係わった精神医の内部的カルテぐらいには

精神医の病名ではなくて

病名ぐらいは患者自身につけさせて欲しいということです。

患者自身の納得と、自分の人生のために

ただそれだけのことですよ

 

おそらくりゅうさんの観ている地平は絶望を伴った希望の平野を観ています

えばっちの観ている地平は絶望を伴った絶望の荒野を観ています

もう、前進友の会は、なくなっていくのですから・・・

「すり替え」られていくのですから・・・

 

僕たちの平均年齢はおそらく、還暦はとっくに超えてしまった

人数も少なくなってしまった

なかまの四分の一は、入院しています

高齢化して自力でセーカツできなくなって精神病院に戻っていったのです

観察法でやられて家族に医療保護入院させられています

そのビヨウインは全開放マーク方式から閉鎖病棟在りに退化シテシマツタ

キーサン患者会などというものは、ジッサイに滅びかかっているのです

 

ここらで、余りにもわかりにくいと、言われそうなので

分かり易いたとえ話をしましょう。

 

いつものおとぎ話ですよ

 

鬼が島に赤鬼や青鬼たちがノンビリと暮らしていました

ムカシは、里人に、里人の薬師たちにそれなりに恐れられていました

金棒をもって暴れまわるからです

でもその鬼たちも、もはや還暦を過ぎ

鬼であり続けることにも疲れ果て

里人のトコロに出没することもメッキリと少なくなりました

鬼が島の浜辺でノンビリたき火なんかして

ムカシの夢ナンゾ見ながら寝ておりました

 

たいへんだたいへんだモモタロウが来よったで

嘘言うたらアカン

ほんまかいやモモタロウが、来よるわけないやろ

わしらこのところナンモしてへんぞ

ほんまやほんまや、来たんや、しかも、そのモモタロウはな、見てビックリやで

 

ほんまや、でもなんで、あのオトコがモモタロウなんや

ワケワカランゾ

ともかくモモタロウのハナシ聞いてみよ

 

鬼が島の鬼の諸君

君たちは、実は鬼ではなかった

ここにいる猿や犬や雉なのだ

 

はぁーモモタロウはナニを言い出したんやワケワカランゾ

 

この黍団子が証拠である

この黍団子を喰らえば鬼は犬や猿や雉に

里人になることも夢ではない

しかも里人の若者たちが鬼化することも防げるのだ

里人の薬師の毒から里人を守れるのだ

実際見せてやる

といって雉や猿や犬にその黍団子を食べさせたのでした

すると、あーーら不思議

雉や猿や犬は、里人になっていったのでした

 

これはすごいな

モモタロウさんの言う事ももっともかもしれん

わしらもひとつその黍団子喰わせてくださいな

するとあーら不思議

鬼たちの中から、何人かは猿や雉や犬に

そして里人になっていったのでした

 

こいつはすごい

モモタロウさんその黍団子もっと分けてください

 

おーーいくらでも持って行け

 

しばらくすると

喰らった鬼の中から何人かのうめき声が聞こえ始めました

それは雉や猿や犬もおんなじで、何人かは、吐き戻し始めたのです

たまらなくなった鬼たちはモモタロウに言いました

 

すんまへん、モモタロウさん、苦しむ者がおりますが

どうしたらよろしいのでしようか

 

当たり前だ、里人の薬師の毒が回っておるのじゃ

しばらくがまんせい

薬師の毒を抜いておるのじゃ

ありがたく想いなさい

 

そうするとあーら不思議

我慢に我慢を重ねた者から

里人になったり雉になったり犬になったり猿になったり

 

これでわかったであろう

この愚かな鬼どもグチャグチャ言うでない

この黍団子は最終的に里人の薬師を皆殺しにできるのじゃ

おまえたち鬼もそうしたかったのであろうが

これからは黍団子の時代や

鬼に金棒の時代は終わった

鬼はいないのや

だから鬼に金棒やない

鬼に黍団子や

 

鬼に黍団子やないで、鬼には金棒やろ

とかブツブツ言いながら

どこかしら納得できない気色を隠しながら

金棒を地面に置いて

ある鬼はもうはや金棒を捨てて、モモタロウのように

里人の薬師にむかって黍団子を投げつけたのでした

 

するとあーーら不思議

里人の薬師はバッタバッタと倒れていきました

 

モモタロウも雉も犬も猿も鬼たちも大喜びです

里人からも歓声があがりました

 

でも何人かの鬼が目ざとく見つけたのでした

里人の薬師が倒れるふりをして

投げつけられた黍団子を拾い集め

その黍団子を里人の若者に喰わせているのを

 

モモタロウさんモモタロウさん

あれを見てくださいよ、あれはいいのですか

 

あれはアカン、黍団子の間違った使い方や

わしのやり方以外での黍団子の使い方はすべてまちがっておるのや

 

間違っているといっても聞きやしませんよ、あの薬師たちは

それよか黍団子で薬師が倒れるのはわかったので

黍団子で倒れる薬師には黍団子を投げつけて

あのずるがしこい何人かの薬師には

ムカシながらのこの金棒で殴ってやりましょう

 

アカン

ムカシナガラの金棒は捨てなアカン

それは、間違っておったのやから

金棒は、海に捨てなさい

今後金棒を使うものは、たとえ鬼であっても薬師とみなします

それよかこの黍団子を喰らいなさい

投げつけなさい

 

どうせいゆうねん

モモタロウおかしなってるんやないか

鬼に金棒やがな

その金棒使こうて薬師なぐったら

わしらも薬師と一緒や言うんかムチャクチャやがな

おいおいそれよかタイヘンなことになってるがな

 

そう鬼が島の浜辺はタイヘンなことになっていました

何人かの鬼が倒れこんで黍団子を吐き戻しているのです

雉や猿や犬ものたうちまわって吐き戻しています

 

モモタロウさんこりゃあかん

こんなに苦しんどるやないか

なんとかしたらなあかんで

 

なかには黍団子が身体に合わんでクルシムもんも出てくる

薬師の毒のせいや恨むなら薬師を恨め

薬師の毒のせいでくるしいんやから

でも吐き戻させたらアカン

吐き戻したら元の木阿弥や

ムリヤリでも飲み込ますんや

 

モモタロウさん、そんなことは、わかってま、わかってまっけど、

せやけどこれはなんとかせんと

 

だから介抱するのに母親を呼んであるのや

 

鬼や雉猿犬たちの母親達が、里人の若者たちの母親たちが

大船団に乗って鬼が島の沖に迫っていました

 

モモタロウさんこれは、鬼とモモタロウと雉と犬と猿と黍団子のハナシや

母親が登場するのはドウカと、

ハナシガゴチャゴチャになるのは、

めにみえとりゃあせんか

 

やかましい

鬼ども黙っとれい

ドコヤラの母親とチゴウて、黍団子団の母親はイイのや

それに実際介抱せなアカンやろが

 

そうこうするうちに母親たちの大船団から声が聞こえてきました

雉太郎やーーい雉子やーーい

モモタロウさんのいう事をよく聞いて黍団子を吐き戻してはいけませんよ

鬼太郎やーーい鬼子やーーーい

モモタロウさんのいう事を聞かないと里人に戻れませんよーー

あなたには才能があるのですよーーー

我慢して黍団子を喰らうのですよーーー

 

母親たちは必死になって介抱を致しました

それはもう必死になって

介抱を致しました

鬼も雉も犬も猿も母親たちからムリヤリ黍団子を

喰わせられました

 

鬼たちは真っ青です

母親の愛はやはりオソロシイのぉぉぉ

青鬼は恐ろしさの余り白鬼に

赤鬼は恐ろしさの余り青鬼になってしまいました

そして見たのです

鬼も雉も犬も猿も里人になっていくのを

 

どうやワシの言うとることは正しいやろが

だから鬼はいなかったんじゃ

鬼が島は無いのよ間違いよ

今後この島は里が島

あれらの島は雉が島猿が島犬が島

と呼ぶことにする

鬼はいない

今後鬼は存在するという奴はモモタロウが成敗してくれる

鬼はいない

いるのは猿か雉か犬なんや

わかったか鬼ども

今後ここは里が島と呼ぶことにする

鬼はわしが鑑別してそれぞれ犬は犬が島に

猿は猿が島に雉は雉が島に強制移住よ

鑑別できるのはこのモモタロウのみよ

他は里の薬師と一緒やさかいにできん

ワシだけや

鬼はいるという奴は薬師と同じよ

成敗するのみ

 

アヒー

モモタロウさん助けてください

強制移住だけはやめてください

ここ鬼が島で、静かに暮らして死んでいきますから

強制移住だけはかんべんしてくださいよ

鬼たちは泣いていました

黍団子が正しいことは、もうようにわかりましたから

里人の若者を守れることもわかりましたから

雉や犬や猿しかいないこともわかりましたから

我々も黍団子を喰らいますので

どうかお願いです

ここ鬼が島にこのまま鬼として暮らさせてください

 

ならん

鬼はいないのじゃ

黍団子が正しいのはわかりきったこと

ワシが証明したんじゃから

鬼が島は無いのんじゃあ

間違いじゃあ

間違いは正さなければならん

それが里人の薬師を皆殺しにし

里人の若者を守ることに

このモモタロウの罪滅ぼしになるのんじゃあーー

まだワカランカこのアホども

ワシが黍団子の正しさをこれだけ証明してやっても

ワカランと言うのじゃな

この鬼が島から出ていけ

ここは里が島じゃあ

もはや問答無用モモタロウは突き進むのみ

 

鬼が島の浜は阿鼻叫喚に包まれました

わしは鬼じゃああーー雉やないのや鬼なんやと叫びながら

雉の羽がある鬼たちは雉が島に引きずって連れていかれました

鬼か犬かはワシに選ばしてくれれーーと犬のしりっぼがある鬼は

叫んでいる口を塞がれて犬が島に引き立てられていきました

わしを鬼や言うたんは里の薬師やモモタロウもそう言うとったやないかーー

と猿の尻がある鬼は砂浜にこっそりと書き残して

猿が島に追い立てられていきました

その書き残したものは波と風によって跡形もなく消されていきました

 

母親たちは喝采を叫びました

そう鬼達は、いてはいけないのです

母親たちの娘や息子は里人になるのです

でも首尾よく里人に為った息子を持つ母親と

為れずに猿が島に行くことになった娘をもつ母親と

いつまでたっても介抱し続けなければならない母親とで

喧嘩が始まりました

船の上で掴み合いの喧嘩です

アンタよりワタシのほうがモモタロウさんとハナシができるのよ

という声も風に乗ってかすかに聞こえてきます

 

喧嘩しながら母親たちの大船団は対岸の里人の浜に到着したところです

 

鬼が島にはすっかり平和が訪れ

もういまは里が島

この島がかつては鬼が島と呼ばれていたことを知る人も

少なくなっていくでしょう

 

里人の薬師たちは

枕を高くして眠れそうです

鬼たちはすっかりいなくなって

夜な夜な

鬼たちの金棒に殴られる悪夢を見なくて済むようになったからです

鬼が島から出て里にやって来ることはもうありません

だって雉や猿や犬になったのですから

雉や猿や犬が来たところでどうにでもなるわい

黍団子はあとで、どのようにでも使えるわいと、笑いが止まりません

 

モモタロウは黍団子城を里が島につくるつもりでしたが

その築城工事中に

足場から滑って転落し行方知れずとなりました

作事奉行雉が島代官によって足場に油が塗られていたと

もっぱらの噂になりましたが真実はわかりません

 

ただおかしなことがひとつ

そう猿が島の代官が

実は猿は鬼だったのだ

実は猿が島が鬼が島なのだ

と言い始めたことなのでした

そんなことはありません、だって、住んでいる猿たちが

自分達が猿でそこが猿が島だということは

知っているのですから

おかしなこともあるものです

 

いまはただ

里が島に静かな風が吹いているだけです

ここがムカシ鬼が島と言われていたことは

早くも忘却されそうです

せめてあの砂浜に書かれたことが残っていれば良かったのですが

 

いつものおとぎ話モモタロウの鬼退治はこれで終わりです

 

だから、これほど傲慢化した怪物化した

りゅうさんとヒロセ氏に対する怨念をも含有シテシマッタ

このキーサンの怨念と

ハーさんたちの怨念とは一緒になるんでしょうかね

えばっちはチガウと想いますよ

えばっちは次の10年は入り口を塞ぐとともに

「すり替えアクジ」を監視するということになるでしょう

そうなりたかったんですよ、ほんとうにね・・・でも、さて・・・

だからまぁ

その「すり替えアクジ」はヒロセ氏とりゅうさんがやることになるでしょう

これが、えばっちのたどりついた結論なんですよ

ヒドイ結論でしょ

ほんと・・・

といっても最後通牒を突きつけているわけでもないんですよ

まぁ、できるだけ長く、それは三か月か、半年か一年か

三年か五年か七年か十年か

共闘をツヅケルために

最大限譲りツヅケルツモリですからね・・

その途中でキーサンがキーサンらしく

バンバンバァバァバァバァァーーンとバクハツしたら、そこで、終わりです

この長ったらしい

「小さな小さな極小の森の中の誇大妄想的な長大な物語」

終わりです。

去年の五月に対談しとけばヨカッタですね。

それで、この本に載っけておけば、

こんなに長ったらしいモノヲ書かなくて済んだ。

今年は会えますかね、デキタラコレを手渡ししたいんですがね

ごかいのみなさんと、会いたいですよ

りゅうさん、セカンド関係のお客さんは、りゅうさんに会いに行ったんです。

僕はごかいのなかまのみんなに会いに行くんです。

そこがまたちょっと違いますよね。

みんな、今のうちに、会っておかないと、もう、あえなくなるかもシレン

まあ、ごかいのみんなも歳が行ってきましたからね。

ごかいのほうも、友の会のほうも、

こんなに歳いって、ごかいも、友の会も、平均年齢は幾つ位なんでしょうね。

みんな精神病院や施設に逆戻りする羽目になって、

人数も少なくなって、

キーサン患者会が、もう実際なんにもなくなるかもしれん。

そういう時に、

僕はごかいの皆さんに、お願いしに行くのです。

りゅうさんと、ハッタツ障害セカンドを巡って、割れるカモシレナイ

敵対するカモシレナイ。

けれども、ごかいのみんなと、えばっちのつきあいは、続けて貰えないだろうかと、

頼みに行くのです。

ごかいと、前進友の会の、長い長いキーサントモダチとしてのつきあいを、

これからも続けて貰えないだろうかと

お願いしに行くのです。

頼みに行くのです。

そのついでに、

りゅうさんには、これを手渡すだけで、もう、いいんですよ

あとはりゅうさんが体調が良ければ少し顔を合わせて話すことができたら

ありがたいです。

みんなで記念写真も撮りましょう。

 

今回ごかいに行けるとして、えばっちは、

ごかいのみなさんに、これからもどうかキーサントモダチとして、

つき合って欲しいと、

頼みに行くのです。

りゅうさんと、敵対することになっても、

トモダチでいて欲しいと頼みに行くのです。

ごかいのみんなが、どう想われるのかは、わかりませんが、

 

えばっちは、

心から頼みに行くつもりでイマス。

 

ごかいも前進友の会も、おそらく、なかまの最後の一人が、死に絶えるまで

えんえんと、かわらずに、このまま、セーカツし続けるのです。

変わらない、というのは、すごいことです。

我々、キーサンは、何一つ変わらず

生き続け、そして、死に絶えるのです。

歴史的一回性ソノモノですよ・・・・

歴史的一回生ソノモノですよ・・・・

モハヤ歴史的一回聖にナルカモシレン・・・・・・・

 

もうひとつは、

りゅうさんとえばっちが割れた場合の

混乱を、なるべく小さくしなければなりません。

というのも、やっぱり、

りゅうさんとえばっちが割れて敵対するカモシレナイと言うことは、

イロンナトコロに相当な混乱を呼ぶかもしれません。

だからできるならば、

軟着陸するというか、軟離陸するというカタチで割れなければなりません。

何人かの、あるいは、幾つかのキーサン患者会のなかまたちにとっては、

混乱どころか、被害をもたらすかもしれません。

つまりえばっちは、

ウンドーではなくセーカツで割れたいわけで、割れるなら。

この割れることを、軟着陸させたいわけです。

それは、ウンドー上の要請で

患者さんが困ることだけは避けたいと想います。

なかまたちが困ることだけは避けたいと想います。

なので、この点からもりゅうさん、りゅうさんは間違ったんです。

 

ウツミが問われることはイイ。ウツミはクソだ。

でも間に挟まった患者はどうなったんでしょう。そのことはとても重要です。

患者一人一人は生きているのですから。

だから、

割れるに当たっても、軟着陸を目指したいのです。

だからこんなに順を追って段階を踏んで書いてきたのです。

でも、りゅうさんはひとりひとりの、患者さんの主治医と、

セカンド医としていま簡単に割れていくように想えてしかたありません。

そしてソレは精神医のセーカツではなく、

ウンドーになってしまっているからだと想うのです。

間に挟まれたしまったひとひとりの、

救われるべき患者はドウなるのでしょうか。

ウンドーなら主治医とはなっから喧嘩すればいいのです。

でも、本当に患者のひとりひとりのコトを想うならば、

先ずは主治医と交流し、意見交換を徹底的にしなければならなかったのです。

そしてそれは、たいへん手間と気力と体力と根気がいることだったのです。

たとえば、それは、ママさんと一時間話し本人と一時間話し、たのなら

本人の了解の元、そのあと主治医と二時間話す。

その手間が重要だったのです。

おなじ主治医であっても、セカンド相談者が違えば、

それぞれ個別に、

何度でも、やり続けなければならなかったのです。

だから、こんなに短期間に

こんなにたくさんのセカンド症例が集まったこと自体、

ウンドーとして展開してしまったことの

証左かもしれないのです。

だから、りゅうさんは、あまりに短期間に

一人一人の患者さんの

一人一人の主治医と、

ただウンドー的に割れたのだとしか想えないのです。

ウンドー的に割れて、ワシガタダシイノヤと、

言っている精神医をえばっちは、信用しませんよ。

だから役割分担したら良かったのです

そう役割分担が逆になったのデス

りゅうさんは、精神医としてセーカツとしてひとりひとりを救う

キーサン患者会は、その結果出てきた腐った主治医の誤診誤処方を

ウンドーとして、糾弾シヌク

キーサン患者会はセーカツとしてりゅうさんに問いツヅケル

りゅうさんは、ウンドーとして、その問いに答えツヅケル

くじら会はセーカツとしてりゅうさんのセーカツを支える

早期介入ハンタイの会はウンドーとしてりゅうさんのウンドーを支える

精神医と患者会

患者会と家族会

くじら会と早期介入ハンタイの会

セーカツとウンドー

その役割分担が、逆になってしまったのです

セカンドをはじめてから・・・足りないモノもアッタ

これを元に戻すことです

くじら会と早期介入ハンタイの会を維持し続けることです

くじら会はセーカツとしてひとりひとりを救う

早期介入ハンタイの会は、

その結果出てきた腐った主治医や制度をウンドーとして糾弾シヌク

りゅうさんが、早期介入ハンタイの会を立ち上げ

ソコに

患者会を誘ったとき

りゅうさんは、己が誤りに気付いて立て直しにかかったのだ

と、えばっちは、想ったわけです

なら、精一杯りゅうさんを支援しなければ、と想ったワケナンデス

でも、その後の経緯は、チガッテイタようですね。

りゅうさんはナニモ気づいていなかった

いや気づくつもりもなかったワケなんですね

セカンドには

りゅうさんの診察室と

患者会とくじら会と早期介入の会は相互に交流と監視をしながら

必要なんですよ

早期介入の会ができるのが、遅すぎたのです

どんな名称でもよかった、よかったからセカンドを

ウンドーとして担保できるナニカが必要だったのです

さもないと、

ウンドー化してはならないものが、

ウンドー化してしまう

 

精神科に限らず医者の診察室での診察は、

医療行為は、

絶対に絶対に絶対に

ウンドー化してはならないのです。

これは、ギリシア時代から言ってきたことではないでしょうか。

そうならないように

ある種枠がはめられている、ソウイウ行為なのです。

 

そしてじっさいは、ウンドー化してしまった

 

そして、この四者の微妙な関係性の中で

悩み苦しみながら

セーカツとウンドーで

本当は、徹底的に既存の精神医療と対決できたのですが・・・

ハッタツ当事者の会ができあがっていったら、もっとヨカツタ

ソシタラ五者のコチラ側のペンタゴンになったのですが・・

だから、簡単に言ってしまえば、

りゅうさんに代わって腐った主治医や既存の精神医療を

徹底的に糾弾・批判していくウンドー体として

早期介入の会はとても重要だったのです。

最初は、りゅうさんに代わってママさん達が

糾弾行動に立ち上がる、ソレで良かったのです。

そのうち、りゅうさんに代わってではなく、別伝に書いたように

被害者こそが

当事者であり

その当事者が、早期介入の会で自立的に糾弾ウンドーに

発展していったら良かったのです。

ソコニは当然、ママさん達の怨念を主体にしながらも、

ハッタツ当事者の会やキーサン患者会が、

当事者として、参加していけば、ソレで良いものになったはずなのです。

そしたらそれは、りゅうさんにウンドーから撤退して貰って、

精神医としての本体としてのセーカツに

専念してもらいうるという現実的で客観的な条件を作り得たのです。

 

りゅうさん、こんなことは、少し考えれば、誰でもが気づくことなんですよ

だ、もんで、みんなウッスラと気づきはじめているんです

だから、もう敢えて書くのですが、光愛の島田医師と割れるのならば、

先ずは一人一人の患者さんの行き場所を作ってから

割れて欲しいと想うのです。

だから、

それなら、山崎君と高橋さんもおなじで、

セカンドの主治医としてりゅうさんに信頼関係を持っている患者さんに対して、

サードと称して、あまりにも安易にその信頼関係を壊してしまったのです。

もし、ファーストの主治医と関係がもう切れているのなら、

主治医はりゅうさんです。

サードと称して、あるいはセカンドでもイイのですが、

山崎君と高橋さんは

あまりにも安易に患者さん本人とりゅうさんとの間の

「主治医-患者関係」を

壊してしまった。

それは最早、患者さん本人を救うための実践ではなく

りゅうさんを糾弾するためのウンドーになってしまった。

 

だから、こういえば、りゅうさん。りゅうさんのやった精神医としての

仁義を踏み外した行為が分かり良いはずです。

りゅうさん、あなたはなによりも本人を救うためなら

どんなに腐った主治医であろうが現在成立している

「主治医ー患者関係」を

壊すことには慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも慎重にも

慎重にも

ならざるを得なかった

ハズナノデス。

 

ウンドーにしてはならないもの

精神医ならどうしても守らなければならない仁義

患者会と一緒にやるならどうしても問われなければならない

問い

トイウモノガ、あるのです

 

それにしても、10人もの人が読まないのに、

ナンでこんなコトを書かなければならないのか。

 

それにしても、なんで、こんなに書いたのか

キーサン革命極意本伝からです、からね

いや、その序章の「りゅうさんへ 極私的セカンド本書評」からですからね

何万字になったのか

骨身を削って心身すり減らしてヒッシコイテ

何段階も踏んで、何万字も書いて、

それで意味があったのかなかったのか・・・・

読み手も十人くらいですからね、、

なんの意味が、あったのかなかったのか・・

まぁ、ボクたちが割れてヨロコブのは

いつもの例のご一統サンたちですよ

それでも、りゅうさん、ハッタツでやることに

りゅうさんは意味がアッタわけですね・・・

世の中、ハッタツのバブル

ハッタツブームですよ

三障害が四障害になったダケとは、モハヤ言えない

ハッタツ音頭の踊りの真っ最中ですよ

わしらキーサンは

またしても、世の中からは取り残されて

いやまったく、三歩先を行くよりも

三十憶万兆歩も世の中に遅れて

遅れついでに

滅んでいきましょう

 

滅ばなければ

「すり替え」

られるダケですからね

 

結局、親の会と医者の会なのでは、ありませんか。

だとしたら、キーサン患者会は親の会や医者の会と

一緒にやる気はないんですよ、なかったんですよ。

でもね、今回だけは一緒にやろうと想ったんですよ。

だから、患者会の方から譲りに譲って共闘しようとしたんじゃないですか。

りゅうさんだからこそ、今回は親の会でも医者の会でもいいから、

一緒にやろうと想って譲りに譲って、握手の手をさしのべたのに、

親の会をやっているママさん達は、何を譲ったんですか。

医者の会をやっているりゅうさんは何を譲ったんですか。

ママさん達もりゅうさんも、何も譲っていない。

我々は譲りに譲った。

親の会と一緒にやる

医者の会と一緒にやる

我々は滅んでいく。

ハッタツ障害とセカンド実践と減薬は七割は正しい

マスコミもギインもありだ

必要があれば我々はパネリストにもシンポジストにもナル

ママさん達の当事者性と怨念を認める

譲りに譲ったじゃないですか。

りゅうさんあなたはナ二か譲りましたか。

親の会と医者の会なんですよ。

キーサン患者会が一緒にやれるわけ無いじゃないですか。

だとしたら、我々は早期介入の会から脱退することになるんですよ。

そんなことも分からないのですか。

何か譲って下さい。りゅうさんが何か譲って下さい。

我々はもう譲れないところまで来ています。

だから譲るのは、りゅうさん、あなたなんですよ。

 

りゅうさん、体調が許すのならできうる限りごかいと一緒にいて下さい。

りゅうさん、体調が許すのなら1ヶ月に1時間で良いですので、

実際の診察室を再開してください。

りゅうさん、セカンド再開はその後です。

りゅうさん、このままで行くとりゅうさんが今までやってきた積み上げたモノ、

患者会が今まで積み上げたモノを、無様に無効化されてしまいますよ。

恐れられるのではなく笑いモノになるのです。

りゅうさん、りゅうさんの立場を最終的に担保するのは、

りゅうさんファンのママさん達ではなく、

りゅうさんにこれだけ反論を言いつのっている

えばっちやキーサン患者会であることを分かっていますか。

 

えばっちはりゅうさんのセカンド実践が

良かったときと悪くなったときがあると想っています。

それは時期的なモノであるとともに、条件的なモノでもあります。

この二つの条件が揃っていたときりゅうさんのセカンドは凄かった。

でも、この二つの条件が消え、

次の二つの条件が揃ったときに、

りゅうさんのセカンドは悲惨なモノになりました。

消えてしまった二つの条件とは、簡単なことです。

一つは、ごかいとのせめぎ合い、もう一つは実際の診察室での外来です。

では、悪くなるために揃ってしまった二つの条件とはなんでしょうか。

一つは、ママさん達ファンクラブに囲まれてしまったこと、

もう一つは、片岡ハッタツ理論との遭遇です。

これほど希有で経験を積んだ年期の入った凄みのある臨床家としては、

全く不様なことになったものです。

理論は所詮リロンだったのに・・・

これほど希有な臨床家が、、、、

ナサケナイハナシです

 

これはえばっちの個人的なものの考え方ですが、

えばっちは内輪と外輪、

そのそれぞれに内向きと外向きにものを考えることが多いです。

これはえばっちの個人的な内的なあたまのなかみのことなので

一般化はできませんが、あえてここに書くのは、

えばっちのあたまの中身から、

どうもりゅうさんのやっていることは、これだけ書いても書いても、

えばっちが感じている違和感が上手く説明できないのです。

だから、少し、えばっちのあたまのなかみを説明することで、

説明デキンかなと想いました。

 

外輪の外向き

外輪の内向き

内輪の外向き

内輪の内向き

 

えばっちのあたまのなかでは、

今のりゅうさんは外輪の外向きしか有効ランプが点っていません。

他の三つに関しては、過去のりゅうさんは全て点っていたのですが、

現在のりゅうさんには全く点っていません。

この感覚は分からないと想いますが、敢えて書きました。

だからりゅうさんの正しさは7割だと言ってきましたが、

それは公式見解というやつで、えばっちにとっては、

2割5分の正しさしかありません。

外輪の外向きにしか、、、眼が向いていない

 

親の会は、結局は社会復帰路線になるのです。

精神分裂病だろうが、ハッタツ障害であろうが、統合失調症であろうが、

そんなことは関係ありません。

親の会は、我が娘や息子を

せめて健病者化したいのです。

できたら、健常者化したいのです。

つまりは、我が娘や息子に「右肩上がり」の人生を望むのです。

当たり前です。

親だからです。

だから僕たちは、親の会とは対立してきたのです。

だからりゅうさん、りゅうさんはその親の会にハッタツ障害と減薬、

そしてクスリがゼロになると言うことで強力な

社会復帰路線の理論的支柱を与えたのです。

いや、新たな理論的補強材料を与えたのです。

だから、親の会は基準を

努力してクスリをゼロにし、努力して大学に入り直し、

努力して就職をし、努力して家庭を持つ

という人生を基準にします。

 

我々キーサン患者会のなかまたちの基準は、

より病が重く、クスリが重く、

学校からも、会社からも、排除され、

二度と復学も復職もできない

まったくの無才能の無為無策の寝てばかりいる

なかまが

基準なのです。

我々はそのようにしかセーカツできません。

我々はそのようにしかウンドーできません。

我々は変わらないのです。

 

りゅうさん、あなたとヒロセ氏の二人は、ジブンタチが正しいので、

キーサン患者会は当然ついてくると甘く考えていたのです。

キーサンをなめてはいけません。

我々は、アヤマリだ、間違いだ、と言われているのです。

また、我々自身もそれを認め、滅んでいこうとしているのです。

滅んでいくものの、「哀しみ」をあなた達二人は、

まったく甘く考えていたわけですね。そうとしか想えません。

だからりゅうさん、あなたはもっと早くもっと丁寧に、

もっと根底的に、

キーサン患者会に聞くべきだったのです。

説明すべきだったのです。

自分の観た地平をわかりやすいように説明し、

ゲンジツ化するにあたって、

どこをどのように譲って表現するか考えるべきだったのです。

この調子で行けば、りゅうさんと、ママさん達が作った

親の会医者の会と最終的に全面的に徹底的に対決するのは、

キーサン患者会になるのです。

だからそれは、非常に壊滅的で、

キーサン患者会と患者会と一緒にやってきた医者とが、

共同で作り上げてきた歴史と文化を自らの手で反故にすることになるのです。

それを避けるためにヒロセ氏は、「すり替え」をやろうとしている、

としか想えません。

しかも、自分自身で激突を煽っておいて、です。

許せることではない。

しかし、その「すり替え」もまた、

患者会を闇に葬ってしまうことになってしまうのです。

だから、早期介入の会がこの激突を避けるために最も重要なのでした。

過去形で書いたのは、りゅうさんあなたが何も譲らなければ、

我々は全面的に対決することになるからです。

親の会、医者の会対キーサン患者会という、

対立が

ムカシながらの対立が、

ココでも起きるというわけです。

それに気づかなかったのですか。

言っておきますが、対決すると言うことになれば、

我々は、最後の力を振り絞って

あなたがハッタツ障害ガイネンとセカンド実践によって作り上げてきた

親の会医者の会と

それぞれの生存を懸けて全面衝突することになります。

ヒロセ氏とママさん達の何人かは、知ってか知らずか、

この全面対決を先延ばしするか回避しようとするよりも、

煽ったのです。

もしくは、回避しつつ煽ったノカ

それとも煽っておきながら回避シタクナッタノカ

ナンという馬鹿なことを。

ナンという愚かなことを。

馬鹿じゃないのか。

だから、早期介入という唯一の場でお互いに譲り合って、

ウンドーをすることがこの全面衝突を回避する唯一の手だてだったのです。

りゅうさんあなたが7割正しく、3割間違っているとして、

それが9割8分9厘の正しさになった時、

最後に残る1分1厘が患者会なのです。

これは、前から言ってきました。

9割8分9厘正しいあなたが、最後に打倒しなければならないのは、

1分1厘のキーサン患者会なのです。

この皮肉に気づいていたのかいなかったのか。

気づいていても「すり替え」で何とかなると思ったのか。

それとも、気づいていながらそこには、目を向けないようにしてきたのか。

だから、あなたの観た「地平」が、正しいのであれば、

あなたは、キーサン患者会を打倒しなければならなくなるのです。

こんなことは、少し考えれば、だれでもが分かることです。

だから、あなたも気づいていたと想います。

だとしたら、回避する努力をすべきでした。

えばっちとしては、回避する努力をまだまだ続けるつもりでいます。

だから、これを書いているわけです。

だから、あなたはおのが観た「地平」が、

正しいという確信があればあるほど、譲るべきでした。

今からでも遅くありません。何をどう譲るのか、明らかにして下さい。

さもなければ、我々は、この我々というのは、

りゅうさんあなたとえばっちと言うことですが、

相当シビアーな全面対決に陥るでしょう。

えばっちとしては、譲れるものは全て譲りました。

りゅうさん、今度はあなたがナニカ譲って下さい。

 

まぁ、どちらにしろ、

どちらにしろ、ですよ

おそらく、ごかいも、前進友の会も

 

キーサン患者会為るものは、

おそらくすべてが、

延々と変わらずにキーサンの仁義とセーカツを守り続けます。

セーカツをし続けます。

 

なかまの最後の一人が死に絶える、まさにその時まで。

歴史的一回生を生き続けるのです。

叫び続けるのです。

ナニモ変わらずにね。

 

だからりゅうさん

えばっちは宿命のように問い続けます。

前進友の会というキーサン患者会の中で

今までと同じように全く変わらず

これからも変わることなく

永遠に

すべての精神医にすべての精神医療福祉業者に

問い続けます

おそらく最後の一息になっても問い続けます

りゅうさんにも問い続けます

 

「オマエハホントウニ

タダシイノカ」

 

201211月起稿 えばっち

 

 

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