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本編

作業所患者自治会の

ススメ

【はじめに 嬉しいオドロきと希望を】

 そう、もっと積極的に考えたらよかったのです。そうなのです、患者自治会には可能性があるのです。コレからの【精神病者ウンドー】のムゲンの可能性がアルんです。と云うのも、えばっちとしては、「ごかい」は解散してしまうし、病者集団は分裂しトンデもナいノリの無仁義極まりない乗っ取りと、掠め取り盗み捕りを見たからです。しかも、「天上天下病者反撃」のあの本の患者会が、もはやほとんど活動されていないからです。ナントか精神病患者会のタネを、より遠くに、より広く、より深く、撒いて蒔いておきたかったのです。

 ところが、今年、4月15日に、東京江戸川の地で、悠遊舎のみなさんと、青森サンネットのみなさんと、八王子ホットのみなさんと、我が前進友の会やすらぎの里とで、交流と、会議を持ったのでした。真っ先に、会議の途中でしんどくなってきて、音を上げて途中退席をしていたのはエバッチだったのですが、兎にも角にも、『四者の共同作業所で、通所者側とスタッフ側からそれぞれ1名ずつ出して、みんなで公開交流会的なシンポジウムをやろう』と云うことが決まったのでした。そんな中で、そうやと、こりゃあ、ぎりぎり追い詰められたからの展開じゃなくて、作業所内に自治会を作ろう、デイケアに自治会を作ろう、という呼びかけはひょっとするとこりゃナカナカのものなのではないかと、ジブンから提起しておいてなんですが、これはなかなかの可能性を秘めているのではないかと、今の世の中でコレを言っていくことには、凄い意味があるかもシレナいと、想ったわけなんです。そうそれは、ありがたいことに、『希望』が、少しだけ見えた瞬間なのでした。

 だから、シンポジウムをやりませんかだけではなくて、まずは、この四か所の共同作業所内に、実質自治会を起ち上げていきませんかと云う、具体的な呼び掛けを、また具体的に患者自治会を作り上げていく過程での、シンパイ事もちゃんと書いておかなあかんな、と想ったわけなのでした。そして、書き上げたものを持って、10月のシンポジウムまでにもう一度みなさんのところにお邪魔したいなぁぁぁと想ったわけなんです。行けるかな、、、体力的にムリかな、、、行きたいなぁぁぁーーー

 

【A】おもたい、しんどい、くちもおもい病者のミナサンへ

 すいません、大病者の大先輩の、みなさんに、えばっちごときが、ナニを言えましょう。悩みました。でも、これだけは、みなさんにお願いしたいのです。BグループCグループのなかまたちが、わさわさと為り出したら、、少し、は、少しダケは温かく見守ってはもらえないでしょうか。もちろん、わさわさし過ぎたら叱ってやってください。そしてもちろん、Dグループの若者たちには、パスンと、エラそうにするんじゃないと、叱るダケではなく、叩き出して性根を叩き直してやってください。よろしくお願いいたします。AグループBグループCグループDグループ、みなさんがまず先頭に来るのです。まずみなさんが、ホッとできる場でないといけないのです。くちもおもく、病気もシンドいみなさんの意見が最大限尊重されなければならないのです。精神病者として最大限の尊敬されなければ、ならないのです。すくなくとも、みなさんの最低限の暗黙の了解と云うか、その範囲内でしかBグループもCグループも動けないのです。

ミナサンには、絶対的拒否権があります

宜しくお願い致します

 

【B】若い、中年の、やる気のある、病者のミナサンへ

 みなさん、みなさんこそが、原動力になるでしょう。おそらく、みなさんがやってみようじゃないかと言い出すと想うのです。おそらくみなさんが、最初の一歩を踏み出すことによって、動き出すはずです。タイヘンだと想います。おそらく、みなさんのノリが自治会を決定づけるのだと想います。おそらく、みなさんの負担は大きいのです。しかも、みなさんは、自治会を作り、運営していく過程で、気をつけなあかんことがいっぱいあるのです。ツラくてシンドいことが、いっぱいあるのです。タイヘンなことも一杯あるのです。そして、それは、もしかしたら病者内に序列を階層を生み出すかもしれないのです。それはもしかしたら障害者内にエリートを生み出してしまうかもしれないのです。活動家を生み出してしまうかもしれないのです。そしてそれは、その作業所がそれなりに上手く行っていたことや関係性や動きやいろんなことを、一旦は少しは、もしかすると大分と崩してしまうかもしれないのです。

 でも一方で、病者同志が支え合って生きていくセーカツそのものがゲンジツ化し、、そしてそのコトがスタッフの医療行為や福祉行為の正当性を担保することに繋がっていくのです。だからこそ、だからこそ、最大のやりがいや生きがいや感動が、もたらされるのです。それは、おそらく、学者たちが色々な外国の横文字のSSTだのRehabだのACTだのオープンダイアローグだのヒヤリングボイセスだのクラブハウスだのマインドだのセルフヘルプグループだのマインドフルネスだのオルタナティブだのピアカウンセリングだのピア何とかだのを持ち出すナニカよりも、具体的な作業所内の患者自治会なのです。通所患者自治会のセーカツとウンドーなのです。本当に自らが自主自立・自尊自衛・自炊自レク・自治独立を目指した時に、横文字ものとは比較にならないような、リクツだけではない、ホンモノのセーカツからの感動が生まれるのです。だってだって、ピア何とかとか言いながらも、結局は、病者自身が自主的に自立的に自分たちのことを決めていくことができなかったじゃないですか。学者は横文字のキレイごとバカリ言うじゃありませんか。イタリアがトリエステがマインドがナンだと云うのですか、あの厚い鉄の扉の向こうの入院も、退院も、薬を飲むのも、薬を減らすのも、閉鎖病棟も、保護室も、電気ショックも、自分たちでは決められなかった。自分たちでは決められなかったのです。作業所に行くのだって自分たちでは決められなかったのではないですか、、、親と、スタッフと医者と、行政のケースワーカーが「あなたの為ですよ」と言いながら、勝手に決めてきたのではなかったですか、、、だからこそだからこそ、これほど、セーカツを密着してやってきた関係性の深い、そして老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、そしてやる気のあるスタッフもいる作業所やデイケアやサロンで自治会を起ち上げて、自分たちのことを自分達で決めてやってみませんか。レクの行き先からです。食事会のメニューからです。ソコから始めてみませんか。タイヘンなことも多いですが、生きている実感と、支え合って生きていく感動が、てんこ盛りにあるのです。

 もちろん、気をつけなあかんことのほうが一杯あるし、ツラクてしんどくてタイヘンなことも多くなるし、階層が、序列ができるかもしれないし、上手く行っていた関係性を壊してしまうかもしれないですし、自分自身の病気もワルクなるかも知れないし、活動家、病者運動ボスになってしまうかもしれない。そう病気だってワルクなるかもしれないんですよ。でも、でも、ジブンの身を守るだけで精一杯だからこそ、みんなで守りあい支えあう、てまひまかけてやったら、やったからこそ、みえてくるものがある、やったからこそ、知り得ることがある、手ごたえが、感動があるんです。強制医療や強制福祉から世の中からジブンの身を守るだけで精一杯な時に、そう、なかまとともに、守り合うんです。スタッフだけでは、足りない部分があるのです。それをみなさんが原動力になりながら、やるのです。作業所のジッサイのセーカツからくる通所者患者自治会なのです。一緒にやってみませんか、宜しくお願い致します。

 

【C】若い、自治会の必要性に疑問を感じているかもしれないスタッフのみなさんへ

 みなさん、タイヘン厄介なことが始まります。皆さんにとっては、何でこんなことを支援するのが作業所の職員としての仕事なのかと思われることでしょう。 本音で行きましょう。皆さんの大学や専門学校で習ってきた医療系や福祉系の授業の中に、ピア何とかとか当事者主体とかオープンダイアローグとかSSTとかサルーテメンターレイタリア万歳とか綺麗ごとが並んでいたことと思います。しかし、本当に精神病者が作業所の通所者が自主的に自立した意見を積極的に個人ではなく自治会として主張し始めた時、みなさんは本当のトコロ、厄介なことだと思われるでしょう。さらに言えば、シゴトが余計に増える上に、一人一人の対応に時間がかかる、その上にスタッフとしてパッパッパと物事を決めていくことができなくなった時、自立した意見を言う患者さんが出てきたとき、ドウ対応するかであなた達精神医療や作業所スタッフと云う精神福祉従事者の質が問われるんですよ。これは、大学の社会福祉科や専門学校のキレイごとで習えることではないのです。みなさんは、みなさんが務めている作業所の通所者のなかま達とともに、勿論、病状の違いも多々あります。そして、作業所のスタッフのなかま達、これまた、精神病者への想い入れの違いや、福祉全般に対するスタンスの違いや、行政に対するスタンスの違い、倫理観の違い、など、多々あるはずです。その中で、通所者自治会と一緒にやっていく中で、これまで以上に、時間と手間暇がかかることをやっていくことになります。大変です。おそらく、必要性は分からない、自治会の必要性なるものが分からない、十分良心的に精一杯通所者の皆さんのためにやっているのだから、こんなことはいらない、と云う反感すら出てくることもあるだろうと、えばっちは想っています。

 と云うのも、実は、『良心的ウンドー的改革派的医療従事者や福祉従業員』たちが、自立的自発的に己が意見を言い始めた通所患者、入院患者、通院患者さんたちに向かって、『手のひらを返した』かのようにイジワルを始めるのを嫌と云うほど見てきたからです。イジワルなんてものじゃない、そんな事態をたくさんたくさん、想い知ってきたからなのです。

 では何故、必要なのか。何故、精神福祉の中でこの自治会が必要なのか。それは端的に言って、上記のようダカラこそなのです。『良心派改革派』の嘘と綺麗ごとを、『手のひら返し』を指摘し批判し、ホンマものにするためなのです。つまるところ、ソレは、我々通所者の側が精神病者の側が、自分たちのことを自分たちで決められなかったからです。入院も、自分たちでは決められない。親とクリニックの医者と作業所の良心的なスタッフの間で決められて、半分だまし討ちの様に入院させられてきたからです。徹頭徹尾騙し討ちの上で、保護室にぶち込まれ、電気ショックをかけられ、薬をぶち込まれてきたからです。どんなに嫌だと言っても、許されなかった。許してくれなかった。しんどいと言っても、無理やり就労に駆り立てられた。デイケアで、仲間内で仲良くなっていくことを、スタッフに止められた。どんなに友達が欲しくとも、デイケア内の管理のために、お互いに友人になってはならないと云う規則まで、ルール付けされてきたからです。終い口には、精神病でいいんですと言っているにもかかわらず、嫌だと言っているにもかかわらず、「お前はハッタツのアスペルや」と言われてきたからです。どんなに嫌だと言っても、どんなに違うと言っても、「精神分裂病」だと言われ続けてきたからです。食事会でせっかくだからこういうものが食べたいと想っても、メニューが1か月分ビッチリ決められていたのです。兎にも角にも、薬を飲むのにも、薬を減らすのにも、入院するにも、退院するにも、自分たちの意見が聞かれることはない。聞かれたとしても、実は、おざなりで、実際は医者と所長が、スタッフとPSWが、学校の先生とカウンセラーが、良いように言うて、決めてきたからです。

 だからせめて、自分たちがやっと納得している、ココが良いなーと思っている作業所でこそ、せめて、食事会のメニューやレクの行き先や自分自身の出勤時間や退勤時間を、自分たちで決めさせてください。せめて、ここでなら自分たちのことを、仲間同士の中で決めさせてください。さらにいえば、ピアなんてきれいごとではなくて、同じ病のなかま同志が、支え合って生きていくと云うことを、やらさしてください。その中で、老いも若きも重たい病者も少し軽めの病者も、「自尊自衛」「自主独立」「自存自営」「自問自答」「自炊会食」「自由自レク」「自陣自闘」「怨念執念爆発」「狂気炸裂」「自尊自衛」「仁義通信」をやらして下さい。そして、一度でいいから、「居直り居座り」「我意自意貫徹」を本当に出来るのだと云うことを、やらせてください。それがあまりに「我意自意」が酷過ぎた場合、それを止めるのは、作業所スタッフや医者や看護婦看護士ではなく、なかまたちが止めるのです。だから、自治会なのです。いっぺん自分らで決めさせてくれと云うことです。それが、あまりにひどかったら、「センセー」が止めさせるのではなく、なかまたちがなかまとして止めさせる、そんな自治をやらさせてくれ、と言っているのです。

 それが、あなたたち皆さんのやっている福祉のシゴトとやらの、正当性を担保してくれるのです。専門職能性や第三者機関や学会が担保するのではないのです。通所者自治会こそが、いいとこも悪いとこも含めて、あなたたちのやっていることの正当性を担保することになるでしょう。だからこそ、職能団体の協会や、職能団体の学会や、行政の第三者委員会や、適正化委員会が、あるいは、ついにはどっかの裁判所が、あなたたちの仕事ぶりをあげつらう時、そのあなたたちの最大の味方は、あなたたちの仕事ぶりの最大の監査役は、通所者患者自治会になるのです。だから、行政や第三者機関アタリが変なことを仕出かし仕掛けてきても、通所患者自治会があなたたちと一緒に闘ってくれるでしょう。

 しかも、あなたたちが良心的にやっていく中で、他団体や他の職能団体などの、例えばまるで儲け主義の起業家や企業家がやっているような作業所や貧困ビジネスのような作業所のようなところを、専門職能性の良心にかけて批判しなければならない時、その最大の味方も通所者患者自治会になるのです。もし、その批判が状況的にはスタッフとしては出来得ない時、その闘いの矢面に立てるのは、もしかすると、通所患者自治会なのです。しかも、繰り返しになりますが、自分たちの専門職能牲や支援の内容や仕事ぶり、さらには人権と云うものに対する真の意味での配慮の中身を担保してくれるのです。自分たちのやっていることの正当性を担保してくれるのです。自分たちの『支援』が『支援』の中味を本当にチェックできるのは、通所者の側なんですよ。でも、個人だと、言いにくいんですよ。だからなかまとともに言う、つまり、通所者自治会と云う『会』として言うのです。われわれは、自分たちのことを決められなかったのです。自主独立、本音の意見を言い始めたとき手のひら返しで酷い目にあってきたのです。だから、せめて、作業所での食事会やレクのことなどは決めたいのです。

自分たちで、入院も退院も、閉鎖も決められなかった。

行政との闘いに、スタッフだけで闘うものではない。

だから、一緒にやりませんか。

宜しくお願い致します。

 

 

【まとめとして最後に 目指すべきもの】

 実を言えば、ここで、作業所患者自治会や、サロン利用者自治会や、デイケア利用者自治会、あるいは、コトの最初に戻って、入院患者自治会が出来るところは良いのです。問題は、自治会が出来得ないような作業所にこそ必要なのです。悪辣極まりない儲け主義の、トンデモナい企業家がやるような作業所にこそ、必要なのです。でもそんなところには、実際に作りえない。

 だから、まずは、つくり得るトコロで作って、悪辣極まりない『YYY仮称』のようなところへと影響を及ぼしていくのです。コトの最初から言えば、入院患者自治会が精神病院の『開放化』に影響を与えました。そのことが全体の精神病院の開放化に影響を与えました。それは、とてもとても地味でその場その時その人自身の入院セーカツを懸けたものでした。それを、今度は作業所でやるのです。たくさんあった患者会の経験を受け継ぎながら、今度は、みなさんが作業所やサロンやデイケアやグループホームでやるのです。まずは、自分たちの作業所を『開放化』し、『解放化』するのです。そしてそれは、なかまたちをトンデモナい酷い精神病院に入院させたり、『YYY仮称』のような作業所に行政からふっと送り込まれた時に、救い出してくる、あるいは、そういう所にはなかまを行かさせない、行かさせても持って行かれても、最終的には自分たちの自治会のある作業所に取り戻してくる、そういう取り組みになるのです。そして、ロクデモナい「貧困ビジネス」のような作業所をまずは、少しでも、『開放化』しましょう。

 世の中や、マスコミや、学会や学者やケーサツが、家族が、みなさんを閉じ込めようとしてきたとき、まずなかま同志で守りあうのです、スタッフも守ってくれるでしよう、でもそのスタッフが諦めても、なかま同志はあきらめない。キレイ事はよしましょう、もしなかま同志が諦めてもスタッフが諦めないカモシレナイ、更にでもそのスタッフがまた諦めても、なかま同志はまたあきらめないカモシレナイ、だから、ジブンの身を世間様から守るのに精一杯の時、患者自治会で、スタッフとともに、その守るチカラが二重三重に、為るのだと云うコトなのです。希望はあります。たくさんの患者会の経験が、みなさんに受け継がれるでしょう。希望があります。宜しくお願い致します。

 

みんなで、作業所でココで、ココの場で

患者自治会をこしらえて

キーサントモダチに為って

お互いに支え合って生きていきましょう

「他人を殺してしまわないように」

「ジブンを殺してしまわないように」

「世間様や親や医者から殺されてしまわないように」

希望は、あります、とてもあるのです

だから、だからこそ

作業所通所者自治会

デェイケア通院者自治会

グループホーム入居者自治会

を目指してみませんか

拡く更に拡く、遠くへ更に遠くへ、深く更に深く

  出来るだけ遠く、患者会のタネを撒きたいのです

  出来るだけ拡く、患者会のタネを撒きたいのです

  出来るだけ深く、患者会のタネを撒いておきたいのです

キーサントモダチに為ってキーサン人生を生き抜きましょう

宜しくお願いします

 

 

 

2019年4月15日起稿 6月27日一旦完成稿として

 精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所

 キーサン革命の鬼えばっち  江端一起

 

 

 【追記】 できますれば、「作業所患者自治会を目指しませんか」と「患者会とはナンなのだ」を読んで頂ければと想います。長い文章ですが、宜しくお願い致します。えばっちのホームページ「乾坤一擲」よりPDFとしてダウンロードできるようになっておりますので、宜しくお願い致します。特に「患者会とはナンなのだ」の「❷患者会の構成A>B>C|D」を読んで頂ければありがたいです。宜しくお願いいたします。


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