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精神病患者会が無くなりそうな今、遺しておきたいこと

どうしても、どうしても、残さなければならないこと

だから、途中ですが、二万字で公表することにしました

十万字でも、「患者会とはナンなのか」は書き得ない、、、、と想いました

あくまでキーサン革命の鬼えばっちの視点から、です

読んでいただければありがたいです

宜しくお願いいたします

 

患者会とはナンなのダ

キチガイのキチガイによる

キチガイのための精神病患者会とは

 

精神病患者会を新しく作ることが出来得るのかどうか、応えようと想って書きました。応えるために書ました。今のような世の中で、精神病患者会をドウしたら、ドウしたら新しく作ることが出来るのか、ドウしたら患者会をナントカナントカ残すことが出来得るのか、遺し得るのか、その方法と手立てを、本当に現実的実際的に具体的に提案をするために書きました。それが、真に患者会を遺し残すこととなるからです。だから、自分からお願いして、ココに来ました。実際的な具体策を提案しますので、よろしくお願いいたします。キチガイが生き延びるためには、本当に必要なコトなのです。そのために、以下のように「精神病患者会」のコトを出来うる限りにまとめておきたいと云うトコロから出発致します

今回⓯項目に整理して書いてみました

❶患者会の活動(1)>(2)>(3)>(4)

(1)内輪の内向き 食事会とレク、最も最も重要な活動

と云うかセーカツそのもの

地道なセーカツそのものである。愉しく、タイヘンではあるがなかまたちとのセーカツそのものであり、たまり場を維持するためのお掃除やお茶の用意などを含んでの取り組みであり、患者会の根幹中の根幹であり、いよいよと為ったら、この活動だけと云うか、この活動そのものが患者会の本体である。

 シンドい、オモタい病者にとっては、コレだけで、精一杯と云うことも多い。だからこそ、オモタいシンドい病者とともに、いやそうじゃない、オモタいシンドい病者中心にやっていこうとするキーサン患者会としては、この活動が本体と為る。それは、キーサンのセーカツそのものである

 

(2)内輪の外向き 身近な身近な自分たちが通っている病院診療所や福祉施設などを監視して文句を言う

(1)の活動の上に、自然と、自分たちが通う診療所や、作業所や、なかまたちが通う精神病院や、クリニック、デェイケア作業所のスタッフや精神医や看護婦や看護士やPSWに対して、言うべきことは言っていこうと云うことに為る。自然な流れで、最も身近な精神医療と福祉の現場を監視しソコの専門職のシゴトの仕具合を見つめ続けることに為っていき、意見を言うように為っていく。最も身近な、本当に自分たちのセーカツが生命が掛かっている精神医療、福祉の現場を監視し、文句を言い続ける、だからこそ、自分たちが掛かっているところに言っていくからこそ、真にキビシい最も確実で実際上のセーカツと生存が掛かった、最もセーカツに根差した『改革』の方向とは、このことに為る。この活動抜きでの(4)の活動はあり得ない。まずは、自分たちが掛かっているところを、セーカツが掛かっているトコへ、いのちが掛かっているトコへ自然に、セーカツの中で、セーカツを掛けて『変える』、だからこそ難しく、だからこそタイヘンだけれども、また得るものも大きい。だって、キチガイの生存が掛かっているから、、、本当に、、、

 例えば、本人が望まない強制入院を、ドウ正当化し、倫理的に担保するのかのモンダイなのである。おそらく、これまでは、専門職能性と適正手続と第三者機関や適性化委員会が、その正否を判断できるとして、ソウ云う制度設計を制度政策提言をし続けてきたに違いないのである。しかし、それは、本当に機能したのか。書類上だけのことではなかったのか。良心的な専門職が家族と相談の上、本人の望まない入院を強制することを、患者会は、否と唱えるのである。あまつさえ、ナンかの行政的司法的機関が審査をしたのでオーケーです。強制入院をお商売にしている警備会社が家族の依頼で、良心的精神医療専門職の了解のもとに、強制入院させましたなどと云うのは絶対に不可である。だとしたら、その倫理的正当性は、ドウ担保するのか、まず本人の了解を取る徹底的にとる、そして最後の判断は、(1)の活動を通じて、長い時間をかけてなかま意識を育てはぐくんできた患者会が、(2)の活動を通じて監視してきて、長い時間をかけて関係性を構築してきた医療機関に、個別に、一人一人のなかまのこととして、判断していくのである。そう最終判断は患者会のなかまたちが患者会として判断するのである。ココに患者会の活動の、機能としての最大の意味があるのだ。(1)と(2)の活動が、最も重要な意味がココにある。そのためには(1)と(2)の活動は、どうしても必要なことなのである。このコトは、なかなかに、難しく、ココマデしか、文章化は出来ないと想う、けれども。「❻患者会の原則と基盤」で、もう一度、このことは取り上げます。

 

(3)外輪の内向き お客さんとレクや食事会で交流していく

(1)のレクや食事会の時に、たまに、一緒に、来ませんかと、コチラの方から誘うことがある。少し距離があるけれども、もしかしたら、精神病患者会のことを少しは少しは、分かってくれるのではないか、理解してくれるのではないか、応援してくれるのではないか、と云う期待を込めて、お誘いするのである。(2)の活動に直結することもアル。もちろん(4)につながることもアル。ごくまれにその中から、積極的な支援者に、、、、でも過剰な期待はしないこと、、、リヨウされて裏切られて、、、、ナサケナいハナシだ、、、、この間もアッタ、、、

 

(4)外輪の外向き 国会学会審議会等々での法律反対やら制度政策提言やら

コレばっかりやっていて、患者会だと、当事者の全国組織だ、と云う在り様は、ナンダカナァーーーと、想ってきました。そりゃあ、活動家団体ですよ。論客団体ですよ。国会のロビー団体ですよ。制度政策提言型活動家論客団体ですよ。まかり間違うと、御用団体になりかねない。政党や厚生省のナンタラ委員に為ったり、国会の参考人に為ったりとか、学会の理事会にでも入っていくことが、厚生省の役人や学会のエライさんに直にハナセるんだと云うようなコトが活動の中心になったり成果になったりすると、オカシなコトになりかねない。しかも、その過程でオモタいシンドいツラい病者を置き去りにし、ジャマ者扱いし、キレイ事風のリクツをこねて、排除する方向に向かうこともある。

 ただし、(1)(2)(3)の活動を十分に担保したうえで、まだ、余力があるのなら、やらなきゃなんないとは想う、と云ったところか。患者会には、とてもとても、そんな余裕はなかった。でも、ナントカナントカやらなきゃと、想い、ムリをしつつ、行ったこともある。そして、ナント云うか、テキトーにあしらわれたような気がする。だからこそ、学会に行くときは『カチコミ』に為ったのではないか、しかもそれなら、シンポジストや講師に為るのはシンドい病者も踏ん切りさえつければ、壇上で叫べるのである。モノ申すことが出来るのである。『カチコミレク』の良いトコロであった、とそう想う。キーサンのこの手の活動は、目的のために表現手段がアルのではなく、その手段ソノモノが目的なのであった。それが『カチコミ』と云うシンドクツライけれども、オモタイシンドイツライ精神病患者が馴染め得なかったシンポジストタラ講演タラトカ云う表現手段を排除した結果だったと想う。『健常者性』が皆無なのも、傑出したトコロだったと、そう想う。

 

外輪と内輪と中輪もあるか内向きと外向きと横向きもあるか そう、中輪と云うのも在りだと想う。身近なセーカツや精神病院の中から、国会や国際交流などと云うモノの間に、市や町や区やと云う中輪を設定することもまた、新しい発見があるであろうし、国会まで行かなくても、対区役所の活動は、ジブンたちの身近なセーカツに直結しやすいだろうから、、、、そして、内向きと外向きの間に、横向きと云うのも設定することも在るかもしれない。「横向き」とはナンであろうか、すなわち、、、、、、

 

 

❷患者会の構成A>B>C|D

(A)グループ

精神分裂病圏のなかまたち、クスリもおもく、ビョーキもおもく、クチもおもい、シンドいなかまたち、運営において『絶対的拒否権』的なものを有する

(B)グループ

躁鬱病圏躁病鬱病のなかまたち、ゲンキな時もある、クスリも軽い時もある、クチも軽い時がある、字も書ける時もある、予後がヨイ時もある、でも、ひっくり返って何年も出てこれないこともある

(C)グループ

精神医含む看護婦看護士含む医療従事者含む作業所などのスタッフ含むケースワーカー職含む精神福祉従事者含む健常者支援者たち

大体は、精神医療従事者、精神福祉従事者だったのだが、

どういうわけだか

このところ、法律家や、弁護士の方が支援者として必要だと云う、ケッタイな動きもあるようだ

(D)グループ

神経症ノイローゼ不登校引きこもり拒食症AC気味等々の屈折した青年たち、今の世の中ナンデもカンデも『発達障害』と云う言われ方もしているだろうが、患者会が言っていた、前々から言っていたとうりの『健病者』達である

(E)グループ

アル中等々の依存症のみなさん

 

不等号に為っている意味わかりますかね、、、、コレは発言力と、尊重される順番ナンデスヨ。そう、発言力の調整、(A)グループの病者たちと(B)グループの病者たちそして(C)グループの支援者たちとの間で、発言力の調整と、そして、グループ間のビミョーなバランスの上に成り立っているものなんですよ、精神病患者会はね。

 グループ間のビミョーなバランスの上での発言力の調整ナンですよ。単純な多数決原理ではない。会議や、ミーティングや集会や総会ナンてもので、意見を言えて多数決を取るナンてことで、物事は決められないんですよ。だって、(A)グループの病者のなかまたちは、クチも重く、クスリも重く、カラダも重いんですよ。そう云うなかまたちの意見が最大限尊敬され尊重されるとしたら、会議方式の多数決方式ナンでしょうかね。ソレはね。世論の形成を日々の暮らしの中で、シンボウ強く、待つんですよ。チャッチャッと会議なんかで決められないんですよ。この不等号をジッシツ担保するのは、、、会議で意見を言えるような奴ではナイんですよ。それまでに、そして、そのあとにも、ジックリとした、安心した雰囲気の中で、(A)グループの病者のなかまたちの世論が形成されていくのをジックリとジツクリと、、、、、、わかりますかね、、、、これぞ「キーサンペース」「やぁマイペース」「キチガイにはキチガイのやり方がある」って言うんですよ。

 

その上でね、じゃあ、たとえばココに縦線を引いてみましょう

A>B>C|D

そうココで縦線を引けばそれが、患者会に為るのです

そう、実は患者会にとっては、(C)グループの存在を前提とするのです、必須とするのです。だから、(A)(B)(C)各グループの発言力の調整と、ビミョーなバランスの上に成り立っているのです。しかしながら、発言の重みの原則があります。だから各グルーブ間は不等号で結ばれているのです。決してイコール同等なのではない。なんとならば、オモタいシンドいツラい病者が心から尊敬され真に尊重され、キーサンの仁義として優先されるからです。当たり前です。そして、患者会を維持するには、ケッコウなカネもヒトも、たまり場を維持すると云うのは、トテモトテモシンドいことなんですから、、、実は、支援者が居ないと成り立たないモノなんですよ、しかもその上に、その支援者の発言力に何らかの制限を設けておかなければならないのです。そしてまた、その(C)グループの支援者のセーカツの場、すなわち精神病院や診療所やデイケアらを捉えなおしていくという活動が上記の(2)の内輪の外向きなわけです。同時にヤッテいるわけです。そしてなおかつ、会議で屁理屈こねてご立派な意見を言い倒す(D)グループという「病者運動ボス」に最もなりやすく、いつの間にか(A)グループや(B)グループの病者を、不思議なことに、どう言えばいいかな、いつの間にか「支配」してしまうと云うことが、おきてしまうんです。現実にその時に、特に(A)グループのオモタいシンドいツラい精神分裂病圏のなかまたちが、黙ってうなだれていってしまうのです。それどころか、(D)グループに媚を売るような仕草すらうまれてきてしまうんですよ。だからこそ、だからこそ、(D)グループの前に縦線が引かれることに為るのです。ソウしないと、いけないんですよ。ココで縦線をひかなければならないんですよ、毅然としてね。

 でも、敢えて言うのですが、縦線が引かれたと云って(D)グループが悲観する必要はないのです。ツマリ(D)グループ(E)グループのみなさんは、精神病患者会に来ないで、ジブン達自身で自らの主体性を持った会を作り上げてくれと、精神病患者会としては、ソチラはソチラで自らの会を立ち上げてくれと、その方が良いでしょうと、ソウ言っているわけなのです、この縦線はね、、、

 

ところで、コウ云う形に直してココで縦線を引けば、それは、例えば、分裂前の病者集団が公称している姿です。

A>B>D|C

でも、ジッサイはチガウのです。それは、おそらく実はこうなのです。活動家集団なんですから、、、、

D>B>A|C

これも、ジッサイはチガウかもしれません。一つの仮説です。分裂前の病者集団のね。

 

でも、最悪最低の外道の腐った『無仁義アクジ犯』達はねー、このヨウな団体をこしらえてきて、さも、当事者のような顔をして⓯のようなことをやりだすのです。許すべきことではない。最低だ。コレです。

D>C>B>A

分裂後の運営委員会派の病者集団に限りなく近い姿でしょう。特に(C)グループに福祉関係や医療従事者よりも、法律家、弁護士、政治屋代議士、役人を入れている姿です。オソロシイと思いませんか。そして(D)グループが好き放題をするのですから、、、分裂前と分裂後では、病者集団の姿は大きく変化しているのです。特に運営委員会派がね、、、

 

 

❸患者会の病気(イ)>(ロ)>(ハ)

 

心因とは

社会の環境のことです。会社の環境のことです。町や村の環境のことです。学校の環境のことです。家庭の環境のことです。要は、社会的要因・環境要因のことです。このことは、とても重要です。この部分を精神医たちは無視しがちです。すぐ、診断とかクスリとか脳波とか心理テストとかになってしまう。何故って、積極的治療主義の立場に立てば、環境要因はいかんともしがたいからです。会社のことや、地域のことや、労働組合のことは、精神医には関係がないというわけです。だからこそ、この環境要因のことは強く強く大きく大きく言わなければなりません。エバッチの個人的な体験ですが、一貫して僕は発狂の要因を京都簡易保険事務センターという、国鉄が分割民営化されていく時代、郵政民営化を巡って徹底した職場支配が行われていたその職場に、その職場の労働組合に問題があると言い続けてきましたが、誰も聞く耳を持たず、今から想えば、卜部院長と、笠医師と、現在の主治医黒川医師の三人が最もこの件に聞く耳を持たず、僕に着ける診断名を云々カンヌンを、僕の内因とは何のかを、云々カンヌンし続け、僕につける症状名を云々カンヌンし続けてきたわけです。最後の極め付けが、発達障害、アスペルだったわけです。たまりません。

内因とは

なんだかわからないけども、たしかに心因だけでは、環境因だけでは腑に落ちない何かがあるのです。確かに在るのです。それは、セーカツを一緒にし続けていると、分かってきます。でもそれは、心因をよくよくに話を聞いた末に、出てくるものであって、今の精神医や心理学者たちは、ココにバカリ執着しようとします。その執着先が、脳の生物学的変異であったり、その偏移や変異の遺伝子探しに帰結してしまいがちになります。なんでかなー。因みに、発達障害論者のほとんどが、結局にココに行きつくことになります。さらにまた、積極治療主義者たちが、結局はココに行きつくことになります。

 

 だから、精神病患者会としては、心因も半分なら、内因も半分という地点に立っています。だから、(イ)(ロ)(ハ)がこの順で不等号で結ばれています。(イ)の立場が、内因も心因も半分ずつあるんだと云うこの立場が、キーサン患者会40年セーカツし続けて来て、辿り着いた経験的なものです。

 でも、もし内因が少なめで心因が多めという(ロ)があるとしたら、それが上記の患者会の構成の中の(D)グループの人たちなのではなかろうかと想うのです。そしてそれは、あり得ることだと想います。ただ、ここで問題なのは、実は(ロ)の立場にもモンダイがアルと云うコトなのです。そうそれは、今度は社会変革さえ成し遂げられれば、あるいは『理想的社会』が実現でき得れば、モンダイは解決すると云う風に考えがちな活動家に巻き込まれてしまうことです。ありていに言ってドンな『理想的社会』が成立したとしても、キチガイはキチガイである、と云うコトなのです。もちろん、社会を変えていこうとする努力に水を差しているわけではありません。しかしながら、ソレだけで、キチガイが解放され幸せになれるのだと云う、これもまた、ある種の引き回しに近いまやかしには、チガウ、と云うコトなのです。でもまた、ありていに言って、(ハ)の立場よりは、全然立派なわけではあるし、実際のセーカツ上での精神病患者会への有形無形の支援を頂いているみなさんには、『理想的な社会』を目指す『社会変革』の立場の活動家の皆さんが多いことも確かであり、それは、ありがたいことなのです。でも「精神病のイロハ」「患者会のイロハ」を理解はしておいてくださいよ、シッカりと押さえておいてくださいよと云うコトなのです。「引き回し」と云うモンダイにツナガりますよ、と云うわけなのです。

 そのうえで、(ハ)の立場は、患者会として徹底的に対立していかなければならない腐った生物学的精神医学者の、社会を変えていこうと云うことを無視していくための愚かにもほどがある腐りきった外道の所行ということになります。だから、病気に関しては、『精神病』と云うクルシサ、シンドサが『ビョーキ』『障害』として厳然とあり、世の中がそのクルシンでいるニンゲンを『殺そう』『閉じ込めよう』『無しにしよう』としてくるので、生き延びるために『精神病患者会』が必要なのだと云う立場です。ソレがキーサンのセーカツそのものから出発する時、その営みが『キーサン革命』そのものであり、そして、その内因としか言いようのないものが半分なら、心因と云う環境要因、社会要因が半分なのだ、だから、社会要因を無視するな、内因ばかりに眼を向けるんじゃない、病者を取り巻く環境のことを無視するな、でも、内因としか言いようのないものもまた半分は在るのだ、だが、しかし、残りの半分の環境要因を無視させないのが、キーサン患者会と云う立場です。

 しかも、サイゴのサイゴには、精神医や心理職などの専門職に決めさせるな。ジブンのシンドサとクルシサには自分で、ナマエを決めさせろ、と云うのがキーサン患者会の立場です。精神病患者会のイロハです。

 

 

❹患者会の歴史

いろいろあり過ぎて、とても、、、、時代区分をしてみた、時代区分をすることで、見えて来るものがあるはず、、、、

第一次患者会運動の時代

病者集団の創立前後から赤堀さん奪還まで

地を這う患者会の百花繚乱的創立と展開

法律的には、精神衛生法の時代

第二次患者会運動の時代

病者集団の制度政策提言路線からその分裂まで

地を這う患者会の成熟から解散、特に「ごかい」の解散まで

法律的には、精神保健福祉法から観察法成立そして自立支援法

第三次患者会運動の時代は来るのか

そのあとに来るもの、とは、、、ナンなのか、、それでも前進し続ける次の一歩とはナンなのか、、、  ほとんどの患者会が、無くなってしまった今、ごかいが解散し病者集団分裂してしまった今、全精連なんてほとんど無くなってしまった今、発達障害概念が蔓延してしまった今、

すなわち患者会が新しく立ち上がるとしたら、

その精神病患者会の姿とは、、、、

総合支援法体制下にて、、、観察法体制下にて、、安保法体制下にて、、、、盗聴法体制下、、、共謀法体制下にて、、憲法改悪体制下にて

 

前進友の会四〇年史

最初の10年

第一世代たちの素晴らしい時代、いろいろあったけれど、二泊三日の海水浴の夏レク時代であり、反十全会病院闘争の最も高揚期、そしてその中で、学生部隊だけではなく、勤労者部会、そして、病者自身が立ち上がろうということで、病者部会も成立してくる、この病者部会の成立をもって、精神病患者会前進友の会の成立ともいえる。前進友の会の創立と「病者部会」の設立には、二年の時間差があったのである。力強い出発と黎明期の時代。自分たちで日ノ岡荘の一室を借り、そしてそれは、大家さんの了解のもと、二部屋の壁を自力で壊して「みんなの部屋」を作り出し、当番制で何時も誰かが居る、たまり場を賑やかに楽しく過ごしていた時代。

次の10年、20年

前代の中で、 みんなの部屋を作業所にしていこうと云う動きがあり、やすらぎの里作業所を設立維持運営することになる。やすらぎの里作業所の通所者として、保健所や主治医から紹介を受けて、作業所通所者として、普通の病者たちが入ってくる時代、第二世代と為る。そして、そのフツーの病者たちが、ある種皮肉ながら、第一世代の運動の世代の中に、本当にフツーの病者たちのセーカツを持ちこんだがゆえに、却って、真の意味での患者会としてのセーカツができ始めたともいえる。ただこの10年間、作業所スタッフに誰がなるのかでもめ続け、外では、カチコミによってキーサン患者会同志の交流が増えていった時代でもある。患者会としてモンダイを孕みながら、ハラン含みでいるがゆえの充実した時代。ニクマンにもまみれては居るが、とても楽しい時代ではあった。

次の10年、30年

カチコミが一息つき、世の中がどんどん変わりだし、少しずつ高齢化も進み、夏レクが一泊二日の温泉旅行になる。驚いたことに、保安処分制度としての観察法ができ、その反対運動にも積極的に加わるが、あまりに国会的・政治的に過ぎ、しんどくなってくる。その上に、電気ショックがmECTとして大々的に復活し、それが、プシ共闘の拠点病院で行われていたことに衝撃を受ける。病院調査なども始めるが、ほどなくして、もう自立支援法がどうのこうのというハナシになり、NPOにもならなければならなくなり、通所希望者もあまり来なく、第三世代の若者は少ない。混迷が来そうな予感の時代。維持するのに困難が迫ってきた時代。

次の10年、40年

自立支援法、総合支援法に振り回され、やすらぎの里を残し続けるのに疲弊し続ける時代。第四世代はもっと少ない。しかも、世代間の違いが大きく、少し、違和感も感じ始める。それは、『発達障害』の大流行と無関係ではない。発達障害との対決に踏み切っていく時代。いよいよ、混迷の時代ど真ん中。それでも、40周年記念行事はやる。ただ、あまりに裏切りが多く、世の中の変化について行けなくなりつつある。「笠陽一郎ハッタツ障害断薬断行教団」との対立が深まる。「街」が作業所を止めざるを得なくなる。「ごかい」が解散する。「病者集団」が分裂する。衝撃が走る。混迷を深めながら、意識的に患者会を『遺そう』『残したい』時代に入る。気が付けば「天上天下病者反撃」のあの患者会のなかまたちは、ほとんどか無くなってしまっていることに

次の10年、50年にむけて

最期の努力の時代。作業所を維持し、患者会を維持し続ける最後の努力。そこで、提起される最初の行動は、、、、、、、

精神病患者会のタネを

如何に遠くへ更に遠くへもっと遠く

如何に広く更に拡くもっともっと拡く

如何に深く、更に深く、深く深くドコまでも深く撒いておけるか、の闘い。

患者会を『遺し』『残す』最後の努力の時代に突入する

 

 

❺患者会が敵対してきた犯人

『見えやすいアクジ犯』とは

 しれたことです、悪徳殺しの精神病院です。前進友の会で言えば、十全会病院です。そして、今や出来てしもうた観察法病棟ですよ。必ず必ず、ツブシテしまいましょう。電気ショック精神医、四肢拘束看護婦、保護室心理士、暴力簀巻き踏み殺し看護士、閉鎖病棟PSWですよ。ソコへワザとに送り込む警察と保健所と福祉事務所と行政とですよ。だから、徹底的に闘いましょう。

『見えにくいアクジ犯』とは

 上記の見えやすいアクジ犯と戦うため、良い方にとらえれば、病者患者の皆さんは、ユックリしていただいて、我々良心的改革派的精神医療従事者が闘いましょう、と言いつつ、なんだか知らないうちに運動の主体性が専門職能牲に取り込まれていってしまい、なおかつ、運動の中身が良心派改革派的専門職能間の内戦になってしまったり、良心派改革派的精神医の派閥争いになってしまったり、兎にも角にも、我々よりも良い取り組みをしている欧米のものを紹介することが、改革運動だと見当違いも甚だしい、イギリスのマインドだの、トリエステのなんとかだの、バンクーバーのクラブハウスホウシキだの、どっかのセルフヘルプグループホウシキだの、フィンランドのオープンダイアローグだの、ACが流行ればACACACACだの、ハッタツ障害アスペルが流行ればハッタツアスペル発達アスペル発達アスペルと、とてもやかましいことになるが、ホンマにキチガイがノンビリ楽しく豊かに誰からも支配されずに、愉快に暮らせることにつながったのだろうか。結局は、良心的改革派的精神医や看護婦や看護士の良いことやっているという自己満足、と、私たちは患者さんの味方だという自己肯定、と、己が専門職能性の短絡的自尊心の充実に寄与するだけであって、結果としては、上記の『見えやすいアクジ犯』との全面対決には至らず、逆に、補完するような事態になってしまった。たとえば自立支援法体制下の株式会社方式就労継続支援B型作業所や、精神保健福祉法体制下の精神医療審査会や、その他もろもろの第三者機関や、適正化委員会とは、いったい、どのような使われ方をされているのか、冷静になって見直してみれば、すぐに了解である。

『掏りかえアクジ犯』とは

 さらに上記の『見えにくいアクジの犯』から、なんと、「ワシらは答えを見つけたで」、と。「これが精神医療改革運動の最終解決や」と、「いやいや、精神医療を最終的に解体できるのは、ワシらの是也」と、言い出した、愚かにもほどがある連中が、このさい、『見えにくいアクジ犯』とは別に『すり替えアクジ犯』として、登場したのである。しかも、歴史的には、キーサン患者会が長年にわたって一緒にやり続けてきた精神医やPSWやその周りの大奥のようなママさんたちを中心とするヤタラとヤカラな申し状、「発達障害だけであって、精神病などと云うもんはない」、と云う戯言である。そしてその戯言により、クスリゼロを目指すという、『無理矢理減薬強行断薬断行療法路線』が漏れなく附随してくるのである。しかしそれは、なにもクスリを減らしていこうという努力をやらなくていい、あるいは大量投薬が良いと言っているわけではない。精神病を発達障害に掏り替え、精神病者のクルシさを減薬療法に掏り替え、精神病患者のしんどさを断薬療法で掏り替えた挙句、ますますしんどくさせ、精神病患者の生きざまを発達障害の「私らはなーんの責任も取りません、取らないのが障害です、コミュニケーションの障害があるので、弱い者が集まって患者会を作り、身を寄せ合って助け合って生きていくなどという、支え合って生きていくというような『団結』と云うようなことは、やりません、しかも、挨拶もしません、傍若無人に暮らします、人のことは知りません、ジブンだけ良ければそれでいいです、人のことは知りません、それより我が身にサポートチームをつけてくれれば、我が身の才能が開花します」と言いつつ、キチガイのキーサンのこれまでの闘いを無下無礙にし、患者会としてやろうとしたことやってきたことを、まるで厚生省の官僚のような行政の官僚のような、作文をしまくって、第三者機関や、適正化委員会や、刑訴や民訴の脅しをかけ、あまつさえ、本当に仕掛け、懲罰委員会やらを得意げにしまくって、権力側に売ると云う善悪の見境が全くつかない『無仁義アクジ犯』を登場させる下地を作ってやったのだ。

『無仁義アクジ犯』まで

登場するとは

ついに、こんな、こんな、善悪の境も分からない

路線対立した相手を権力に売り渡すことを恥じない

路線対立していたとしても、同じ病者のセーカツ基盤を破壊すると云う恥知らずな行動を運動として確信犯的にやらかす、サイテーでもキーサンの仁義を守れや、このクソ野郎、どれほど路線対立しようとも、お互いに罵詈雑言を投げおうても、やってはアカンことってアルやろが、それ、分からんか、このクソ野郎、少なくとも、権力、行政権限司法権限のもとの、第三者機関たら懲戒委員会たら、適正化委員会たら刑事訴訟タラ民事訴訟タラ、ソンな権力に、路線対立した相手を売るとは、えばっちも長くキーサン革命や庶民活動等々にかかわってきたが、これほどの、ヤッテいいこととやってはアカンコトの区別がつかん外道は、初めてや

キーサンの仁義を分からないニンゲンのキモチを分からない

恥じと云うモノを知らない

これほどの外道まで登場するとは、、

『無仁義アクジ犯』まで

登場するとは、、、タマラナイ!!!!!

 

❻患者会の原則と基盤

精神病院を決して許さないのことが原則一である

なかまを決して見捨てないことが原則二である

支えあって生きる生き方そのものが原則三である

そのために我々は「群れ」たその「群れ」を患者会と云う原則四である

この場を守れこの集まれる場を守ることが基盤一である

地を這いずるようなセーカツと想いが基盤二である

原則と基盤が矛盾することがある

矛盾することをおそれてはならないと想う

 

恐怖と矛盾こそが患者会の原則と基盤の根幹である。

 精神病者なら誰でもが、この恐怖を抱く。いや、何時もこの恐怖を抱いている者こそが精神病者なのである。この恐怖とはナニか。即ち、ある時アパートの前に家族が頼んだ、あるいは、近所の人たちが頼んだ白衣を着た人たちが突然ドカドカドカッと上がり込んできて、黒い袋をかぶせられ、注射も打たれ、結構荒っぽく精神病院に連れていかれるのである。そして、どんなに退院を望もうが、どんなに開放病棟への移行を望もうが、家族に訴えようが、キチガイのたわごととして処理されてしまい、訴えが多いということで、却って退院が伸びたり、クスリが増やされたりするのである。いや、それどころか、m-ECTと云う名前で電気ショックをかけられるのである。よしんば精神医療審査会や第三者機関や人権委員会などに本当に上手く電話がつながったとしよう。閉鎖病棟から電話がつながったとしよう。話を聞くだけにおわり、言うだけ言って誰も何も実際は動かないのである。イヤそれどころか、実際に何か審判されても、かえってこの処遇が正当であると、あの入院のさせ方が正当であるとされるのである。そして、あの白衣の看護士と医者から絶対逃れることができず、一生この閉鎖病棟の中で看護士の暴力におびえて暮らすことになるのである。精神病者なら、この恐怖からこの悪夢から逃れられない。逆に言えば、この白衣の連中が良心性を持って専門職能性を持って、ある時信頼していた作業所やデイケアやサロンや保健所やケースワーカーやらの申し状の通り、ジブンを強制入院させるために自分のアパートの扉から雪崩れ込んで来る悪夢と恐怖から逃れることができないのが、精神病患者なのである。この「申し状」をもしかしたら最も信頼する自分が行っているいる作業所やデェイケアやサロンや訪問看護や、ジブンのよりどころとしている精神病患者会が発行したのかもしれないのである。ここに、一片の正当性や倫理性があるだろうか? この恐怖から逃れられるだろうか。

 これが、究極的な患者会の原則と基盤の矛盾である。この矛盾を抱えながら活動を続けなければいけない。「患者会の活動の(2)」を読み直せば、この矛盾が矛盾の深刻なところが分かると想う。しかしながら、この恐怖を抱えながら、この恐怖のニホン社会で精神医療のゲンジツの中で、実際生きていかなければならない。その生きていくうえで絶対に必要なのが、患者会なのである。でもその患者会が、活動の(2)を・・・・・。だから、矛盾しながらクルシイのである。患者会がないと安心できないと言っているのに、こうなってしまう。でも、専門職能性が判断するよりマシかと想ってしまう。そして、これはオソロシい事に前進友の会が10年に1度か2度か実際に判断してきたことなのである。だからこそ、我々は重要な活動の一環として「患者会の活動(2)」として一番身近な、なかまを入院させてシマッタ精神病院に必ず週1回なかまを見舞い続けるのである。

 

❼患者会はナニを目指したのか

生き延びること、なによりも、生き延び続けること

殺されないようにすること

自分たちのことは自分たちで決めさせてくれ

ワシ等のことをワシ等抜きで決めないでくれ

ワシ等の意見をまず聞いてくれ

何故精神病院に入院したなかまを見舞い続けるのか

何故発達障害概念に反対し続けるのか

何故国家資格化適正手続化第三者機関化に反対し続けるのか

何故全国精神病者集団と対立してきたのか

何故当事者スタッフに反対し続けるのか

この黒矢印自体をぶち壊したいわけです

正しい診断や正しい鑑別を求めているわけではないのです

正しい入院や保護室、正しい閉鎖病棟なんて、誰も望んでいない

まず精神病者自身に、本人に、まず意向を聞いてほしいのです

まず、本人の希望と、本人の意見を、まず言わせてほしいのです

病者本人のことを本人抜きで決めないでくれ

と叫んでいるのです

正しさを、正確さを、求めているのではないのです

生きたい、自由に生きたい、生き延びたいダケなのです

 

 学会や専門職能性や、国家資格や、第三者機関と云ったものはこの黒矢印

を最大強化し最大無責任化するのです。ソウです、責任を問われないようにする装置でもあるのです。自分で自分のコトを決めることが出来ない者に、最大の責任を、「自己責任」と云う形で押し付け、我が身らは、国家資格化や第三者機関や学会などをフル稼働し、他人のコトを勝手に決めておいて、正しい診断や鑑別だからと言って正しい、正しい、正しいからと言って強制入院、保護室、電気ショック、四肢拘束、果ては正しい看護士の暴力的患者制圧技術をやりたい放題しておいて、その結果の精神病患者の人生を破壊し、生命まで奪い取ると云うその所行の責任は問われないのです。ジブンで自分たちのことを決められない者にこそ、「自己責任」と云う名目で最大の責任が押し付けておいてです。この黒矢印と白矢印をぶち壊したいのです。黒矢印を巡って白矢印と白稲妻が対立しているのです。白稲妻が精神病患者会の存在そのものなのです。だからこそ「セカンド型発達障害減薬強行断薬断行路線」もこのとうりなので、徹底的に反対しているわけなのです。だって、黒矢印を強化しているだけであるし、しかも、減薬、断薬途上で患者側の意向を聞くことなしに親の意向だけで、病者側の誰がドウ為っても、責任はダァーーれも取らないんですから、、、オソロシい事だ

 

❽患者会のシッパイ

拡まらなかったのは、続かなかったのは、なぜなのか

学会や厚生省や専門職や家族会が精神病院が、よく思わなかった

もちろんそう云う外圧もあっただろう

精神科福祉の進捗拡大とともに第二次精神病患者会運動はすぼまってはいかなかったか、でも、そう云う外圧だけが消滅していった原因だろうか

患者会自体に、精神病患者会に内在する原因はなかったのだろうか

しんどかった、そのしんどかったのは、何故なのか

何もかも自分たちでヤロウとはしなかったのか

何もかも自分たちでやろうとしたことがキーサンの誇りとともに

患者会のシッパイに繋がらなかったのか

 だからこそ、「❻患者会の原則と基盤」での矛盾が、苦しかったのである。だから、シッパイしたのである。そう、我々は専門職能性の第三者機関を信用しなかった。ボランティアも信用しなかった。矛盾をすべて飲み込んできた。

そして、自治自立自尊自衛はとても人力と金力と体力を必要とした。

とてもとてもとてもツカレるコトだったのである。そして、シッパイしたのである。

どうすればよかったのかな…。

そして、患者会であるならば、以下のことも本音で話し合ってきたのです、向き合ってきたのです 、セーカツの中で向き合いながらセーカツしてきたのです。

 

シッパイ其の壱

 患者会を維持するのは、自主独立、自尊自衛、自立自治するのは、結構な手間暇がかかり、時間もかかり、苦労もし、そして、結構な金力と人力と労力と体力と精神力が必要なのであった。しかし、出来るだけ、支援者に頼りたくなかった。ヴォランティアも否定していた。でも、頼らざるを得なかった。だから構成の(C)グループは、健常者の医療福祉従事者が主に為るのである。

シッパイ其の弐

 原則と基盤の矛盾がクルし過ぎた。矛盾のまま、なかまたちの強制入院を患者会が判断してきた。強制入院させられるという恐怖を、唯一理解し合え、また、納得し合え、唯一恐怖を和らげられる、そういう支え合って生きるなかまたちが、精神医や弁護士や第三者機関や適正化委員会などを信用して来なかった、信用できなかったがゆえに、自分たちで活動の(2)の精神病院に入院させてきた。この矛盾を、見つめ続けるのは、クルシいことであった。

シッパイ其の参

 上記の壱も弐も、それは当然のこととして、自らの加害体験をも見つめることであった。我々は、強制医療の専門職能性の、薬の、法律の、福祉の、そして家族の被害者なのではあるが、また、なかまに対しても、あるいは、家族に対しても、加害者になり得る、そのことからも目をそらさなかった。それは、差別とかファシズムとかに対する決定的な対抗軸になるものだったが、つまり、加害者性を自認することがそうなるのだが、これは、理解を得ることも難しく、患者会の中でも、病者個人の中でも、クルしいものだった。

 

❾内なる差別性

内なる加害者性とも向き合う

自らの加害者性にもまた、眼をそむけず

正面から向き合う

自己の加害者性も自覚する

キレイごとですまさない

ニクマンもある

内部差別もある

出て行ってくれもある

強制入院をなかまが判断することもある

ドロドロぐちゃぐちゃのセーカツと己が差別と加害者性に、も、まみれきったキーサン人生を歩む

それが、患者会!!!!!!!!!

 ところがと云うか、それどころかと云うか、暴力なんかふるったこともありません、ケーサツのお世話になったこともありません、家族と対立したり、暴力的なことをしたことも在りません、精神医やら看護婦さんにはお世話に為って、と云うような、ヨイ子チャン当事者路線なのであり、敵対するものとしての、大体、加害者に過ぎない精神医や看護士が医療従事者が、福祉従業員が、まるで、被害者のように語るのですよ、サービスの提供者のようなフリをするのですよ。キーサンは、精神病院と福祉に精神医と看護士に被害を受けたことに、復讐し落とし前をつけますが、また、

自らの加害者性にも、

眼をそむけないものなのです。

己が差別性にも、眼をそむけずに向き合えたものだけが、その向こうに行けるのです。己が加害者性に向き合えたものだけが、真に、精神病院と学校に対決でき、真に権力とファシズムに向き合え、その向こうに行けるのです。『生命の底で居直れる』のです。それを患者会と云うセーカツの場で、フツーに過ごしながら、シンドいツラい生きざまを続けながら、自然と、たどり着いてしまったのです。『ニクマン』と云うコトバの意味を想い知らなければ、患者会は、ヤレナインですよ。だから、だからセーカツもビョーキもシンドくてクルシい、し

だから、だから、拡まらなかったんやろね

それでも、弱い者は、『集まって暮らさなきゃ』ならなかったんですよ

『寄り集まって暮らしていない』と、コロされてしまうんですよ、、、、

恐怖に怯えて、恐怖とクルシみでウゴけなくなってしまうんですよ

だから患者会ナンですよ

 

 

さぁいよいよ具体的なハナシとして

前進友の会40年、やすらぎの里作業所30年、我々は実際に生き続け、セーカツし続け、叫び続け、みんなの部屋を維持し続けてきました。その実際を、赤裸々に語ります。どのような質問もお受けします。

 

❿前進友の会の日々のセーカツとは

それはやすらぎの里作業所の日々のセーカツなのか?

患者会が運営主体であるところの作業所とはジッサイに?

スタッフ賃金は、ボーナスを、どう決めていますか?

誰が支給しているのですか?

スタッフの採用はどう決めていますか?

通所者の工賃は、どう決めていますか?誰が手渡していますか?

患者会と作業所がどう共存していますか? それとも対立していますか?

患者会と作業所とは、違うんですか? 同じなんですか? 電話番号は一緒じゃないですか?

食事会のメニューをどう決めていますか? 誰がつくっていますか?

昼食の部と夕食の部?午前の部午後の部?

誰がレクを決めていますか?どうやって決めていますか?

レクの段取りは、誰がドンナ風にしているのですか?

お茶の用意は誰がしていますか?

お掃除は誰がしていますか?

そもそも患者会「前進友の会」は、どのように出来たのですか?

そもそも作業所「やすらぎの里共同作業所」は、どのように出来たのですか?

ホントのところ、どのように意思決定がなされているのですか?

総会やミーティングは多数決なんですか?

ミーティングや総会、会議に参加できないなかまがいたらどうするのですか?

ホントのところ、スタッフはどんな立場ですか?

『当事者スタッフ』については、どのような位置づけですか?

作業って、どんなことしてますか?労働なんですか?

『働かない権利』については、どのような位置づけですか?

そもそも『反社会復帰』『働かない権利』とはどういう経緯で、生まれたものですか?

本当にナンの作業もしない、出来ない通所者も居るんですか?

本当のところ、みなさんどんな様子で日々過ごしてますか?

作業所に通所できないなかまはどうしていますか?

例えば、入院しているなかまはどうしていますか?

えばっちは、スタッフや理事なんですか?

就職希望者からスタッフを、理事をドウやって決めているんですか?

 

⓫観察法苦闘記

観察法に引っ掛けられたミスターとその後

保安処分に対する運動のスタイルの違いも含めて

警察署ではドウだったんですか?

弁護士さんやご家族とはドウだったんですか?

鑑定入院中の医師や看護士の対応はドウだったんですか?

警察や鑑定入院中のなかまにドウやって面会したり差し入れしたりするんですか?

観察法審判ってドンなモノだったんですか?

なかまが逮捕されたら、まずドンな行動を取ったらいいのですか?

 

 ある時、おそれていた事態、我々の一緒にセーカツしていたなかまが、観察法に捕らわれてシマッタ。我々のセーカツの中に観察法が乗り込んできた。まさに、その時初めて患者会として、観察法反対の反保安処分の本質的な闘いが始まったのである。2010年冬、我々のセーカツを共にしてきたなかまが、こともあろうに、観察法審判に付されるハメに陥るとは、、、とてつもない三か月のセーカツと闘いを経て、「この法による医療は必要なし」と観察法適用は免れたものの、果たしてそれが、、、、、その時から、現在に至るまで、8年間入院しっぱなし。いつになったら退院できるのか。入院先のPSWすら「こんなことなら観察法の方が早く退院できたのは」とまで言う事態に。なんということだ、、、さてどうすればいいのか。この8年間の苦闘の数々をお話ししたいです。なんと、4か月間だけ退院できたんですけど、昨年に・・でも結果ドウなってしまったか、、、8年間のうち4か月だけとは、、、、

 

 観察法と対決する、保安処分に反対するとは、どう云うことだったのだろう。患者会としては、セーカツから、なかまがひっかけられるから、だから、反対していたのであって、反対していくのであって、我々の言う観察法との対決、反保安処分とは、セーカツそのものから来るものであった。

 そのもっとも対極にあったと想われる運動の方向が、反保安処分とは、「保安処分思想」との対決であると云う理屈であった。コレ一見本質をついているように見えるが、これほど宙吊りになった運動はなかったと想う。だから実際上、「保安処分思想」と見なされれば、どんな相手にでも、どんなことにでも使えるのである。さすがに、内部分裂にこれが使われたことはないと想うが、ぎりぎりなかったとは言えるとは想うけれど、この先はわからない。『無仁義アクジ犯』が、コレをドウ使うか、、オソロシイ、、、ドウとでも貼り付けられるものであったから、却ってオソロシイものでる。

 患者会のセーカツの中において、作業所のセーカツの中において、やはりそこは集団セーカツだからぎりぎりの話し合いを積み重ね、ミーティングを積み重ね、「三振制度」や「スリーアウトチェンジ制」を積み上げても、最後はどうしてもここから出て行ってくれと云うことがある。クルしいが、ココからみんなの部屋から引き取ってくれということが、10年に1人かぐらい出てくることがある。クルシイことである。ツラいことである。でも、そうせざるを得ないのが患者会であったりする。ところが、それをもって、「保安処分である」と云う言われ方をしたことがある。「如何なる保安処分思想とも戦う」と言われ、コウ云うことを批判されたことがある。ちょっとチガウと想う。

 さらに、制度的国会的法律的運動にばかりに動員されかかったこともある。病者のセーカツと病状を無視してである。キーサンの病状やセーカツを無視する動員主義的な国会包囲運動とは、何だったのだろうか。さらには、論客だけがシンポジストだけが講師だけが国会参考人だけがナントカ委員だけが主体のような、組織的な観察法反対運動もあったように想うし、手帳制度の時も、自立支援法の時もソンナコトはなかったろうか。それでよかったのだろうか。

 

 ⓬全国「精神病」者集団的為る在り様と

 地を這う患者会キーサン患者会とのチガイ

 造反有理か造反無理か?

どこがどう対立していたのか?

 何が対立点だったのか?

 セーカツか運動か? キーサンか活動家か?

 叫びか論破か? 集会かレクか? 学習会か食事会か?

 身近なモンダイか国会のモンダイか?

 キーサンなかまか活動家論客か?

 制度政策提言路線かナンデもハンタイか?

 国会に行くか入院中のなかまへ差し入れに行くか?

参考人に為るかキーサンに為るか?

当事者スタッフに為るのが功名かキーサンであり続けるのが光明か?

 

医者が居たら、支援者が居たら、もう患者会とはみなさないのか?

それは、活動家的論客的病者運動ボス的当事者の独裁を担保するだけではないのか?

本当にシンドいおもたい精神病者が集まれる場になるのか?

オモタいシンドい病者をあの鉄の扉の向こうに置いてきぼりにして、国会参考人や講演や学会の理事に、飛び回ってはいなかったのか?

それは、『活動家集団』に過ぎなかったのでは?

 

対立の歴史を正確に残さなければ、患者会運動が、患者会運動の歴史が

歪められてしまうのではないか?

今、話し合っておかなければ、あるいは、話しておかなければ、あるいは、書き残しておかなければ、立岩真也のような学者がそしてその研究室の中で当事者を名乗りながら、御立派な博士号を目指す学生たちが、『無仁義アクジ犯』当事者活動家として、事実とは違う歴史を残してしまわないか?

いま、対立していた双方の精神病者が、赤裸々に想いを語る場が、作れないモノなのか?

少なくとも、出来るだけ客観的に全国病者集団的在り様と、全精連的在り様と、地を這う患者会キーサン患者会的在り様との、違いを差異を、双方がお互いの反省点を含めながら、残しておけないだろうか?

その対立は、もしかすると、双方にとって、あるいは、当事者運動総体にとって、不幸なことではなかったか?

 

 ⓭桜庭章司さんのコト

桜庭さんの事件って?

桜庭さんってドンな方でしたか?

桜庭さんとは、ドンな手紙をやりとりしたんですか?

患者会前進友の会としての交流でしたか?

一人の病者としてのオトシマエと精神病者解放運動と患者会活動と?

復讐としてのオトシマエとしての

この桜庭さんの行動を認めるのですか?

 

桜庭さんとは、90年代半ば、文通をしていました。ほんの数年のことでしたが、お手紙と生資料がファイル2冊分になりました。なんでそうなったかというと、拘置所から桜庭さんがこの裁判資料を3部コピーして送り返してください、元の資料は江端さんが保管しておいてください、とのご依頼を何回か受けて、けっこうたくさんの量のコピーを送っていたからです。17年の年末に亡くなられたと、救援誌で知り、とてもショックでした。少しでも桜庭さんを偲びながら、想い出を語れタラと想います。彼こそは、彼こそは、えばっちが知る限りキチガイとしてキッチリと『精神医にオトシマエを着けに』行かれた唯一の方でした。

 

⓮えばっちの余りに余りに個人的な体験

ドンな両親やドンな家庭環境や学校生活だったのですか?

ドンな地域に生まれたのですか?

ドンな仕事をしてきたのですか?

ドンなトコでドノように発狂したのですか?

ドンな入院セーカツだったのですか?ドンなクスリを飲んでいるのですか?

精神病院入院中にナニがアッタのですか?

ドンな病気なのですか?

患者会の活動やカチコミやセーカツの中でドンなコトが、、?

前進友の会に入ったキッカケは?前進友の会は愉しいですか?

えばっちにとって前進友の会とは、患者会とは?

やすらぎの里作業所の通所者に為ったキッカケは?

生活保護でドンな暮らしをしていますか?

政党セクト宗教団体に入っているんですか?信仰ってアルンですか?

共産主義者唯物論者マルクス主義者、それともアナキストなんですか?

趣味ってアルンですか?

結婚してルンですか?

 

⓯権力とドウ対抗していくのか?

厚生省のヤルコトには、学会のヤルコトには、すべて反対していく。とにもかくにも、1から10までいや、1から100まで、いや、一から百億万兆まで、反対していくのが、キーサン患者会と云うモノです。ソコにリクツはアリマセン。リクツなんか在ってタマルモンか

しかるに、しかるに、しかるに、しかるに、なんてこった、なんてこったぁぁぁぁ

権力の側にすり寄っていっているのではありません

権力にリヨウされているのではなく、 リヨウされに行っているのです

まさに、まさに、権力の走狗、権力に取り込まれたがっているのです

ついについに、ココまできたのです。来てしまったのです。

ドウ言えばいいのか、、、、、

えばっちが想いうかべてしまうのは ゲットーの中の「ユダヤ人警察」です

おそらく き・な氏的なるもの か・さ氏的なるものとは

精神病者に対する「収容所カポ」どころか 生きるべき精神病者と死ぬべき精神病者を区分けする「狩り出しユダヤ人警察」に為るのです

ココから先は、患者会ウンドーの場で、キーサンのことしかやらないキーサンエバッチの戯言です。六点だけ、挙げておきます、みなさん、考えてみてください。

 

 『き・な氏』的なるものに抗して

 『か・さ氏』的なるものに抗して

『発達障害』的なるものに抗して

『健病者』的なるものに抗して

 六箇条極め

①発達障害的な障害観と当事者観の蔓延、ソコから出発する当事者運動と当事者スタッフが素晴らしいとの大宣伝、それは、セーカツの底からくる『団結』と『セーカツからくるウンドー』をゴミ箱に捨てることに為る

②「病」者集団型制度政策提言国会参考人的活動家ヒアリング参加型発言者論客路線の当然の帰結

③全精連的全家連的体制翼賛型制度政策提言路線良い子ちゃん型活動家権力媚び売り方針の当然の帰結

④欧米型ロビー活動、欧米型NGO的活動、欧米型選挙活動への憧れとその蔓延とその劣化型猿真似、特にアメリカ型のソレの猿真似劣化版路線とスラップ訴訟流行とを含む路線対立した相手に訴訟を打ってくると云うような訴訟運動と選挙運動と議会内ロビー活動をやらかすようなロビイスト的活動家を運動の花形として見がちになってしまった

⑤市民運動、労働運動、セクト系等々の活動家の高齢化と引退を巡り、後継者不足と運動のすぼまりを、ついつい、この手のヤツ等に次世代として活動家として託そうとしてシマう流れ、これには、眼を覆うものがアル。なら、歴史に遺して滅んで行った方が、次に繋がるハズなのに、目先に居たコ奴等に託そうとする引退間際のクルシい判断間違い、もしくは少しはマシに育成できるとする甘い判断。

⑥上記全てを見込んで、より操縦しやすい活動家を確保しておきたい『権力』側の巧妙な策略。コレまで使っていた、【当事者性看板型翼賛活動家ボス】を【体制権力べったり権力ソノモのロビイスト活動家博士者下っ引き警察売り渡しボス】に置き換えたい、と云う切なる願い。権力は、ウンドーの側をよくよくよくよくよくーーーうううに見ている。観察法と共謀法と盗聴法と安保法とが稼働する中で、憲法を変えようとするイマ、弾圧のみならず、実質を伴った積極的な

『路線対立した相手を権力に売り渡すことを平然とする真にベンリな゛反体制゛活動家の育成とコントロール』が出来るとの自信を持っているんですよ『権力』は。

憲法も変えようと云う時代なんですから、、、、そう、『反体制活動家』を育成する時代が来たのです、権力側が、積極的に、です

 だからこそ、だからこその、『き・な氏』批判『か・さ氏』批判なんです、、、

 ①⑤⑥のキーワードは『養育』と『育成』となんです

 ②③④のキーワードは『適正手続』と『第三者機関』に『国家資格』

 そして全体を通してのキーワードは

 『取り込む側』と『取り込まれる側』が共に【巧妙】になり

 『取り込まれたがっている側』が【功名】になったんです

 だから『権力の側』も【光明】が見えて小躍りしているわけです

おそろしい、オソロシイ、恐ろしい、怖ろしい、、、、、

 

 

2017年秋起稿 2019年春 一旦完成稿として

京都市山科区日ノ岡坂脇町7-5 日ノ岡荘2階 前進友の会 

キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

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