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 さて、あの対談の録画、録音、書きおこし文章と、いろいろなご要望を頂いておりますが、そしてそれは、ありがたいことなのですが、ですが、ですが、ですが、申し訳ない限りなのですが、端的に申します。動画データー、音声データーは、基本公開不可で、もし公開されましても大幅にカットさせて頂きたいです。書きおこし書面につきましては、相当程度、カットさせて頂けないものかと、想っております。なんとなれば、本当に、赤裸々に語ったのです。あのハナシは、あの日あの場で、あの時間を共有したみなさんとダケのモノなのです。だから、ハナセたのです。だから、語ったのです。あの25名のみなさん、あの場あの時、を共有していた、みなさんとのモノ、「ライブ」なのですから、、、、、、

 もちろん、それだけではありません。それは、えばっちの、まことにまことに恥ずかしい、真に、恥ずかしい、ブライヴぁシー満開のハナシだからです。それは、母と父と祖父のことなのであり、母にとっては、生涯を掛けて隠し続けたかったコトなのであり、父と祖父にとっては、ソウまで想われていたのか、、と云う語るには父にとってもボクにとっては、気恥ずかしいハナシなのであり、祖父にとっては、もうどうでも良い、お恥ずかしいハナシなのです。しかも、勉強は出来たアタマは良かったんだと云う「ジマン話」なのであり、お恥ずかしいモノなのです。

 己が成育歴を語ると云う事は、恥ずかしいハナシなのであり、ジマン話なのであり、それでも、今後、精神病患者会の生存を掛けて真剣に徹底的に「反発達障害」を闘い続けるためには、避けてとうれなかったことなのであり、そのためには「己が身を、己が成育歴を」差し出すしかなかった、と云うコトなのです。

 

 そしてそれは、ますます、『発達障害概念』なるものが、まことにいい加減なもの、特に、『社会性の障害』『コミュニケーションの障害』『イマジネーションの障害』『こだわり』『過集中』『対人関係』などと云う、『ウイングの三位一体』ありがたやありがたやの『ウィング様サマのトライアッド三つ組み』なるものが、ドウとデモ取れる、どんなことでも含まれてしまう、しかも、えばっち自身の成育歴を差し出して【実験】してみたところ、成育歴を話せば話すほど、「発達特性」と云うよりは「オモシロいハナシの展開となるもののソレは家庭環境・地域環境・学校環境からくる了解可能なハナシばかりになる」という、ことになっていったのです。

 だから、あの①から④の立場が、それぞれにあったり、移動したりすることも、そうなのですが、

①発達障害に賛成で、江端もアスペルガーやわ

②発達障害に反対だが、江端はアスペルガーやわ

③発達障害に賛成だが、江端はアスペルガーではないわ

④発達障害に反対で、江端もアスペルガーではないわ

以上4点あると想われますが、①の立場の主治医が、③に為り得るのかどうか。そもそも②③の立場があり得るのかどうか。④の立場から②に為り得るのかどうか、①の立場④の立場は、ますます確信を深めていくのかどうか、、、、、さて実際はどうなったのか。オモシロイと云うか、スゴイと云うか、、、、

 

 だからこそ

 まず、本人の話を聞け、ということになるのです。そしてそれは、突き詰めればトコトコン突き詰めれば、己がクルシさシンドさ、を名付けなければならないとしたら、本人が決めるということなのです。さもないとそれは、『名付けることの権力性』『名札を貼り付けることの暴力性』『解釈することの危険性』そのものになってしまうのです。そもそもが、「ココロのモンダイの医療化」「ココロのモンダイの心理化」の根源ではないですか。『医者や専門家カンセラーの名付けることの暴力性』対『患者側の病状を伴った怒りのバクハツ』なんですよ。そもそもが、、、。だからだからこその【エバタ病】なのですから、、、、

  ただ、、それを自らの成育歴を差し出してまで、実験してみたところ、そのハナシ自体は、あまりに語るには恥ずかしい話しなのであり、やってみたところ、これほど疲れるものだとは想わなかったぐらいの、話しだったのです。あの、25人のライブだから、話せたのであって、、、、、、、

お願い申し上げます、お恥ずかしいハナシなんですよ。

次の四点をカットするということを、お願いできないでしょうか。

一、母が、一生涯をかけて隠し続けたかったこと。母は存命中です。

二、父のことを、そうまで想っていたのか、ということ。

三、祖父のことを、そうまで想っていたのか、ということ。

四、勉強が出来たというジマン話。

四つとも、実に気恥ずかしいお恥ずかしい話しなのです。何のことかわからないかもしれませんが、25名の方は、あの場を共有した皆さんには、分かっていただけると想います。そしてそれは、おそらく録画や録音、テープおこし文章の半分以上をカットすると云うコトに為ると想います。

 

  もちろん、黒川さんにも、事務局の皆さんにも、了解を頂いた上での話です。

 

  さらに、前々から、考えていたことがあります。それは、友の会の中でも、本人の了解を得られなければ、本人のことはハナセない、と云う我々の原則のことです。新聞記者や、ライターさんたち、そして論文を書きたがっている学生さんたちや学者さんたちを嫌うのは、実は、この点も、あるのです。日常的に日常的に余りにも簡単に、精神医やら看護の医療従事者間、作業所やらの福祉従業員間、家族親戚近所のおばちゃん、学校の先生、保健所福祉事務所、果ては警察にまで、我々の病状や症状がダタ漏れ、漏れて行ってしまうと云うことです。そうそして、それは、漏れて行ってしまうダケではありません。今度は、反対に医療側の都合によって頑なに出されないコトもあります。『患者様の医療情報保護』の名のもとに、病院側にとって都合の悪いことは、隠したいことは、徹頭徹尾ダンマリを続けるのです。一方でダダ漏れ、一方で隠し続け、つまりは、我々の症状や病状や趣味に至るまで、医療側の都合、福祉側のご都合に合わせて、まことにベンリに扱われていると云うコトなんです。

 

 もちろん、例外と云うか、生の録音や、テープ起こし書面をお渡しできることは、アルとは想っています。一つは、ライブに拘るということです。実際の参加者の皆様には、御渡し出来るのでは、、、と想っております。だから、今後また、同じような機会があれば、ライブで、、、とは、想います。ツカレすぎますので、もうムリかもしれませんが、、、、また、実際に前進友の会のみんなの部屋で、交流を続ける中で、御渡しできるコトもアルかもしれません。これまでに、前進友の会みんなの部屋で患者会としての交流を積み上げてきたと云う信頼もアってのことと想うのです。がとにもかくにも、基本、6月17日の14時から17時45分までの、あの部屋にいてた25名の皆さんとのライブということで、お願いしたいです。己が成育歴と云うのは、お恥ずかしいハナシなんです。よ。

 

  ただ、それだけでは済みますまい。自らが言い出したことなのですから、、、、それだけでは不親切極まりないですから、、、、、

   コレから少し、せめて、えばっちが感じたあの対談のまとめというか、総括と云うか、えばっがどう聞いていたの簡略なご報告を致したいです。

 まず、やはり、主治医の黒川さんの立場は、端的に言って『①発達障害に賛成で、江端もアスペルガーやわ』から『③発達障害に賛成だが、江端はアスペルガーではないわ』に基本、移ったと想いました。モチロンそう単純なハナシではありませんが、①の立場が変わったのは、確かダト想いました。黒川さんは、正直でした。フツーの精神医だったら、コンなコトは、認めませんもんね。『発達障害はあるとは思うが成育歴を聞く限り、アスペルガーではなく、どちらかと言えばADHDの傾向が強いものの、今度は大きな条件が抜けていて確定は出来ない』と、あらあらそういった結論だったと想います。

 ただ、対談の最初の方で、なぜえばっちをアスペルガーだと判断しているのか、その根拠を聞きたい、と云うことで、えばっちの方から主治医に質問していたところがありました。そこでびっくりしたのは、ウィングの三つ組み三位一体が、無意識のうちに拡大解釈していたかもしれんと、黒川さんは言っていましたが、とてもじゃないがそんなことを越えた『アンフェア』と云うか『カテゴリー・ミス』だなと想うことがありました。というのも、患者会内での出来事や、仲間同士の軋轢や、友の会と他の団体との関係性の中での出来事を、それは患者会内の運動論であり、歴史であり、人間関係そのものであり、それを『コミュニケーションの障害』『イマジネーションの障害』だと捉えていたことでした。そりゃないだろうと、想いました。友の会内の人間関係の軋轢が、しかも、そのどちらもが黒川さんの患者として受診している中で、しかも主治医自身もある程度事態の推移を分かっているのではないのか、と云う中での一方の患者さんの言うことだけを聞いて、患者会内の歴史や軋轢や意思決定の文化を、無視して、えばっちの『イマジネーションの障害』『コミュニケーションの障害』に繋げるのは、ホントどうかと想いました。これは、非常に問題だナと想いました。しかも、成育歴を聞けば聞くほど、「コレはチガウな」と云うコトになっていったのですから、、、ただ、これも、会内のなかま達含めてのプライバシーにかかわることなので、ここまでにしたいとは想います。

 ただ、このコトは、患者会の歴史と総括としてとてもとても、重要なことなのです。だからこそ、これから、ボチボチと、前進友の会の40年を踏まえ、これから50周年を目指すためにも、「当事者スタッフとはナンなのか」「健病者と病者と患者会と」「患者会のリーダー群像と病者運動ボス」「原則と基盤第三巻 医者と患者と患者会と」と云うような文章を患者会の重要な歴史として具体的に、書き残しておきたいなぁーとは想っています。果たして書き得るのかどうか、、、ナノですが、、、、、

 

 ソンなコンなを踏まえたうえで、一貫して想うのは、どうあがいても、患者側は『名づけられることの権力性』と『解釈されることの無効化』からは逃れられないんだなぁーと云うことでした。まず、えばっちの場合は、アレが躁なんやアレが鬱なんやと、アレは躁やからできるんやと、躁鬱の波ちゅうこっちゃタラ、躁鬱で無効化され、今度は、イマジネーションの障害やタラ、コミュニケーションの障害やタラ、あれが発達特性のこだわりや、タラ、人間関係の幼さやタラと、タラタラタラと、無効化され、今度は、ああワカッタと、江端の行動は「父親への敬慕」と「祖父への嫌悪」から来るのやと、ただそれだけのことや、と、、、、、ヤレヤレ、えばっちのやろうとしていることや目指そうとしていることを、正に、正に『心の問題化』シタ上で『心理主義化』『精神医療化』そのもので無効化されるんだろうなと、そう想いました。その意味では、今次のニチリンシン関西派学会のテーマに二重の意味でピツタリとはまっていたのではなかろうかと、想いました。

 

 とにかく、前々から想っていた通り、発達障害とは、あまりにもいい加減な代物で、あまりにもドウとでもツカエルまことにベンリな色物に過ぎないということが、再度、えばっちにとっては了解されたということでしょうか。自分自身の成育歴を差し出して得た結論とは、『決定的な再確認』だったのです。だから、コレを得るために、自分自身で自分自身の成育歴を差し出して実験してみた意味は、アッタのだと想っています。【精神病患者会の生存を掛けて反発達障害】を叫ぶ意味合いの再確認だったのです、から。もちろん、なんといっても、実際に主治医との対談を企画し本当に実際に実際にやってみたわけですし、えばっちのあらん限りのキチガイとしての全身全霊をもって「名付けることの権力性」に対して徹底して、決定的に嫌だ、イヤなのダと、イヤァァァァァーーダァァァと叫び続け、「解釈されること」へ抗議し続けたのですから、、、、、自分自身の成育歴を差し出しながら叫び続けていたのですから、、、

 そして、さらにまた、その過程の中から、そのナカからナニかが、、、ナニカが・・・、ナニカが・・・、ナニカがホントウにあったのなら・・・、アッタのなら、ヨカッタのですが・・・。アッタのかナカッタのか、、、、、、、

 

 発達障害にまつわるコトだけではなく、皆さんからの質問も含めて、とても広範囲な赤裸々な意見交換が出来たと想っています。その意味では、ここでも、黒川さんは正直だったと想います。一つは、患者側からの暴力をタイヘンに恐れているということ、を語っていました。だからこそ、精神医療が【保安処分】になってしまうことも、是認してシマツッテいるのでした。今一つは、レセプト病名の問題、これは、カットせずに残りますので、書き起こし書面を是非とも読んでみてください。あともう一つ、クスリの問題では、なんと、診断名ではなく症状に応じて処方しているということがハッキリと明言され、それはとても良かったと想います。だからこそ、統合失調症でも病状が安定していれば薬は出さないし、発達障害でも症状があれば必要な薬は出すということでした。考え方としては、漢方の「随証治療」の考え方に近く、「患者さん本人の嫌がることはしない」と云う黒川さんの基本方針とともに、とても評価できる点だと想いました。

 

 会場からの質問については、とてもありがたかったです。成育歴や処方に関してとても活発にいろんな意見が出て、対談として行き詰っていたところも、会場からの手助けによって動き出した側面が多々あったと想います。ありがたいことです。助けて頂きました。

 

 最後に、それらすべてひっくるめて、前進友の会40年の歴史を下記のような図を基に、

(1)内輪の内向きの活動──食事会とレク、

(2)内輪の外向きの活動──最も身近なクリニックや精神病院にかかりながら、だからこそそこの医療内容や福祉の内容を監視すること、

(3)外輪の内向きの活動──交流のお客様を迎えて、食事会やレクを共にすること、

(4)外輪の外向きの活動──国会やナントカ審議会やドウたら検討会などで法や制度の改悪反対や制度政策提言活動をやること、という4点に分けて説明したのですが、では、この対談はナニになるでしょう、と云うことを申し上げ、

この(2)の内輪の外向きの活動がどう捉えられていくかに患者会の歴史と現在と未来がかかっていると述べさせていただきました。ソコがこの対談が40周年の一環と云うワケなのです。そして、ココがココこそが、精神病患者会為る在り様が、「良心派改革派」から、ソッポをむかれ、はじかれ、無かったことにしたいトコなのですから。この(2)に関しては、黒川さんをはじめ、参加者の皆さんから、もっともっと意見を聞きたいと想いましたが、ここで、時間切れとなりました。17時45分くらいになっていたでしょうか。14時からスタートで、休憩は一回でしたから、本当に皆さんお疲れさまでした。ありがとうございました。

 

ご報告部分は、えばっちのあくまで「対談の一方の側」の感じたコトです。

 

  対談相手の黒川さん、参加者の皆さん、事務局の皆さん、本当にどうもありがとうございました。またお会いしましょう。前進友の会の40周年の一環として、この主治医ー患者対談が出来得たコトは、素晴らしいことでした。みなさん、どうも、ありがとうございます。

 

2017年9月13日 あくまで、キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

 

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