魔道布教獄門士
嶋田和子と
魔王笠陽一郎教主の
十六大ハッタツ殺法
断薬キーサン殺し
地獄の獄門拷問
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患者の人間性為るモノに
人間的成長なるモノに
余りに
不用意に不様に、絡みこんだが故に
この発達障害による強制減薬強制断薬療法は
まさにまさに
宗教化であり、道徳化であり、倫理化なのでありそして、教団化なのである
教団化すれば、当然に容易に、ソレは
悪魔化するのである
だから
魔王教主笠陽一郎教祖
宣教魔道布教士嶋田和子
によるところの
『ハッタツ減薬断薬原理主義』
『笠陽イツハッタツ断薬教団』
だと、根底的批判を繰り返している
所以なのである
嶋田和子八大悪行発達障害八大罪悪
ドコがドウ、ドノように、
繋がり合い、重なり合い、補完し合って、
キーサンを獄門拷問殺しに殺し、
キーサンの文化を無しに無き亡き者にし、
どのように宗教化し道徳化し、倫理化して
教団化し悪魔化しようとしているのかを、
年の初めに、みんなで、
ジックリ感じ考えていける出発点に
シテいただけたらと、と、想い、
流れや順をおいながら、よくよく想い直し、
考え直しながら、再度、纏めてみました
よろしくお願いいたします
邪悪之弐
陰湿な障害者差別意識と
悪質な蔑視感情が根強くある
だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。ハッタツ障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。
そも、セカンド場面において、母親や、本人が、統合失調症診断に違和感を感じ、ハッタツ障害への診断変更を求めての意識的セカンド相談の場合、そこには、なにがしかの、なにがしかの、なにがしかの統合失調症、精神分裂病、躁鬱病など精神病に対する、忌避感が、差別意識があったのではなかろうか。
皆無だと、言えるのか、どうだろう。
誤診誤処方を言うあまり、
その差別意識はついつい不問にしてきたのではなかろうか。
実は、その点が、セカンドの持つ、足元に開いていたもう一つの大穴だったのである。
もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、
また、助長しているのではあるが。
だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、著者の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。
壱之罪
大勢の、たくさんの、患者を、ソレは、処方薬依存デショと、斬って捨てた。凄いものである。惨い仕打ちである。
入院している三十万人以上の病者を含め、大多数のクスリを飲むしかなかった、飲むより仕様がなかった、飲まざるを得なかった、そういう精神病者患者、を、ソレは処方薬依存にスギナイノダと、斬って捨てたのである。ご丁寧にも、特にベンゾ系を飲んでいる患者は、特に依存症患者だ、と特筆して、この手のクスリを飲み続けている患者は、常時、酒を飲んでいるようなものだ、と、斬って捨ててシマッタ。たくさんの、病者が、現に飲んでいるし、飲まざるを得ないクスリである。しかも、断薬が、もっとも、ツライとも、言っている、なら、減薬も断薬も出来ない患者も出てくるだろうが、モチロン、ソレは当然ながら処方薬依存だからだ、と、斬って捨ててシマッタたのである。なら、たとえば、多くのベンゾ系を飲んで生活している患者は、常時酒を飲みながら、作業所に通い、デェイケアに参加し、ミシンや、電動のこや、車の運転や、包丁を使って料理をしていることになるのだが、、、、欠格条項を増やしたいのか、この著者は、、、、トスラ想うのである。
たかが、一行二行の書きぶりをあげつらっているわけではない。この考え方が、冷酷なまでのこの考えが、一冊目を含め、この著者の底流に流れ続けているから、モンダイにしているのである。そして、この底流に流れるものは、まさしく、内海の直系の弟子を意味しているのである。
しかも、依存症だと言いながら、この著者の依存症への眼差しは、余りに差別的侮蔑的であって、しかも、従来の、本当に酷い浅薄極まりのない、『依存症理解』の典型なのである。『依存症』をよく、分かっていないのであろう。分かってもイナい事を得々と、書いてシマッテいる。
精神病患者と言われ、精神病質者と、サイコパスと蔑まれ、処遇困難者だと閉じ込められ、ハツタツ障害だ、と、勝手に病名変更され、ついには、処方薬依存患者と、罵しり始めたのである。ノンラベルどころではない、我々を蔑み絶望の淵に追いやるために貼られるラベルが、また一つ、増えたのである。大きな罪である。
一点目
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、特に、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言い回っているのである。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。
しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、ハッタツ障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポンタンもいる、と云うコトだ。
しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想った
ソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである
あえて、再度、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか、ソコの所を再考にも再考すべきであろう
二点目
障害者の病者の底の底の真実のセーカツに
蓋をし、忘れさせ、見えにくくする装置と化す
他の障害者のモンダイを見えにくくし、目くらましを掛けてシマウ、日が当たらないようになっていくだろう。特におもたい知的障害者、おもたい精神障害者が忘れられていくだろう。また、営々と気づきあげてきた、他の障害者の文化を無しにしていくだろう。
それは、精神障害者だけではない、青い芝の会の、あの綱領の精神をまるきり反故にし、知的障害のみなさんが営々と築いてきた「歴年齢に見合った発達程度があると言う仮説への徹底した反駁」と「発達保障論への反撃」といった文化を反故にし、ありとあらゆる、昔ながらのおもたい障害者のドロドロぐちゃぐちゃの真の底の底の底の生命の底からくるセーカツや苦しさを見えにくくすることに、ヨーロッパ風の綺麗ごとの引用とともに、最大限発揮されるであろう。腐れた外道の所業である。
弐之罪
再生の物語という美辞麗句を連ねて、社会復帰路線を徹底的に美化推進している。
再生の物語と称して、社会復帰を、社会適応を、就職を就学を、復職を復学を、ひたすら健常者社会に適応することを、障害者エリート路線を、健病者路線を、再生の物語として、押し付けてくる。コレでは、マチガイなく、死人が、出るだろう。
ごかいの「よもだに生きる」の対極の姿である。
前進友の会の「働かない権利」の対極の姿である。
営々と積み上げてきたキーサン患者会文化の根幹の一つ「反社会復帰」を、「再生の物語」と云う美辞麗句で、叩き潰そうとしている。ソウはなれなかった者に、再生の物語と言いつのるのなら、その『再生』にシクジッテしまった、社会復帰を果たせなかった多くの病者に、更なる追い打ちとしての絶望をもたらすであろう。優しげな美辞麗句に隠された冷酷なまでの、エリート健病者路線を見よ。嶋田和子のさらに大きな罪である。笠は、何時から社会復帰推進者にナッタのか。選挙中のイマの政権や、世の中に、コレほどまでにも、迎合しなければならないのだろうか。
四点目
社会復帰にも、減薬断薬にも、
ついていけない者は、必ず出てくる
オモタい者は、ついていけなくなる
しかも、ついていけないのを本人のせいにする
結果、
社会復帰したいような社会なのかどうかと云う、キチガイの根底的な社会批判を無にする
ゲンジツには、キーサン病者のセーカツゲンジツ側から言わしてもらえば、
どんな音頭であっても、どんなによく見える音頭であっても、
それについていけないものは必ず出てくるカラダ。
漏れるニンゲンは必ず出てくる。
落ちこぼれるニンゲンが出てくる、からである。
キーサンと言おうが、ハッタツ障害と言おうが、
ケンビョウ者と言おうが、
必ず、弱い者、重い者、シンドい者、ツライ者、クルシイ者
ナニも出来ない者、が残されるのである。
ゲンジツと歴史が証明するところである。
おもたい者が、取り残され、忘れられ、隅っこに追いやられるのである。
そして、そのより重い者シンドい者を、より、強く苦悩の淵に追いやるのである。
キーサン患者会の積み上げてきた文化とは、真逆の、
障害者ハッタツ保障競争文化の行きつく先は、
弱い者、重たい者の、切り捨て、見殺し、自殺推進圧力ですわ。
社会復帰競争、社会参加競争、社会貢献競争、減薬競争、断薬競争、就労就学競争の敗者は、ドウなるのか、と、言っているのである。
ソコニは、そもそも、社会復帰したいような社会なのか、と云う我々キチガイキーサンの根源的な、この世の中の在り様に対する問題提起を、限りなく、矮小化し、無くすることになっていく。
リクツではない、
まず最初の関門、減薬競争のゲンジツをとくと、再考してみればよい
なかなか、ゼロには、ナランのよ、しかもしかも、ゼロに為らなかったことを、
本人のサボリや、努力の足りなさと云う、本人のセキニンに帰すと云う、
社会復帰敗者の原因は、患者本人にある、と云う
無慈悲限りの無い悪辣さなのである。
それは、結局は社会要因、環境要因の
限りない矮小化と無視に繋がっていくのである。
まず、減薬、断薬、社会参加、
そこに、ついてはいけないおもたい高年中年老年の
生活保護の入院生活の長い長い精神病者は、ドウなるんでしょうかね
邪悪之参
積極治療主義的傲慢さと
社会復帰的冷酷さに満ちている
クスリをゼロにして、限りなく健常者化することを、目標として、悪辣に煽りに煽っているのである。そこには、どうやっても、減薬がうまくいかなかったり、どうあがいても、社会復帰できそうにもない患者への蔑視と、ゲンジツに減薬を失敗し、何度も何度も、就労と就学に失敗してきた患者への、もっと努力せよと云う傲慢さと冷酷さに、満ち満ちているのである。
内海聡医師の冷酷さと笠陽一郎医師の傲慢さを、両師から受け継いだ、モットも邪悪な暗黒面の弟子と云うことになろう。だから、当然、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、電気ショック、四肢拘束、医療観察法、生活保護などの、意識的な無視とあいまって、結局は、ニホンシミン社会から拍手を持って受け入れられると云う無様なことに、なるのである。
五点目
社会復帰競争の末に依存競争に陥る
障害者、患者の社会に対する、根源的問いかけを矮小化しつつ
『パスポートは特性理解』の路線で進めば、
これは、理解者を、できたらサポーターを、できたらサポートチームを
私のまわりにつくってくれれば、私の才能は花開くという
踊りになるからである。
セーカツするタメではなく、
才能を花開くというタメのサポートチームがいるのだ、
私の回りに作って専用のサポートチームを作って
作って作って私だけのサポートチームを作って
というような競争になるからである。
そして、うまくいった、少数だけがもて囃され、テレビに出演し、
講演と公演をして歩き、宣伝されるであろう。
シャカイフッキ路線の中でも最も悪辣極まりのない腐臭のする醜悪で激烈な、
『依存するシャカイフッキ競争』
『シャカイフッキのための依存競争』
『社会貢献競争の勝者と為るための依存競争』
とイッタヨウナモノになるであろう。
依存を深めながら、社会復帰を目指す、だと、、、
依存される専門職は、飯の食いはぐれが無い。
医療系、福祉系、に加えて、教育系の専門職はアハウハアハウハなのである
その上に、母親達にも、依存は続く
ムカシ、社会復帰は即労働は即自立への道と、宣伝された
ソンナことは、できやせなんだ。
だというので、こんどは、
これからは、母親に支配されて、専門職に依存を深めて、
社会復帰という、ことになっていくのである、これが、
発達障害概念の持つエグい側面である。
より重い、シンドイ障害者から、お年寄りから、
所謂「社会福祉資源」「福祉」を引き剥がしてでも、依存させてくれ、
に繋がっていくのである。
自立ではなく、依存に基づく社会復帰路線は、おそらく、とてつもない、
障害者間の、エラく為りりたい競争と健常者化競争を、惹起させ
それは、トコトンまでの依存競争を招き、
その依存度により社会復帰の程度が決ると云うコトに為ろう。
コレまでは依存度が低く就労する方が社会復帰だと、考えられてきたのだが、
ナントこの場合は、依存度が高ければ高いほど、才能が花開き、社会貢献も出来、したがって社会復帰度も高い、と云う、実に実に、
ナンダカ二重逆転化したような空恐ろしいことに為るであろう。
そうかぁぁぁーーー
自立自尊自衛自炊自レク自闘を目指すより
依存を目指すのかぁぁぁぁーー
シンドイことはやらなくてよい理論的支柱ができたわけや
依存したいハッタツ障害者のみなさんも
依存させたい「依存サセ屋」の医療系福祉系教育系従業員も
アハウハアハウハバンバンざい、と云うトコロでんな
その依存競争の果てにあるモノとは、そも、障害当事者にとってナンなのであろうか、ちょっとばかり、考えれば、直ぐに、わかることである。
参之罪
以上の二つの罪をすべて、
患者本人の頑張りに尽きると、
努力に尽きると、斬って捨てている。
一冊目二冊目を通して、通奏低音のように、響かせ続けている、この冷酷さは、特筆すべきものである。笠のように内海のように、言いきってシマッテいると、いって過言ではない。いや、余計に悪辣に、煽っている。それは、逆に言えば、患者本人のだらけかたに、患者本人の努力の足りなさに、患者本人の怠け癖に、患者本人のクルシサの原因として、ゲンヤクに取り組まないのはアンタの努力不足、デアルと、全てを、患者本人の頑張りと云うか、努力の足りなさ具合に、押し付けてしまった。モハヤ、減薬に取り組まない患者は、怠けものだからだ、と、言っているに等しい。
だから、イマこのようになってイルのも、自分自身のせいだ、と、徹底的に、本人の努力の無さに、押し付けてシマッテいる。これでは、大多数の精神病者達はタマラない。少数のエリート病者バンザイ路線である。冷酷なものである。益々、患者はやりきれない。精神医と精神病院にイビラレ続けた挙句、このようにして、ココでもまた、イビラレるのである。死者が出るであろう。コレはもはや、殺人である。嶋田和子の殺人的罪である。
邪悪之肆
当事者への利用主義であり
当事者への了解など無視である
己がライターとして成功することだけが、ライターとして有名になることだけが目的なのであって、あくまで、自分が有名になりたいだけのライターなのだ、しかも、悪辣な、自分がライターとして成功するためなら、なんでも利用し、利用価値がなくなったら、サッサと、捨てていく、そんな、今まで知り合ったライターと云う人種の中での最低最悪辣ライターなのです。今は、笠医師ですが、その前は内海医師だったわけです、今は、くじら会ですが、そして、ハッタツ障害当事者会を立ち上げようとしているんでしようが、自分のライターとしての活動に利用できないとなったら、、、、、そのうち、ワカッテキマスヨ、、、、そのうちね、、、あと、十年もしたら、わかってきますよ。
笠医師も、周りが、チカヅイテクルれんぢゅうが、ソンナンばっかりになりつつあるのを自覚しなきゃ、、、ね。
したがって、もっとも、利用されたのは、当事者であり、利用価値なしとされてサツさと捨てられたのも、また、当事者であり、もっとも、クルシイ当事者を侮蔑し続けて書いたのである。したがって当然、当事者の了解をとって書くなどとと云う、地道な作業は無視したのである。
当事者とは当然、に、この場合、患者本人である。親のことではない。
七点目
障害者、病者の発言、行動に対する
無効化の武器がまた一つ増えるだけである
またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。ここにきて、今度は、さらに加えて、アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、あれが、ハッタツ障害者の、こだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、ハッタツ障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。
例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この七点目を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、嶋田和子や笠陽一郎達と言った、ハッタツ障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。笠陽一郎のホームページや嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状とハッタツ特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウな気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を荒らしそうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、ハッタツ特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。
コレを最も悪用してきたのが笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、この七点目の罪悪が、ハッキリすると想います。「双極性Ⅱ型の薬剤性やくざ」と云う新造語を造って、揶揄無効化のために、己がホームページで、吐きまくったのですから。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。
で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い方の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。
どちらにせよ、病状、症状で無効化できなければ、今度は特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、症状で、出来得なければ、特性でも、出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、出来得ないときには、『発達特性』で、無効化できる、と云うことである。
邪悪之壱
社会防衛的思考が顕著であり
社会環境要因は無視である
すべては、本人の特性、病状、症状、障害、病気のせいなのであって、学校、会社、家庭、社会のモンダイを免責してしまっている。特性だけが、モンダイなのか。社会の在り方は・・・・だから、キチガイと名指しされ、家族から、親族から、町から、村から、会社から、工場から、学園から、アパートから追い出され迫害され続けてきた者の苦悩が、理解されようハズもない。それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、電気ショック、四肢拘束などの、医療観察法、措置入院などの意識的な無視とあいまって、結局は、保安処分強化につながるであろう。
患者個人の特性や症状の脳や神経せいにするな
学校や会社や工場や教育や社会的要因を無視するな
嶋田和子よライターというのなら、社会的視点を重視せいよアホンダラ。社会的要因無視して、全ては、本人の特性とか症状とかのモンダイか。どういう視点でモノ書いてシモウタか、分かっているのかね。ハツタツ障害概念に偏りすぎて書いたからだよ。笠リロンの宣伝しようとしたからだよ・・・
八点目
保安処分、治安処分の
超早期的かつ
無制限強化拡大に陥る
ダカラ、結局サイゴは、治安的、保安処分の強化拡大に直結するのである
この音頭で踊っているうちに、精神病では捕らまえられなかったような、
奇人や変人をシャカイの治安を乱す者として、まこと広範囲に、しかも極早期に、
番号をふれるということである。
特に、このハッタツ音頭は、シャカイの治安を乱しそうなものを
幼児のうちから、まさに「早期」のうちからピックアップできるだろう
なおかつ、本人や、母親の方から、我も我もと、争って、番号を振って欲しくて
医者や、心理や、教育の専門家に、押しかける、と云うしだいに為るのである。
まさに、究極的な、まさにまさに、シミンの皆さん待望の
早期介入的な横断的拡大主義的過剰診断的な保安処分が完成できるであろう
ということである。
三歳児健診、五歳児健診、の制度政策提言を見てみたらよいのだ
心神喪失者医療観察法が、フル回転するのである。
後見人も、フル回転しやすいのである。
病院に施設に、放り込みやすいのである。
決めるのは、依存先の、専門職たちナノデある。
ナニを寝ぼけているのか、ソコに依存しようとしているのが、分からないかねー
このハッタツ音頭の踊り子さんタチはねーー
さらに、しかも、この番号を振っていく過程で
才能を花開かせるためのサポートチームと引き替えだと言われた場合、
この踊り手サン達は、それを拒否できるのであろううか?
手帳なんてものとは質のチガウものと引き換えですよ、早い者勝ちですよ
と言われた時、ハッタツ障害者たちは自主的に群れ集まり
ナニカを売り渡すことになろう
治安監督官様が、最も利用しやすい保安処分方法とは、発達障害を梃子に行われることと為るのである
現実に、このところ、よくわからないような、マスコミをにぎわす事件で、精神病を貼り付けられないようなことに、あっさり、ハッタツ障害を貼り付けているのを、いつも、こわごわ、みているのである。
そして、そこに反抗する当事者の意見を封殺ではなく、完全無効化スルのである
本当に驚くべき程、上手いことできた障害概念であると、想うのである。
これを思いつき、応用しているヤツは、天災的な天才であろう。
ちなみに、それは、笠のホームページでも、おこなわれてはいなかったか、、、、そう、あの大泣きした議員に、あっさり、アレはハッタツ臭いと、貼り付けていなかったか、典型的な、保安処分活用とは、笠のホームページで行われていたのである。治安管理官様たちにとって、良い勉強になったと、想うのである
三点目
発達障害の概念が、範囲が、
無制限に無定見に拡大していき、
ついには、意味不明となる
そもそも、ムチャクチャな意味不明的な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデモカンデモ発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。オソロシイことである。
もっとも、アンポンタンな状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。
ある医者のハッタツ障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝ぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。
心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。
六点目
精神医療と心理が無定見に拡大し、
しかも無制限に儲かる、ウハウハに
だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは
結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときの
ボロ儲けのタネになるであろう、ということである。
クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、
ハッタツ障害のミナサンへのサポートチームでも、
また、ボロ儲けするのである。
依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである
まことに、ケッコウな、お商売なのである。
精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。
拡大していくのである、オソロシイ。
心理職の国家資格化おねだり路線を見よ
申請神聖ハッタツ博士片岡聡のリトプごっこを見よ
NHKから金もろうて、議員様相手に、
法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、
笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が
悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ
バカバカしい
当事者からのおねだりもアルので
本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。
ハッタツ護送船団おねだりボロ儲け路線である。
専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから
しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう
これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、
笠陽一郎大センセイよ。
逆だよ、逆、精神医療と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、
この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。
ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね
肆之罪
それだけでは足りずに、
それだけでは飽き足りなかった
からなのか、
ハッタツ断薬療法の達成尺度と
セカンド減薬療法の成功度合いや
社会復帰の進捗度合いと
著者の言うトコロの
患者本人の人格とを
患者本人の品性とを
患者本人の人間としての成長とを
かさね絵として、影絵芝居として
見せてしまうと云うことを
ヤッテシマッタのである。
このことがナニを意味するの
かおそらくは、この著者嶋田和子は
分かってはイナいのではないか
と、そう想う。
とうとう、患者本人の人間的成長だの人格の完成だの、人間性だの、品性だの、人生の振り返りだの、とを、ハッタツ断薬療法の達成尺度やセカンド減薬療法の成功度合や、社会復帰の進捗度合や、社会復帰右肩上昇角度とを、影絵芝居のように、重ね合わせてしまった。ヤッテはならない事をやってしまった。笠の責任も、大きい。
これだと、クスリも抜けず、社会復帰も出来なかった、多くの多くの、病者が、人間的成長のないヤツラだと、いうことになってしまう。
死んでいった患者たちを棺から引きずり出して、鞭を打っていると、言って過言ではない。彼らは、彼女たちは、人間的成長も無く、死んでいった、とでも、言うのか。答えてミロ。嶋田和子よ。著者は、このコトの持つ意味を十分に理解して、書いたのだろうか。
どちらにせよ、この著者は、この重ね絵を、全てのハッタツ断薬療法セカンド減薬療法に、影絵として落とし込んでシマッテいるので、少しでも、この療法に取り組もうとする、患者たちに、却って、真において、更なる、累々たる屍を生み出すだろう。嶋田和子の罪は、極大に達している。しかも、己の罪に、マッタクの無自覚さをさらけ出している。ソウゾウを絶する極悪非道、狡猾極まりのない、最低のやり口である。
精神病者にどれほどの苦痛と絶望をまき散らせば、気が済むのであろうか。
精神病者患者に、どれほど絶望の淵に追い立てれば、気が済む、
と云う、のであろうか。
処方薬依存症からの再生の物語と云う美辞麗句を使いながら、
鞭を振るって、多くの患者を死の淵に、追い立てていくであろう。
絶望に追い立てるその鞭を、愛の鞭、だとでも、言う、のであろう、か。
嶋田和子の罪は、はかり知れない域に到達している。
そして、その愛の鞭を、受けたが故に、成長できました、と云う、当事者が
笠と、嶋田和子と、内海の、ファンクラブに、なるのである。
そのファンクラブの会報にしか過ぎない、そういう、シロモノなのである。
これは、ライターなる者が、書いたものとしては、あまりに、無様である。
以上の嶋田和子と笠陽一郎の
【十六大キーサン獄門拷問殺し】
の結果、キーサンには、いややややゃゃゃーーーな気分と、自殺圧力と、余計に自分は、ダメなんだと、想いこませ、より、キチガイを虐め抜き、拷問の挙句に殺し抜き、獄門に掛けることしかしか残さず、そのかわり、世の中は大拍手である、、、、
世の中は、真に現状のシミン社会を否定するかのようなモノは、受け入れるワケがない、ので、とすると、【ハッタツ減薬教本】の受け入れられ方は、、、、、
いやはや、オメデトウサン
以上が、
魔王笠陽一郎を教主とし、
宣教魔道士嶋田和子リサイクルライターの
『ハッタツ減薬断薬原理主義』
『笠陽イツハッタツ断薬教団』の本質である。
悲惨さを、とうに通り越して、いまやハッタツ音頭の真っ最中でゲンヤク音頭、セカンド音頭、ゴシン音頭をしているうちに、ウカウカ浮かウカウカウッカリ羽化浮かウカウカ憂かウカウカ羽化音頭なのである。
今や、笠、嶋田、内海、片岡の四人は、精神病患者の死を、
精神病患者会の絶滅を望んでいる
極悪非道の四罪人四悪人と、
言える、と、想う。
特に自分たちに逆らう患者の死を望んでいると、
しかも、強く、死を望んでいると、そう想う。
自殺させたいのか、と、そう想う。
この点では、従来の
見えやすいアクジのハンニンどもにも
見えにくいアクジのハンニンどもにも
匹敵する
極悪非道の精神病患者の生き血を啜る者達である
と言って、過言ではない。
これは、
減薬圧力でも、
断薬圧力でも、
社会復帰圧力でも、
モハヤない、
これは、もはや、
自殺圧力である。
患者を、自殺に追い込むために、やっているのである。
とうとう、ココマで、来て、シマッタ
そう、それでも、オレは、功罪の巧もアッタのだ、と、言おう
確かに、
誤診や誤処方と、闘っていたのダカラ、最初の四、五年は。
でも、ソレが、コウマデに、羽化してシマッタ
何故だか、分かるか、魔王教主笠陽一郎よ。
この宣教魔道獄門士嶋田和子の羽化の責任を、
取るべきだ。
見えやすいアクジのハンニンどもに
オレたちは、毒グスリと電パチと五点張りで殺されてきた
見えにくいアクジのハンニンどもに
オレたちは、社会復帰圧力で殺されてきた
こんどは、こんなクソたわけた魔道拷問士嶋田和子をはじめとする
すり替えアクジのハンニンどもに
オレたちは、人間的成長もないグズどもだ、と、罵しられて
処方薬依存からの再生の物語ナンゾと云う美辞の下
精神医療を根底的に破壊すると云う麗句の下
精神医療改革運動のためにならないと云う美辞の下
せっかくやりはじめた患者さん達をブレさせる
と云う麗句の下
クスリを飲まざるを得ない患者たちは
更なる絶望圧力と自殺圧力で、殺されることに為る、
のである
宣教地獄魔道士嶋田和子
オマエ、
とんでもないことをヤッちマッタんだぞ
ワカッテイルのか、このダワ坊が
ハッタツ断薬療法と
笠リロンに
セカンド減薬療法に
その成功度合いに
その失敗度合いに
患者の人間性を
患者本人の人間性を
患者の人間的成長を
絡めこんでシマッタ
絡めてシマッタ
患者の人間的成長為るものに、
病者自身の人間性に
余りにも無様に、余りにも不用意に、そして
余りにも差別的に、
笠リロンの適合度と、減薬成功度と、
社会復帰成功度と、社会貢献度を
絡みこんませてシマッタが故に
この発達障害による強制減薬強制断薬療法は
まさにまさにまさに
宗教化であり、道徳化であり、教団化
シテシマッタのである
実は、教団化とは、
信者あってのモノダネなのではあるのだが、
教団化すれば、容易に当然に悪魔化スル
だから
魔王笠陽一郎教主
宣教魔道布教士嶋田和子
によるところの
『ハッタツ減薬断薬原理主義』
『笠陽イツハッタツ断薬教団』
だと、根底的批判を繰り返している
所以なのである
以上
2016年正月元旦
キーサン革命の鬼えばっちより